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ファッションの脱正解主義[ファッションリベラルアーツvol.13]

注意)本記事は批判的に思える表現がございますが、筆者は全く批判的な立場にはありません。最後まで読んでいただけますと幸いです。


これまでの伝統的なファッション業界の在り方に待ったをかけ、昨今のファッションの方向性を決定づけた人物がいます。
メンズファッションバイヤーのMBさんです。

個人的にMBさんのファッションやおしゃれに対する考え方が詰まっているな、と感じるインタビュー記事があります。
タイトルは『おしゃれな人は、自分のために服を着ていない』

主張の要点をまとめると、「おしゃれをする目的は相手に喜んでもらうこと。だからこそ、相手のために服を着て、自分のために服を着ないようにするというのも一つの方法だ」といった感じです。
その具体的な論拠としては、服を着るということには“上位目標”と“下位目標”とがあり「おしゃれをするということは“下位目標”」で、真の目的を探ると「相手を喜ばせること/コミュニケーションを円滑にすることという“上位目標”にたどり着く」。よって「上位目標である相手目線でのスタイリング」がより本質である、という主張です。

私は一つ前に投稿した記事「誰がために服を着る −ファッションはもっと自由でもいいんじゃない?−」の中で次のように主張していました。

誰かがいいと言ったものを、誰かのために着るのではなく。
自分がいいと思ったものを、自分のために着てください。

もうおわかりかもしれませんが、MBさんとわたしは全く真逆の主張をしています。それもそのはず。
MBさんは「ドレスとカジュアルのバランスを7:3でコーディネートするとおしゃれになる」という極めて明快なファッションロジックを展開されている一方、わたしといえば、「ファッションはもっと自由でもいいんじゃない?」という何とも無責任な主張をしているのですから当然です。

しかし、わたしはこの「ドレスとカジュアルのバランスを7:3でコーディネートするとおしゃれになる!」というファッションロジックに、たった一つだけ“欠点”があると思っています。

「ドレス:カジュアル=7:3」の欠点

MBさんの理路整然とした主張のたった一つの欠点。
それは他でもなく「欠点がないこと」。つけ入る隙がない完璧な理論であるという点です。

正直、MBさんの主張「ドレスとカジュアルのバランスを7:3でコーディネートしたらおしゃれになる!」は間違いありません。
その証拠に、現在ファッションYouTuberとして活躍する人やインスタグラムで着こなしの指南をしている方のコンテンツの80%(体感)は「ドレスとカジュアルのバランスを7:3にする」に由来しています。ほとんどその派生にすぎません。
MBさんがこの主張を展開される以前に、「ドレス系のアイテム」「カジュアル系のアイテム」「キレイめのアイテム」というワードはここまで市民権を得ていたでしょうか?それどころか、おしゃれになる方法論自体、あまり論じられていなかった気がします。
(あとAライン、Iライン、Yラインシルエットみたいなものもかなり一般化しましたよね。それまでVラインと呼んでいたのですが…今ではYラインが正統になりつつあります…これもMBさんの影響?)

とかく、ここで言いたいことはMBさんのロジックは極めて精緻なものであり、否定のしようがないということです。
しかし、わたしはこの“隙のなさ”にこそ問題があるのではないかと考えます。すなわち、あまりの正しさに求心力を増している(多くの人がこのロジックを利用しておしゃれになっている)が、ファッションは果たして“正しさ(論理性)”が本分といえるのか、ということです。

ファッションは“楽しさ”が“正しさ”に先立つ

わたしのファッションに対する基本的な姿勢は“自由に楽しむ”ことです。
この立場に対する批判や反感の一切を受け付けます。
人によっては間違った主張かもしれません。合理性は特にありませんし、所謂いわゆる、相手目線も欠落しています。
しかし、ファッションには元より合理性なんてないと思ってます。それに、よっぽど限られた場面でない限り、ファッションが特定の他人に対して向けられることはありません。

だからこそ、わたしは「ファッションは個人的で独立的なものでいい」と思っています。(他律的かつ従属的な)規格化されたファッションはどこまでいっても表面的なおしゃれに過ぎないなと感じます。

ただ、わたしはMBさんのロジックに対する批判をしたいわけではないのです。このロジックを利用する我々の姿勢にこそ問題提起したいのです。

「ドレスとカジュアルのバランスを7:3にする」というロジックはわば方程式。この方程式に当てはめれば、何も考えずとも答えは導き出されます。
しかし、大事なことは何の計算をしているのかを考えて使うことです。
わたしが高校生の頃「この方程式を丸暗記したら、数学のテストで点数を確実に取れる」みたいな経験が何度かありました。
ただ、その方程式が何を意味していて、どんな計算をしているのかということはすっぽりと抜け落ちているので本質的な計算とは程遠いものでした。機械的に数字を入れて、答えらしい数字が出ていただけ。そこに思考は全く関与していません。
ただ、この方程式が圧倒的に“正しい”ために答えが出ているだけなのです。

こんなことがファッションでも起こり得ます。ほとんど自分の思考を介さずにそれっぽいコーディネートが出来上がる。おしゃれになるという意味では正しいですが、ファッション本来の“楽しさ”が見当たりません。

実は『おしゃれな人は、自分のために服を着ていない』の記事の中でMBさんは既にこう言及されていました。

あまり理論にとらわれないでほしい、ということも言っておかなければ(笑)。確かに僕は『これを使えば誰でも最短でおしゃれになれる』という提案をしているし、僕自身その通りだと思っているのですが、だからといってそのルールに過剰にこだわる必要はないんです。僕の読者さんや会員さんにも、『テンプレ通りにおしゃれをするのではなく、ルールを応用して自分の正解を導き出してほしい』と常々言っています。

「おしゃれな人は、自分のために服を着ていない」【カリスマメンズバイヤーの結論】

「ドレスとカジュアルのバランスを7:3にする」というロジックが正しすぎるあまり、その正しさにかまけて、視点が固定されてしまっては元も子もありません。

MBさんがおっしゃる通り「自分の正解を導き出す」必要があると思います。
それはまさに、なぜ自分はこの方程式を使うのか?どういう自分だけの変数を入れるのか?という問いに対する答えを導き出すということです。

社会や論理が何と言おうと、自分らしさと楽しさだけは見失わないように。

今のファッションはあまりに“正しさ”や“優劣”に溢れていると感じる節があります。
「文脈がわかっていない」とか「こういう着こなしは変」とか…。
派手でいいねされたらおしゃれとか、地味で映えなければありきたりとか…。

わたしの知るファッションは「自分たちで新しい文脈を作るもの」だったし、いつだって「変な着こなし」が許容され、それが次のトレンドを担う可能性を持っていました。
社会や論理が指し示す“正しさ”が何と言おうと、せめてファッションくらいは“自分らしさ”“心から楽しむ気持ち”を見失いたくない。
それだから今日も、ファッションと向き合っています。


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