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随筆(2020/9/30):発達障害者には『的外れでも死なない』のマインドがとても大事(3.まともな質疑応答を成り立たせるために、挨拶をすることや、場を脅かさないことで、信頼の下地を構築する)

3_3.「相手の意図がどうであろうが通用する振る舞い」としての、礼儀作法を、まず身に着ける

自分に相手からの信頼がないから、直接質問しても、答えられることもない。

ならば、
「まず相手の意図がどうであろうが通用する振る舞いを初太刀として、その後意図が明らかになったら直ちに適正な二の太刀を振るう」
ということが、逆説的に必要になってくる訳です。
直感的に楽な方法を採るために、まず面倒な方法を積み重ねなきゃならんのです。

そもそも、
「相手の意図がどうであろうが通用する振る舞い」
というのが、明らかに相当な修行の賜物なので、これはもう試行錯誤をメチャクチャ繰り広げるしかない。

もし、近道をしたいのなら、実は礼儀作法を丸呑みにしていくのが、非常に効果的です。
「自分や相手がこう思っていようが、思っていまいが、狭い世間的にはこうしておいた方が無難」
という礼儀作法が、世の中にはたくさん転がっている訳です。
それは、「相手の意図がどうであろうが通用する振る舞い」と、ほぼカブる。
じゃあ、使わない手はないでしょう。

心が伴っているかどうかは本質的には重要ではなく、外形的に無難であること本質的なポイントである礼儀作法。
こんなもん、ある種の人たちにとっては、くそくだらない茶番にしか見えないでしょう。
だが、くそくだらないのは百も承知で、少しずつ飲み干して、無難に、つまりは詰められず袋叩きにされないように、適応していくしかない。
詰められず、袋叩きにもされないことには、とてつもない有難みがある。
福祉を食ってでも、生きていれば、まだマシです。粥が食える日もあり、ひょっとしたら中華粥が食える日もある。油条(揚げパン)やピータンが付くかも知れない。
が、飢えて死んだり、自分で死んだり、私刑(リンチ)で殺されるのは、たいていとてつもない苦痛です。
それ、本当に、一瞬だけなら、耐えられるか?
そもそも、たいてい、そういうのは、一瞬じゃないが?

ちなみに、もちろん、そういう礼儀作法は、狭い身内で通用して初めて意味のあるものだということは、忘れないで下さい。
狭い身内で通用しない礼儀作法は、その場で適応するには、むしろ有害に働くでしょう。
叱られたら直ちに、その狭い身内でのみ正しい礼儀作法を、ガリガリ呑み込んでいって下さい。

「くそめんどくせええええええ」
まあねえ。
でも、繰り返しますが、詰められず、袋叩きにされないことには、とてつもない有難みがある。
今はピンと来ないかも知れませんが、人生が詰んでいって辛くなる前に、何とかしておいた方が、はるかに安全ですよ。
私はヒデエ目に遭ったんで、それは利害関係(特に「害」)のない似たような他人には、避けて欲しいんですよ。マジで。

***

さて、この時点で、あなたの中に、
「礼儀作法、くそくだらない茶番だ。真心の籠った親切をやれ」
と言いたげな顔をした、イマジナリー自分の姿が見えるかも知れません。

それはそれでもちろんとてつもなく大事な話です。
とはいえ、それには留保が付くのです。

***

メチャクチャ嫌な話をします。
たとえば、礼儀作法のなってないヘラヘラした笑顔のヤンキーやギャルが、その昔、幼き頃、捨てられて凍えてる仔犬を助けた事がある、としましょう。
さて、そういうヤンキーやギャルが、目の前で礼儀作法をすっ飛ばして傍若無人に振る舞い、ヘラヘラと笑っていたとします。
ここで、仔犬のことを、一応は思い出してみましょう。
その上で、改めて、自分の感情に、冷静に正直に向き合ってください。

「でも死ね」

となってしまうのではないでしょうか。
メチャクチャ無惨ですが、あるかないかで言えば、明らかによくある方の話ですね。

才能外見地位による差別は、しばしば容認されており、というかなんかなんとなく推奨されてすらいる。
これは、そういうものです。腹を立ててもしょうがない。こういう中で、生き残り、是非ともやっていきましょう。やりたくねえなあ…

***

で、礼儀作法は、広義の外見になりうるんですよ。つまりは、振る舞い、という形で。
真心の籠った親切を、他人に偏見なく査定してもらうためには、外見振る舞いから整えてないと、理不尽に辛い点が付けられるのです。
でも、そらそうよ。本心は脳の中だから見えないが、脅威は外見や振る舞いで見えるんだから、どちらがより視覚的に認知されるかは、光学的にはもう明らかだ。
他人にとって、「見えないもの」は、「見ても分からない」んです。
(人を幻滅させるようなことばかり言ってやがんなテメエ)
(でも、ここを偽ると、それは、要するに、嘘じゃん。そういうの一番きらい

***

ということで、初歩的な話ですが、学校や職場では、明るい(もしくは最低限明るく聞こえるような)声で、適正な音量で、挨拶をしましょう。
挨拶をしない人は、
「ナイフや拳銃を隠し持っていて、機嫌が悪いと胸元からスッと取り出す系の人か?」
という印象を、周囲に与えます。これはマズイ。論外。

場で目立つくらい騒ぐのも同じですね。後でナイフを振り回す系のパーソン、もっと言うと通り魔と、同じような目で見られてしまいます。

(続く)

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