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ファッショントレンドの正体は“人間の曖昧さ”

ファッションは「去年まで美しいとされていたものが、今年も同じように美しいとされるとは限らない」という体系をとる文化。
つまり、極めて短期的に変化を遂げる流行のサイクルが存在しているということ。ファッションは「流転の文化」なのだ。

だからこそ、「流行とは何か」という抽象的な問いの答えを探ることがファッションを追求することの一側面であるといえる。

昨今はSNSの普及により、これまで以上に流行が波及するスピードが速くなっている。
ファッションを諦める人の多くは、その流行を追うことに対する煩わしさを理由にしているのかもしれない。

近年ファッションに対する世間の風当たりが強くなっている所以は「流行」の存在が大きいともいえるだろう。服の短期的な消費に起因する環境への負荷は著しい。しかし、私はここで服の過剰な消費を批判するつもりはない。もちろんファッションが環境に負荷を与えているという事実を否定することもしない。

しかし、そこに厳然たる「流行」の存在を確認したいだけだ。

では、「流行」とは人をファッションから遠ざけ、服を消費的に見せてしまうような悪魔なのか。

私はそうは思わない。
ファッションは移り行くことで、人間本来の曖昧さを肯定しているのではないだろうか。

誰も、首尾一貫した態度を貫き通せる人はいないだろう。私たちの人生はあまりに長く、私たちの価値観はあまりに脆い。だからこそ、一定普遍の感覚を持ち続けることは難しく、その受け皿こそがファッションの「流行」ではないか。

家、家具、家電、学校、職場、人間関係…どれも自分の基準で選択したものかもしれないが、選択した時と同じ熱量や関係性を継続できるかというとそうではない。
移ろいゆく環境と感情の中で、どれも見方や必要性が変わってくるものだろう。しかし、これらをインスタントに切り替えることは難しい。

しかし、服はどうだろうか。
私たちの曖昧な気分が流行を作っている。

矛盾を甚くつつく世の中になった。
人には矛盾の一つや二つはあるだろう。
昨日も今日も、全く同じ価値観とは限らない。

去年まで「細いシルエットがかっこいい」とされていたものが今年からは「太いシルエットがイケてる」と矛盾していい。

むしろその矛盾こそが人間らしく、本来的で美しい。
それがファッションにおける流行なのであると考える。


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