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現場で起きる試練に

 先日あるセミナーの通訳をしたときのこと。
会場に到着し、同時通訳ブース内のオーディオ機器に自分のイヤホンを差し、資料を広げたところで、発表者との打合せに呼ばれた。
打合せはギリギリまで続き、ブースに戻ったのがセミナー開始の10分前。3分前アナウンスが入り、少し間をおいて司会者がセミナー開始を宣言する。司会者に促された主催者が壇上に上がり、開会挨拶が始まる。
ここからは原稿を頂いているので、こちらもその原稿どおりに通訳すれば良い・・・はずなのだが、主催者の声がほとんど聞こえてこないのだ。もちろんどこを読んでいるのかも全く分からない。もしやまだ挨拶が始まっていないのかと思ったが、ブースの窓越しには主催者の口が動き続いているのが確認できる。その前の司会者の声は私のイヤホンにも入ってきていたのだから、イヤホンと機材との接触が悪いわけではない。その数秒はまさに主催者がゲストの名前を読み上げて謝意を伝えるところで、聞こえないからといって通訳が沈黙しているわけにはいかない。頂いた原稿通りに人名と役職名が読み上げられていると信じて通訳(?)し終え、マイクをミュートにし、同じブース内にいるパートナー通訳者に「音、入ってきてます?」と尋ねた瞬間、音声がクリアに聞こえ始めた。
 
もしかしたら主催者側のマイクがオンになっていなかったのかもしれない。(会場の出席者には生声でも恐らく聞こえるので、誰もマイクが入っていないことに気づかない。音が完全に遮断されているのは通訳ブースのみである。)マイクが遠すぎたのか、角度が良くなかったのか、いろいろ可能性は考えられる。しかしその後のプレゼンテーションでは音声が途切れることも無かったので、不具合は冒頭のその一瞬だけだったのだろう。
しかし冒頭部分というのはこちらも緊張しているし、少しでも予想外のことが起きると動揺する。原稿にない人の名前を挙げていたかもしれないし、逆に読み上げなかった人の名前もあったかもしれない。そもそも自分のイヤホンで音声がちゃんと聞こえるか、セミナー開始前に確認をしていなかった。原稿に変更がないかどうか、直前に確認しておけば良かった。そんなことをあれこれ思いながら主催者挨拶を終え、次の共催者挨拶でパートナーに通訳交代するまで、悶々と反省してしまい通訳自体に集中できなくなってしまうのも、自分が動揺しているからなのだ。
 
 セミナーや会議は一旦始まってしまうと、何かをこちらから伝えることはできないし、途中停止もやり直しもできない。始まる前に100%準備して、不具合が発生してもそのダメージを最小化できるようにしておかなくてはならない。準備には資料の読み込みや情報収集だけでなく、現場に到着してからの音声機材の確認、急な変更点が無いかの確認も含まれる。発表者の中には「私は地声が大きいのでマイク使いません」という方がいるかもしれないが、マイクを使わないと音声が通訳ブースに届かないので、使って下さいとお願いしておく。

想定されることに対して事前に手を打っておけるか。

経験豊富な通訳者との差がついてしまうところであり、そこまで考えていないとダメだったか・・・と毎回反省することころでもある。と同時に、想定外のことは必ず起こるもので、それを受け止めたうえですぐ気持ちを切替えられるか。こちらは経験の有無に限らず自分の気持ち一つでできるはずなので、私も普段の生活の中で「ひきずらない」癖をつけるように心がけている。

“執筆者:川井 円(かわい まどか) インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。 意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。”