経営者がかわっても、いささかもブレなかった、旨さとクオリティ。
株式会社フーズネット 代表取締役執行役員社長 加藤 誠氏
専門学校卒。和食の道に進み、1人の師匠の下で、さまざまな現場に出向き、修業を重ねる。25歳。共同経営者として起業したが、2年でクローズ。サラリーマンになるべく、新たな転職先として選択したのが株式会社アトム(1995年に、株式会社フーズネットに商号変更)。その後も上場や民事再生、経営者の変更などさまざまな紆余曲折の中を真っ直ぐに歩き、ついにトップに就任。「にぎり長次郎」をはじめとした、人気のブランドの未来戦略を担っている。
岐阜の田舎もん、調理師になる。
恵那市は、美濃三河高原に位置する山がちなエリアにある。今回、ご登場いただいた加藤さんによれば「特殊な土がでることで有名だった」そうである。「瀬戸層群下部層の古土壌」のことだろうか? 加藤さんが、この恵那市の小さな田舎町で生まれたのは、1963年のこと。
小学校ではソフトボール、中学からはバスケットボールをはじめ、高校1年でバスケットボールをリタイアしている。数学、英語、そろばんと塾にも通った。
「田舎町ってこともあったんでしょうが、両親からは、中学の頃から『警察官になれ』って言われていました。『公務員がいい』時代だったんでしょうね。ただ、私自身は、大学に行く気もなかったので、高校を卒業したあとは、大阪にある調理師専門学校に進みます」。
海外の料理を勉強したくて、いくつかの候補の中から中国を選び、実際に訪れている。
「行ったと言っても、3泊4日くらいですね。それでも60万円くらいかかったんじゃないかな」。話をうかがっていると、豪快さと慎重さが、いい塩梅でミックスされるように。言葉がつむがれていく。
「進むべき将来の料理ジャンルで迷うんですが、知り合いから絶対、和食がいいと言われて」。
これが一つのターニングポイント。
「ホテルからスタートして、色々な店舗を回ります。転職ってことではなくって」。
「田舎もんだから、そんなもんだと思い込んでいた」と加藤さんは笑う。
「師匠の命令に従って、あっちに、こっちに、行く、イメージです。今でいうと派遣になるんでしょうが、師弟の関係で成立しているシステムだったので、ノーはないし、給料も安かったです(笑)」。
給料は、月7万円。それでも、とにかく、社会人の幕が上がる。
アトム入社。「にぎり長次郎」で、V字回復をリードするも経営者が次々とかわる。
加藤さんは25歳で、一度、独立している。「独立といっても、共同経営です。ただ、バブル経済が崩壊した煽りも受けて2年でクローズ。それで、今までとはちがって、サラリーマンをしようと27歳の時に株式会社アトムに就職します」。
加藤さんが27歳というと1990年のこと。ちなみに、あとで整理してお話しするが、アトムは、フーズネットの前身である。
「私自身は、和食部門のアッパーなブランドからスタートします。当時、すでに回転寿司だけでも50店はありました」。
アトムがいちばん勢いがあった頃だという。たしかに、アトムは、このあと上場に向け、快走する。
「今、いったようにアッパーなブランドのつもりだったんですが、『寿司をにぎってみないか』と言っていただいて。今まで、にぎったことがなかったから、新鮮で。これが私の、もう一つのターニングポイントで、今につづくスタートラインです」。
給料はもちろん安定する。ただし、新店が次々オープンするなど、仕事に追われたのは確か。
ここでいったん加藤さんの話をわきに置いて、フーズネットの話を挿入する。
フーズネットは、1974年、京都市に誕生した株式会社河長が、その始まり。店名は「河長」。1975年に回転寿司の1号店を左京区にオープン。1981年に株式会社アトムに商号変更。1989年に、宅配寿司「都人」を右京区にオープンしている。その翌年、加藤さんが入社。
1995年、株式会社アトムを、株式会社フーズネットに商号変更。そして、2001年、現在の主力ブランド「にぎり長次郎」を寝屋川市にオープンしている。
オリックスグループが資本参加したのは、2003年。すでに加藤さんは、コアメンバーとなっていた。
「エリア課長を経験したのち、新ブランドの設計や、メニューの開発などにタッチし、2001年、『にぎり長次郎』をリリースします。オリックスさんが資本参加されたのはこのあとで、絶好調だった『にぎり長次郎』に注目いただいいたようです」。
民事再生を申請したフーズネットの再生に乗り出したのが、オリックスという構図。ちなみに、「にぎり長次郎」は、その時、寝屋川や京都の西京極などに4店舗。
「500万円程度だった月商が、『にぎり長次郎』にすることで、次々、V字回復し、時には2000万円になりましたから、開発した私たちもびっくりです。オリックスさんは、このブランドで勝負したいと言われていました」。
「にぎり長次郎」は、奈良、滋賀、和歌山、兵庫にも広がっていく。現場で、指揮をとっていたのは、いうまでもなく加藤さんである。
もと職人がトップにいる。だから、ぶれないクオリティ。
「にぎり長次郎」は、新鮮な食材はもちろん、板前たちがにぎる、ほかの回転寿司にはないクオリティの高さがストロングポイント。
オリックスから、ファンドを経て、2013年から現在のSRSホールディングス株式会社のグループ企業となったが、クオリティの高さは、いささかも揺らいでいない。
加藤さんが、指揮を執りつづけてきた証である。
「店の業績が悪くなくても、親会社がファンドということもあって、従業員にも正直、不安があったと思いますが、SRSホールディングスの傘下に入ったことで、地に足がついたと、みな喜んでいました」。
もっとも加藤さんは、喜んでばかりはいられない。今や2500人を超える従業員を抱えた組織のトップである。職人が経営のトップになる。
「昔の、そうですね。専門学校に行っていた頃にはイメージもできなかった未来ですね。ターニングポイントを挙げてきましたが、いちばん大きかったのは、オリックスの人たちと話ができたことでしょうか。こちらは、ただの専門学校卒です。向こうは、東大や一橋の秀才さんたち。でも、ちゃんと、会話ができるように降りてきてくれるんです」。
東京に連れて行かれ、銀座で寿司を食べさせられる。
「それで、どう? って聞いてきます。オリックスの資本だった時は、オリックスのスタッフの真剣さに、心を打たれました。彼らのビジネスに対するスタイルや、思想、すべてが、今までとは次元がちがった。一つも二つも、上の次元のスタイルを間近でみて、勉強できたのは、いちばん大きな財産です」。
ちなみに、東大というワードが出てきたが、オリックスからの出向者だけではなく、ファンドからきたスタッフのなかにも東大出身者はいた。そして、現在、SRSホールディングスの社長も、東大出身だ。
「東大と縁がある」と加藤さんは豪快に笑う。
ちなみに、「にぎり長次郎」は、グループのなかで「和食さと」につづく、店舗数と売上を上げているグループの主力ブランドである。ハンドリングを任されている加藤さんの役割や責任の重さは、その点からも理解できる。
「『にぎり長次郎』は、職人が寿司をにぎるので、職人がいないと新たにオープンすることもできません。そういう意味では、いつも人手不足です」。
たしかに、寿司職人の採用はむずかしい。ただ、加藤さんの足跡を知れば、職人のキャリアパスの一つとして、ありというか、むしろ大あり、という人もでてくるんじゃないだろうか。
とにもかくにも「にぎり長次郎」の寿司は旨い。そして、サービスのクオリティは高い。もと職人が、トップにいる限り、ぶれない旨さとクオリティだ。
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