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【ステイシー・ケント】ロングインタヴュー:ノーベル賞作家カズオ・イシグロも魅了される、洒脱夫婦の機微に満ちたジャズ表現の襞


Photo by Yuka Yamaji  写真提供:ブルーノート東京

ノーベル賞作家カズオ・イシグロも魅了される、洒脱夫婦の機微に満ちたジャズ表現の襞

interview & text:佐藤英輔

大人なノリで、仲睦まじい。英国を拠点とするジャズ・シンガーのステイシー・ケントとサックス奏者のジム・トムリンソンのインタヴュー時の様に触れて、なんかほっこりしてしまった。その出会いはロンドンのギルドホール音楽演劇学校で、1991年に結婚。その後、2人は二人三脚で心の隙間にすうっと入り込むような滑らかなアルバム群を順次発表するようになる。そして、かような夫婦の作品に欠かせない助力者が、2017年ノーベル文学賞を受賞した作家のカズオ・イシグロだ。長年ステイシーのためにジムと曲を共作し続けている彼の話をはじめ、この夫妻の表現にある機微を問うてみた。

――あなたたちとピアニストのアート・ヒラハラさんという、リズム・セクションなしの3人で今回は来日公演を行いました。それはどういう理由からでしょう?
ジム・トムリンソン 「『Songs From Other Places』(2021年)を出してから、この編成でやっているんだ。なんかトリオの編成が新鮮に感じて、するようになった」
――ブルーノート東京のショウ(2024年1月)を見て、シンプルな編成ゆえあなたたちの息遣いにダイレクトに触れることができたような気持ちになりました。お客に対する細やかな心配りなんかも、また同様です。あと、ジムさんもコーラスをつける場合がありますが、それもよく聞こえました。で、もっと歌えばいいのにと思ってしまいました。
ジム「わあ、それはありがとう」
――前作『Songs From Other Places』はステイシーさんとアート・ヒラハラさんとのデュオのアルバムでしたが、そもそもヒラハラさんとはどうのように出会ったのですか。
ステイシー・ケント「彼とは20年も前に出会ったの。ニューヨークでピアノ奏者を見つけようとしたときに、ベーシストの紹介で知り合った。それから一緒にレコーディングをするには時間がかかってしまったけど」
――『Songs From Other Places』には、ポール・サイモンの“アメリカズ・チューン”が入っていますよね。かつてカート・エリングも取り上げていたりもしますが、あなたのヴァージョンにはグッときてしまいました。“アメリカズ・チューン”って、ちょっと距離を置いてアメリカを見るような感覚があるとぼくは感じているんですよ。そして、ステイシーさんももともとアメリカ人であるもののずっとイギリスに住んでおり、イギリスから母国を慈しみとともに見るという情緒が日系ピアニストであるヒラハラさんの伴奏とともにすうっと出ていて、ぼくはすごいイケていると思ってしまったんです。
ステイシー「そう言われて、とてもうれしいわ。ポール・サイモンのソロになって初期の曲なんだけど、あの曲はヒラハラからのリクエストだったの。あなたにこの曲は完璧に合うから、歌おうと言われたのよ」
ジム「彼のオファーで面白かったのが、(カズオ・)イシグロがステイシーに書いた歌詞と繋がるところがあり、どこか世界を浮遊するような感じがあると、彼は言うんだ。外側に向かうというキャラクターをイシグロは書く傾向にあるから」
――そういう話が出ると、やっぱりカズオ・イシグロさんとお二人の付き合いをお聞きしたくなります。最初の出会いを教えてもらえますか。
ステイシー「BBCに『デザート・アイランド・ディスクス』という長寿ラジオ番組あって、毎週有名な方が出るの。90年代後半にイシグロが出演したとき、私はまだ2枚しかアルバムを出してなかったのに、そのうちの1枚を彼が挙げてくれたんです。それ、すご名誉なことよね。そこで出版社を介して彼にお礼をしたら会うことになり、すぐに彼と奥様のローナと私たちは仲良くなりました。その6年後に、一緒にランチをした際にジムとイシグロが私のために一緒に曲を書こうと盛り上がったの」
ジム「そのときの意気投合具合は、ジョーズの映画でサメが急に食いついてくるシーンみたいだったよね(笑)」
ステイシー「本当に。いろいろ雑談していたのに、急にどういう言語で歌いたいのとか、どういう単語や内容のものを好むのかということをイシグロは熱心にいろいろ聞いてきた。そして、彼は現代に生きる女性を描く歌詞を書きたいと。あなたは生まれる前の曲を取り上げることも多いけど、過去の曲ではなく、あなたが歌う今の曲を作りたいと、イシグロは提案してきた。その際、冗談で彼にあなたの書き口ってとっても悲しいわよね、と言ったのよ。するとイシグロは大丈夫、キミが求める希望があるものを僕は作るよと言ってくれたわ。(新作『サマー・ミー、ウィンター・ミー』に入っている)“ポストカード・ラヴァーズ”も先に物事が続いていく感じ、どういうふうに立ち直っていって癒されていくかということが綴られている。なんか、私たちとイシグロ3人のツボって重なっているわね。視点はそれぞれに異なっているのに、人の感情については同じものを見ている実感がある。実はこの4月にイシグロは『The Summer We Crossed Europe in the Rain』という本を出すんだけど、それは彼が私に書いてくれた歌詞をまとめたものなの。そこには、まだ未完成の歌詞も収められます。さらに、そこにはイラストレーターのビアンカ・バグナレリが絵をつけてくれている」

Photo by Yuka Yamaji  写真提供:ブルーノート東京

――ところで、あなたたちは現在フランスのナイーヴと契約していますよね。
ステイシー「ええ、次のアルバムもナイーヴから出る。それに入る、新しいイシグロの歌詞も素晴らしいわね。話は戻るけど、私たちの曲ってイシグロが先に歌詞を書くの。それをジムが音読して、それを録音し、そこからジムがちゃんと作曲する。これって、いいやり方だと思うわ。みんな別々の場所にいて、顔を合わせなくても作業ができもするし。なんか、形式が決まったものにはしたくない。イシグロは繰り返しのない詩を書いているので、ジムはとても大変だと思うけど」
――では、あなたたちの曲はイシグロさんが先に詩を出すわけですね。彼とジムさんはどんな感じで曲を共作しているのか、とても興味がありました。
ステイシー「歌詞が先だと聞いてとても面白いと思うかもしれないけど、曲の広がりを求めるにはそれがいいわね。AABA、32小節という様式に捉われずに、すごく広がりのある曲、格式張らないものが作れるから。それについては、ランチの際にもっと様式にとらわれない歌詞を書いてほしいとリクエストしたことがあった。それはジャンル云々とかとは別の話よね。イシグロの歌詞は時間の感覚というのがちょっと異なっていて、それに沿ってジムはそれまでの決まりごとに従うことなくメロディをつけていく。そんなところに、私は多大な自由を感じるわね。でも、だからと言ってスタンダードを軽んじているということはではなく、ミシェル・ルグランの曲とかは新鮮な広がりを持つし、それら両方の曲を歌ってこそ得られる世界もあると思う。イシグロの曲の妙味を感じてからスタンダードを歌うと、そのスタンダードもまた新たな視点で私は歌うことができる。オリジナルを歌うことによって、そのスタンダードに対する尊敬の念が高まるところもあります」
ジム「ステイシーのために曲を書き始める前、アレンジだけをしていた頃から僕はまずは言葉ありきで音楽があるというアプローチをしてきた。それゆえ、歌詞が良くなければ音楽を載せられないし、歌詞が一番大切という気持ちが僕にはずっとある。やっぱりただのメロディと歌詞つきのそれとは違いがあり、僕には言葉というのはとても重要なものに思える。だから、歌詞を書く人と作業をする際には、言葉に集中してもらいオープンに書いてもらう。そして、歌詞が内包する感情の起伏を補完するような形でメロディを僕はつけていく。だから、イシグロ以外の作詞家とも詩先で曲作りするようにしているんだ」
――『サマー・ミー、ウィンター・ミー』にはイシグロさんとの曲もあれば、ジムさんが他の人と作っているオリジナルもあります。また、シャンソンや映画やミュージカルの曲もあれば、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノヴァ曲も収められています。その様に触れて、お2人のなかでスタンダードの意味というのがすごく広がっており、結果的により広い層を相手にできるような内容になっていると思いました。
ステイシー「まったく、そのとおりね。それを指摘してくれてありがとう。スタンダードを捨てたいわけじゃなくて広げたい。スタンダードを歌うだけでは足りないと感じるところがあって、そこをジムとイシグロが分かってくれて、その隙間を埋めるだけでなく、何かを足してもくれるの」

Photo by Yuka Yamaji  写真提供:ブルーノート東京

――一つ聞きたいことあったんですけど、米国生まれのステイシーさんはニューヨークの大学(サラ・ローレンス大学。もとは女子大で、名家に育ったオノ・ヨーコやリンダ・マッカートニーは先輩にあたる)を出た後、どうして英国に音楽を学びに行ったんですか。
ステイシー「音楽とは関係なく、ドイツに行ったの。そして、友達に会いに英国に行ったら、たまたまギルドホール音楽演劇院のオーディションがあったので受けてみたの。そしたら、受かってしまった。ジムももともとはオックスフォード大学で哲学や政治経済を学んでいたものの、音楽への思いが捨てがたく休学しギルドホールで学んでいたわけで、もしかすると私たちはミュージシャンになっていなかったかもしれない。でも、私たちはギルドホールで出会い結婚し、今があるのよね」

取材時のオフショットです!すてきなおふたり

リリース情報

『サマー・ミー、ウィンター・ミー』
Stacey Kent(vo)
[Naïve/King International KKJ229(CD)
BLV8225(輸入盤LP)]

『The Summer We Crossed Europe in the Rain: Lyrics for Stacey Kent』
Kazuo Ishiguro
Knopf
ISBN:100593802519
4/30発売

【掲載号】

vol.168(2024.2)

https://tower.jp/mag/intoxicate/


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