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【エッセイ】めぐりめぐって、つくられたもの。

こんばんは。

この前書いたエッセイで、
『家族のことに関する ある真実を伝えられた。』
と書いた。



「実際なにがあったのか」詳しくは書けない。
けれど、その話は鮮明で、私にとってハイカロリーすぎた
だから、ちょっとだけでもアウトプットをできればいいな。
そう思い、ここに「主観」を書きおとしてみる。



片頭痛で体調がわるく、だらだらとソファーの上にいた夕方のこと。
母親とすこし話をしていたとき、話題が飛びに飛んで、この話にたどり着いた。

聞かされたのは、「私が産まれる前後の家族関係」について。


というのも 私の家族、とくに父親の家系は、複雑なバランスを保つことで成り立ってきた。

全員の与えられた「個性」がずれている。
言い換えれば、思考のベクトルがひとりひとり異なる方向をむいている。

だから、全員がコミュニケーションという「つなひき」をすることで、均衡ができあがる。
ベストな方法ではないけれど、それがベター。

そんな不安定な関係なのだから、もしつなひきの縄が切れてしまったら……?
と懸念していたことが、実際に起こってしまった。
私が産まれる前後に。


その間には、なにがあったのか。
どうやって、その均衡を取り戻したのか。

その詳細を、「みてきた人」である母親から聞かされたというわけだ。

中身は言えない。
「私がこの出来事を受けいれることができる年齢であること」
「内容をいわないこと」
この2つができるから、母親は私に話したはず。

とはいえ、noteという第三者の目につくところに書くことは、2つ目の信用を損ねかねないのかも。


この話を聞いた私は、
「あー……そうなんだ。」
とすこし元気のない相づちを打った。

いい話ではないので、母親からすれば「妥当な反応」をしていると思われていただろう。

実際、私は「なにがあったのか」については察しがついていた。
メモリを開いて、「かぞく」のフォルダを見れば、なんとなくわかる。
けれど、そこに至るまでの「かてい」をよく知らなかった。
十分な情報を持ってなかったから。

それを、母親をとおして鮮明に聞かされた。
私を取り巻いてきたもの、取り巻いているもの。
その黒さを、一気に流し込まれた。

だから、あたまの中で「情報過多」というエラーが起こってしまった。
元気のない相づちは、胃もたれからくる吐き気のせい。


この話を聞いて、私は自分のことがより怖くなった。

つなひきの縄を引っ張っているのは、私もそう。
正直、それが嫌だった。

そのつなひきから逃れるように生きてきた。
というよりも、生きようとしている。
けれど、結局はつなひきの縄をもっと引っ張り合うだけなのだ。

私には、おなじ黒が流れている。

つまり、私がバランスを壊すことは大いにあり得るということだ。



いくら外見でよく見せようとしても、口からでる言の葉で取り繕っても、私は変わらないし、変われない。

わかってはいたけど、わかりたくない。
その現実を、ここでまた思い知らされた。

私の思考、行動、そしてカタチをつくっているのも、全部この黒のせいおかげというわけだ。

じゃあ、私がすべきことはなんだろうか。

黒を鮮やかな赤にすることなんて、できるわけがない。
心と体はよく分けて考えられるけど、結局どっちかがなくなったら、同じルートを歩むことになる。

だから、自分がどのベクトルをもつのか。

なにを望んで、なにを望まないのか。

それを測ることができれば、
私の中をめぐる黒さを、「ながれている」ものじゃなくて、「保つ」ものとして思える日が来るかもしれない。

……そう思えるには、もうちょっとかかりそう。





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