富山のソウルフードの、新たなストーリー。~株式会社まるたかや 代表取締役 嶋田秀之氏
株式会社まるたかや 代表取締役 嶋田秀之氏
高校卒業後、北陸コカ・コーラボトリングに就職。製造部から営業部に移り、トップセールスを走りつづける。25歳、結婚。妻の実家である「まるたかや」に転職。2代目の下で、修業を積み、45歳で社長に就任する。
富山のソウルフード。
ローソン限定のカップ麺、「まるたかや監修 醤油豚骨ラーメン」。黒と赤の、ガツンとくるデザイン。キャッチフレーズは「富山のソウルフード」。
今回、ご登場いただいたのは、この富山のソウルフード「まるたかや」の代表、嶋田社長。3代目になる。
「創業者の祖父は、東京の三越で料理長をしていたそうです。その祖父が、昭和23年に、高岡市で、おでんの屋台をひらいたのが『まるたかや』の始まりです」。
屋台でもうけたお金でお店をオープンしようとしたところ、「お金を預けた不動産屋にトンズラされた」という。
「それで、高岡市はだめだっていって、富山市で、もう一度、ゼロからスタートします。研究熱心だったんでしょうね。いろいろ回ったみたいですよ。静岡とかも。おでんが有名でしょ。そのときに、韓国人からラーメンのつくり方も習ったそうです」。
「まるたかや」では、祖父の代から醤油も脂もオリジナル。
「うちのオリジナルのトッピングに『背油揚玉』があるんですが、あれは、豚脂を130度で揚げた時に、ラードと脂かすにわかれるんですが、その脂かすをラーメンにいれたのが始まりです。もともと脂をつくってなかったら生まれてなかったトッピングですね」。
ちなみに、チャーシュー、メンマ、脂かす(背脂揚玉)など、すべての具がオリジナル。これが、富山のソウルフード「まるたかや」のラーメンを構成している。
実際、食べてみると、脂かすがいい仕事をしている。ニンニクもきいていて、パンチがある。ローソンのおかげでローカルから、全国区になったが、それだけのパワーをもっている。
アメリカ、ファッション、ものづくりがキーワード。
「私は直系ではないんです」と嶋田社長が口をひらく。「じつは、妻のほうなんです。妻の祖父が創業者で、父親が2代目、私が長女と結婚して、『まるたかや』をつぎます」。
奥様とは高校2年生からのお付き合いとのこと。
「私は1972年に高岡市で生まれます。4人姉弟の3番目。きょうだいの影響でアメリカが好きになります。高岡市は工場が多く、城下町の名残りもありますが、ものづくりが盛んな町です」。
アメリカ、ファッション、ものづくりが、少年の頃のキーワード。
「アメリカが好きになったのは、姉や兄の影響ですね。3番目でしょ。おさがりをもらうんです。リーバイス501とかをもって、これ、いるか?って聞かれて。いらんとはなりませんよね(笑)。でも、ボロボロだから、穴を縫ったりしていました。ものづくりが好きだから、縫製もけっこう巧いんです。ジェームズディーンも大好きです。かっこいいでしょ」。
高校は、ものづくりの延長で県立高岡工芸高校に進学。
「高校時代もね、制服をかっこよくリフォームしたりしていましたね。ファッションが大好きだったし、料理も、基本、うちの兄弟はみんなできます」。
ちなみに、アメリカ好きはいまも健在。好きなのは、多分だが、1960年代のアメリカ。駐車場には、キャデラックやフォードなど、古いアメリカの車がならんでいる。
コカ・コーラの、経験。
「高校を卒業して、北陸コカ・コーラボトリングに就職します。奥さんは、おなじ高校だったんですが、資生堂の専門学校にいって、東京で美容師を8年くらいやっていました」。
嶋田社長は、高岡市でコカ・コーラをつくる仕事に従事する。
「コカ・コーラをつくる水は世界共通なんです」と嶋田社長。「それだけ水を大切にしていることの表れで、どの国でも、おなじ水になるよう調整しています。飲料だけでなく、じつはラーメンも水がいのちです。そういう意味では、立山から流れてくる富山の水は最高ですね」。 それは、まちがいない。
「北陸コカ・コーラボトリングでは、最初、製造部で、そのあと営業です。こちらに就職したのは、ペプシのロゴが好きだったからだし、あのコカ・コーラって描かれた真っ赤な車に惹かれたからなんです。会話も好きで、営業になってからは、辞めるまでトップセールスを爆走していました」。
「営業はもちろん製造部にいたことも役立っている」という。
「今はすべてオートメーションだと思いますが、当時はまだハンドの部分が少なくなかったんです。アナログな時代ですね。そのアナログな仕事が、いまのラーメンづくりに似ているんです」。
もちろん、当時、ラーメンを仕事にするとは思っていなかったはず。ちなみに、北陸コカ・コーラボトリング時代の給料をきいて、驚く。「24歳で手取り29万円。ボーナスは年間で250万円ほどもらっていた」とケロリという。
「まるたかや」は、奥様の実家の仕事。
「いま、『まるたかや』で仕事をしているのは、もちろん、奥さんと結婚したからです。結婚したときに、2代目の義父から『継いでくれ』と言われました。社長になったのは、45歳の時です」。
北陸コカ・コーラボトリングのトップセールスから、ラーメン店のスタッフへ。いくら妻の実家と言っても、思い切った選択に映らなくもない。だが、料理が好きで、ものづくりが大好きだった嶋田社長にとっては、案外、簡単な選択だったのかもしれない。
「結婚したのが25歳の時。同時に『まるたかや』に転職します。当時、直営が2店舗、フランチャイズが3店舗ありました」。
祖父がオープンした『まるたかや』。それを継いだ2代目社長。2代目はどんな人物だったんだろう?
「とにかく、頭がよくて、やさしい人」と嶋田社長。もともとは、あるメーカーでエンジニアをされていたようだ。だから、サラリーマンの気持ちも理解できる。そのぶん、サラリーマンから転職してきた、娘婿を、巧くリードできたのかもしれない。
スープが澄んでいる、醤油豚骨ラーメン。これこそ、富山のソウルフード。
「私の最終目標は、100年の歴史をつくり残すことです。私が就任してから3店舗をオープンして、キッチンカーも始めて、売上を2億円から5億円にしています。今年も1店舗、資産価値の高いロケーションに出店する予定です。現在、5店舗は直営ですが、フランチャイズについても勉強したんで、今後は、フランチャイズも検討していきます」。
ただし、追いかけるのは店舗数ではない。歴史を積み上げていくこと。
「お店をデザインするのが好きで。だから、お店をつくりたいんですが。それはそれとして。歴史はつくりたいと思ってもつくれるものではないでしょ。だから、価値があると思うんです。私で3代目になりますが、歴史が大事だと思うからこそ、100年まで頑張って残していきたいんです」。
歴史の価値について、「たとえば、こういうこと」と一つのエピソードを教えてくださった。
「キッチンカーをつくって営業していたときの話です。飲み屋街で営業していると、そこに、スーパーの社長さんとかが飲みに来とるわけですよ。スーパーいうても、地元のスーパーですからね、社長さんも『まるたかや』のことは昔から知っているんです」。
「キッチンカーをしとるんやったら、うちのスーパーでも」となったらしい。「子どもの頃から食べている大好きなラーメンとおでんやからな」と。
「歴史がないと、そういうことにはならんでしょ。うちの味がからだに染み込んでいるです。ただ、なつかしいだけやないですよ。私も、いろんなラーメンを食べ歩きましたが、『まるたかや』のが、いちばん旨いです」。
「まるたかや」のラーメンは、『醤油豚骨』ラーメンだ。だが、スープの透明度が高く、醤油ラーメンのように澄んでいる。豚骨を煮込まずに、旨みだけを抽出しているためだ。合わせる醤油も、特製。トッピングは、いうまでもなく、旨い。
外販(キッチンカー)だけで、月商1000万円というのも頷ける。ラーメンだけではない。創業のおでんも、また、大好評。「サイドメニューでは、おでん豚串がナンバー1ですね。こちらもまさにソウルフードです」。
話をきいているだけで、食べてみたくなる。
もう、わくわくは始まっている。社長が描く、新たなストーリー。
「ラーメンだけじゃなく、老舗と言われるような店に注目しています。店舗数が少なくても、そういうお店には、ほかにはない、その店だけの価値があるでしょ」。
「まるたかや」にも、その価値は、充分にある。だが、あと25年、「歴史を色づけていきたい」と嶋田社長はいう。「何をするにしても2番手ではだめだ」という社長だけに、また画期的なことにチャレンジするかもしれない。
「だいたい頭のなかで、ストーリーができあがるんです。それを、かたちにする。これが、面白いし、わくわくするんですよね」。
富山のソウルフードの新たなストーリー。「動きだすまで、公表はしない」という嶋田社長。もしかしたら、頭のなかではもう、つぎのストーリーが動き始めているかもしれない。「まるたかや」ファンにとっては、それもまた楽しみだ。
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