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ディクシャ

前回のブログでも書いた通り、2年半前 本屋でヒマラヤ瞑想の本と出会い、それまでの経験から、運命の出会いのようなものを感じた私は、早速本部の説明会に参加しました。
ヒマラヤ瞑想の素晴らしさを説明するビデオやお話を聞いたのですが、正直その時は全くピンときませんでした。

悟りって言葉も、一体なんのことやら?、だったし、いろんなカタカナの言葉がいっぱい出て来て、わけがわからず。瞑想は個人でやるもの、と思っていたので、こういう会に入会する抵抗は大きく、疑心暗鬼の鎧は厚くなるばかり。

でも私は昔から波動に対する体感が敏感で、肌がピリピリする感覚を道場で感じたのです。昔、子宮筋腫を小さくしてもらった時のプラノセラピー(手かざし治療)の時と同じ肌のピリピリ感。

インド政府公認だし、エネルギーは確かに本物そう。そんじょそこらの瞑想とは違うかも。ヨガ、そしてヴィパサナーやマインドフルネスの瞑想を続けてきたけど、本物の瞑想の効果とやらを経験してみたい、、

警戒しながら続けて、やばそうだったらすぐにやめちゃえばいい、
とあまり大きな声では言えないのですが、
最初はそんな中途半端な気持ちでディクシャを拝受することを決心しました。
その後、やばい、と思ったことは一回もないので、今現在に至ってます (笑) (現在は入門前のカウンセリングで入門の心構えを聞かれるので、私のようないい加減な気持ちでは、もう一度しっかり本を読んで出直してきてくださいと門前払いされるそうです)

その頃はディクシャを頂くには、初級のプログラムを何回か受ける必要があり、
仕事が忙しくて何回も道場に通うのも嫌だったので、週末の1泊の宿泊リトリートでディクシャに臨みました。

朝からビデオを見たり、軽いヨガをしたり、いろいろな秘法のプログラムを受けたり。インド風の濃厚な修行を覚悟していた私は、あまりにも爽やかでマイルドな内容にちょっと拍子抜けしました。アンダーグラウンドな感じは全くなく、ベジタリアンのご飯も美味しいし、怪しい感じは一切しない。

夜、シャワー後の瞑想で湯冷めをしたのか、ものすごい鼻炎の発作が起きてしまいました。10代の頃からずっと毎月必ず何回か起こる、たて続けのくしゃみと滝のような鼻水が大量にでて、全身とても怠くなる謎の鼻炎の発作。

スタッフさんにティッシュを箱ごと頂き、翌日もひたすら鼻をかみ続けて、
こんなに体内に水分があるのか、というくらい鼻をかみ続け、思考能力もなくなって、いつもの発作より、ものすごくつらい。
スタッフさんに<浄化、好転反応ですよ>と言われたのですが、
<またまた、、。ただの湯冷めなんだから。なんでも浄化につなげて嫌だわ。>と反応する心。

あとからしばらくして気がついたのですが、
その時の鼻炎の発作以来、発作がぴたりとなくなり、それ以来一回も起きていません(O_O)

そしていよいよ ディクシャの当日の朝、ダルシャン(講話会)でこれから師匠となる、ヨグマタ相川圭子さん に初めてご対面。
ビリビリするほどの強烈なオーラを持つお方、、と勝手に想像していたのですが、
存在感が薄すぎるくらいの優しそうな女性がオレンジの衣をまとい登場。    この方が聖者、、? 本当かな?と実は疑問に思ってしまいました。

鼻炎のつらさでお話の内容は一切覚えていなく、半分朦朧としながら、いよいよディクシャ伝授の儀式開始。
秘法なので、内容はかけないのですが、聖者さまのものすごいエネルギーが   ぐわ〜〜〜んと来るインパクトを期待していた私でしたが、
これといったインパクトもなく終了し、拍子抜けしたまま家に帰りました。

そして翌日。

起床して、鼻炎もすっきりと治って、気持ちよくリビングのカーテンを開けると、
外の景色がまるで違う。。。
いや、いつもの景色なんだけど、全然違う。。。
いや、景色じゃなくて私が違う。。。
私のナニが違うのか全くわからない、でもなんなんだ、、この感覚。。。

パンパンに詰まっていた何か、でっかいモノをえぐり取られて、
身も心も頭も、ものすごく軽くなっていた私が、
いつものグレーな街中の窓の外の景色を、
山の山頂から超然と下界を眺めているかのように感動しながら眺めていたのです。

<ナニこれ????? すっご〜〜〜い!>

あんな超然としている感覚は生まれて初めて。
<自分の居る次元>が、全く違う感覚です。
あの感動は忘れられません。

あの頃は全くわかっていなかったのですが、
ストレスで疲弊してドロドロのタールのようにへばりついた体のゴミ、
何十年も溜まりに溜まった怒り、悲しみ、不安、執着などの心のゴミを 
ヨグマタ相川圭子さんが、たった一回のディクシャであっけなく浄化してくれたのです。

私のゴミをヨグマタが吸い取ってくれたそうで、悟り=サマディのエネルギーとつながっているヨグマタだからこそできる技。

生半可なエネルギーで、あんな多くの人数の参加者をいっぺんに浄化してゴミを吸い込んだら、いっぺんで病気になります。
そういう意味でも、ディクシャって、ものすごく尊い有難い儀式なのです。   ものすごいことをされているのに、ヨグマタのあのさらっとした軽快な感じ、そこが聖者の凄さなんでしょうね。

その後、程なくして、その超然とした私は消え去りましたが、毎日コツコツと瞑想していけば、あの超然とした私にたどり着ける、とあの感覚を糧に瞑想やプログラムをコツコツ続けていきました。

2年半経った今、そうですね〜、、あの時の感覚が山頂だとしたら、7合目までは行ってるでしょうか?

まだまだエゴもあるし、執着もあるし、全然いたらない私ですが、
毎日が軽やかで、とにかく心身爽快です。                  

昔は無意識にものすごい鉛の鉄板を背負いながら生きていたんだと今になってわかります。

今の新型コロナの騒ぎも、どこか超然と山の上から下界を眺めて居るように
心は全く揺さぶられることなく、これから色々変わりゆくであろう未来にワクワクしながら過ごせています。

瞑想を始めて、しばらくしてから自分の状況が刻々と変化していた実感がありましたが、新型コロナの未曾有の出来事が起こって、なるほど、ここにたどり着いたか、と腑に落ちました。


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