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2021.8.13 無機質な人間になりたかった



男性 60歳 外資系製薬会社勤務

「僕、もう60歳になっちゃったんですよ。今年厄年ですね。でもあまりオカルトに興味がないので厄年とかは関係ないかな。仕事は、アジア関係のプロジェクトとかの管理をしてるんですよね。リスク管理とか安全対策とかもやってます。問題が出てきた時に、新しく会社にプログラムを導入するとか。仕事は、なんか、惰性な感じですね。とりあえず暇だから仕事してるという感じで。でも、誰かが喜んでくれると嬉しい。今の仕事は10年くらいやってますね。医療関係の仕事自体はかれこれ30年くらいやっているかな。

仕事を始めて最初の頃は、2年くらい船に乗っていました。27、28歳くらいで人生に一区切りついて、もういいかなと。仕事のやり方が分からなくてどうしようと思っている時が楽しいんですよ。あと2年で定年。そこから先は全国を旅してまわろうと思ってるんです。今のテーマは癒しですね。誰かに癒され、誰かを癒せる人になれたらいいのかなと。相手は探しても出てこないですね。そもそもあまり人と会わないので。知らない人と会わないと新しいことができない。そもそも自分、人間嫌いなのかもしれないですね。地球上で一番凶暴な動物は人間なので。

子供の頃は、僕が人間嫌いなのを親も認識していて、「山小屋の管理人になった方がいいんじゃないか」と言われてました。就職して船に乗ってもう少し孤独になれると思ったんですけど、意外と人間関係が密で。(船から)降りられないので失敗したと思いました。ある意味、監獄に入れられたような感じ。星空は綺麗でしたけど。

昔は無機質な人間になりたかった。イメージとしては豆腐のような人間になりたいと思っていました。今考えると、角が立っていたので、丸い形の豆腐の方がいいのかなと。頭のネジも心のネジもどこか外れてるんだと思います。未だにどこが外れているのかよく分からなくて。最近、ナッツを食べると足首が痒くなることを発見したんですけど、今までナッツアレルギーだとは思っていなくて。単なるアトピー性皮膚炎だと言われてきて、食物アレルギーだと思わずに60年やってきてしまった。海老もメロンも怪しいです。どれも好きな食べ物なんですけどね。食べ物には気をつけようと思っているけど、つい忘れて食べてしまうんです。

最近思うのは、人間って生きてるけど死んでるんじゃないかなと思うんですよ。宗教的にという訳ではなくて。生きてるって、意識があるということですよね。寝ている間は物理的には生きているけど、心的には死んでいるのと同じじゃないですか。反応がないから。意識があるように思っているけど、あいだあいだでは脳の構造として意識を失っている瞬間があると思っています。ウェブで調べていたら、脳科学者の人が同じようなことを書いてました。結局、体の電気信号じゃないですか。電気はずっと流れっぱなしではない。そもそも電気は電子が飛んでいくので、粒子でもあるじゃないですか。あいだあいだは刺激がなくて、死んでいるんじゃないか。そういうことをボーッと考えていたりします。

あと、会話をするじゃないですか。そうすると話が被っちゃったりする。特にオンラインで会議をしていると被りやすい。人の話を遮らないで最後まで聞くのはなかなか難しい。忍耐力がいるし、これは修行だと思いますね。大勢で会議していると話に入るタイミングを失ってしまうので、未だに会話をするのは難しいなと思います。

近頃、コロナ禍で世の中のキラキラが消えてしまった気がする。コロナの前は人が集まったり、コロナとか考えずにやっていましたよね。いろいろと制約が増えてキラキラした部分が消えてしまった。物理的な制約じゃなくて、気持ち的な面ですね。心の重荷、いらない重荷が一つ増えたなと。ワクチン推進派、打たない派とか。自分の主張はあるけど、不要な議論に参加した途端に面倒くさいことになるからいらないことを言わないようにしよう、という忍耐もまた辛いじゃないですか。それぞれの主張なので、言っても解決する問題ではないじゃないですか。専門家でもないし。皆、専門家に対するリスペクトがなくて、専門家の話を聞かないですよね。

今って皆マスクしてるじゃないですか。でも、いつまでマスクするんだろう。これから100年先も200年先もマスクをしていたら、マスクをするのが当たり前になって、その頃の人がマスクしていない頃の昔の写真を見たらすごく不思議に感じるんじゃないかと思うんです。」

この記事はBE AT TOKYOのプロジェクト、【BE AT TOKYO DIARY】で制作しました。

※感染症等の対策を十分行った上で取材しています。


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