辞書から見るゴーストマスターの暴力とは
ヤングポール監督の映画「ゴーストマスター」。胸きゅんスカッと映画を撮っていたら主人公役の青年が突如常軌を逸した行動をとり…というジェットコースター系のホラー映画だ。
主人公役の青年はラブストーリーを撮るに当たって「壁ドンとは何だ?」と疑問を持つ。胸キュン映画の定番仕草である壁ドンの必要性に悩むうちに(まぁ紆余曲折あるんだけど)「壁ドンは暴力だ」という結論に至る。
壁ドンと暴力は普通に考えれば一致するはずの無い要素だ。しかしこうした映画を観ることで1周回った疑問が浮かぶ。壁ドンは暴力に該当するのか?そもそも「暴力とは?」と。では双方がどういった点で共通しうるのか考察してみる。
まず暴力という言葉とは。辞書を引いてみるとこうした文言か並ぶ。
また、内閣府の男女共同参画局では暴力には身体的、精神的、性的の3種類があると定義している。
これらをざっくりまとめて解釈すると
暴力とは身体、精神、尊厳に傷をつける乱暴かつ不当で強制性を帯びた行為。
ということになる。
次に壁ドンについて。
備忘録として綴ると壁ドンとは恋愛漫画(もしくは映画)での描写で、男性が壁を背にした女性の真横に手や腕を当てて決めゼリフを囁くというもの。
恥じらう女性をさりげなく逃がさないよう留め、互いの顔を急接近させることでヒロインや視聴者は男性に恋をしてしまうという構図だ。
勿論壁ドンは身体を傷つける行為には当たらない。なので壁ドンが暴力として認定されるには「精神もしくは尊厳を傷つけるに至るか」が争点になる。
エンタメである以上壁ドンされる側は基本的には「されて嬉しい行為」である。では壁ドンされる事を嫌と思うと仮定した場合、もしくは現実的に捉えた場合どういった暴力に当たるのか。
まず壁に手を当てる行為は「逃げ場を無くす効果がある」と前述した通り、精神的な強制性を帯びた行為と言える。そこに畳み掛けて顔を近付け顎クイなどすれば性的な攻撃に該当する可能性も出てくる。
締めの決めゼリフは下手すれば侮辱。恋愛漫画の男性はぶっきらぼうで少し口が悪くなりがちだ。つまり相手の尊厳をも傷つける可能性がある。
壁ドンが良しとされるのは、あくまでそれがフィクションであるという前提であり、現実では複数の要素で暴力に当たる可能性があるということが分かった。
ではこれを映画ゴーストマスターに当てはめる。ある意味で主人公役の青年の葛藤は「恋という現象は暴力と紙一重ではないか」という気付きを得るまでの物語とも言える。
そしてその“瞬間”が訪れる。彼が気付いた暴力は精神的でも性的でもなく直球の物理的な暴力であった!そんな本末転倒な。
最終的には暴力ではある。しかし注目して欲しいのは、この行為は“壁ドンの暴力ではない”
私が考察した壁ドンの暴力とは無理矢理に精神と尊厳に傷をつける行為であることだ。つまり、このゴーストマスターという映画に於いて言うなれば
「壁ドンは暴力への通過点である」ということ。
プロセスとして繋がりを持ってはいるが、イコールでは結ばれない曖昧なものだ。
映画ゴーストマスターはツギハギの映画愛で展開されるホラー映画。
むしろこの曖昧さがこの作品の主題とも言える“ツギハギ”に該当するのかもしれない。
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