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年齢を重ねても「自分の心に正直な選択」を。44歳で転職、49歳で複業を始める私の仕事論。

ベテラン人材向けジョブ型マッチングサービス「Inow」です。

年齢を重ねても自分らしく活き活きと活躍しているInowユーザーをご紹介するシリーズ記事を開始しました。第2弾は、ご自身のワクワクを大切に様々なチャレンジをされてきた新家 康之さんのご紹介。

新家さんは40代半ばで転職し、2022年には複業として後輩の経営する企業で外部パートナーとしての支援も始めました。そんな新家さんが年齢を重ねても働き続ける理由や働く上で大切にされていること、そして、そんな新家さんに実際に声をかけた経営者のお2人にもお話を聞いてみました。

新家 康之(しんや やすゆき)
【経歴】
1973年 東京浅草生まれ
1996年 慶應義塾大学卒業
1996年 ベンチャーキャピタル(日本アジア投資株式会社)に就職、福岡赴任
2000年 東京本社へ異動
2000年 結婚(その後、2児の父となる)
2009年 ほけんの窓口グループ株式会社へ転職
2018年 株式会社アトラエへ転職
2022年 複業として後輩が経営する会社のサポートを開始

これまでどういうお仕事をされていましたか。

ベンチャーキャピタル、保険業界、そして今いるアトラエというIT企業の3社を経験しています。それぞれ担当している業務は異なりますが、全てが今につながっており、どれも非常に貴重な経験だと改めて感じています。

時を遡ると、就職活動をしていた頃、ぼんやりとした違和感をずっと抱えていました。どの企業の説明会に行ってみても、ゼミの先輩やリクルーターにどれだけ話を聞いてみても、どうもしっくりこない。

まわりと同じように大企業を歩む、そんな自分の人生にちっともワクワクしないんですよ。当時は「何が自分に合っているのか」それが正直なところ、全く分からなかったんですね。

そんな状態で時は過ぎ、当然どこの企業からも内定がないまま就職活動も終盤の頃。たまたまゼミの同級生から「お前に合ってそうなところがある」と勧められて参加した企業説明会で、のちの就職先、日本アジア投資株式会社(JAIC)に出会いました。

当時は「ベンチャーキャピタル」という言葉も一般的には全く認知がない時代で、私自身その会社のことはもちろん、そのような業界があることも正直あまり知りませんでした。当時の私の同級生たちは、銀行・商社・マスコミなどいわゆる大手企業への就職が多く「べンチャーキャピタル?ナニソレ??」状態。

もちろん親も、そんなわけもわからない会社に就職しようとする私を「大丈夫なのか」と長らく心配していたでしょう。しかし、蓋を開けてみれば勤続14年、無名のベンチャーキャピタルも、のちにJASDAQそして東証一部への上場を果たすこととなりました。

福岡タワー

そんな私のファーストキャリア、JAICでは、入社後すぐに地元浅草から遠く離れた福岡での勤務が始まりました。誰も知らない業界、誰も知らない街での初仕事。不安ももちろんありましたが、もともと好奇心旺盛な性分ということもあり、ワクワクしてやる気に満ち溢れていたのを今でも覚えています。

と言うのも、私は浅草という下町で、小さな町工場の三男として育ちました。幼い頃から、工場を経営する祖父や父の姿を身近に見ており、たとえ零細企業であっても「経営者」という存在に対するリスペクトを幼い頃からずっと抱いていたんです。

そんなバックグラウンドもあり、経営者の力になれる、これから成長していく中小・ベンチャー企業を支援できる、そんな事業フィールドにとても魅力を感じ、とにかく毎日やりがいを感じて過ごしていました。

浅草という下町で三男として育つ

また福岡の生活も今や第二の故郷と言えるほど、水の合ったものとなり、先輩後輩たちと毎日遅くまで仕事をし、そして飲みに行くという日々でありました。

それから4年、2000年に当時26歳で東京本社へ異動になりました。

そして福岡で出会った妻とその年に結婚。2002年には第一子、その翌年には第二子も生まれ、また幸いにも20代でチームを預かる立場にもなり、日々の投資活動に加え、部下支援やファンド組成など本当に多忙な毎日だったと思います。

キャリアの転機は?

そんな私の”人生の転機”といえば、就職活動時代に、世の中に流されずベンチャーキャピタルという仕事を選んだ大学生での大きな決断もあると思いますが、その一方で、キャリアという意味では、35歳のときに当時のJAIC社長から「人事をやってみないか」と誘われたことも1つの大きな分岐点だったと思います。

その当時、キャピタリストの1人として自身でファンドを運営したり、起業家とも日夜真摯に向き合っていた中で、突然の人事への異動打診。もちろん驚きはありましたが、これも何かの縁だと思い人事部長 兼 秘書室長となりました。人事の統括が仕事ですから、人事制度の策定から中途・新卒採用、労務管理などをやりながら秘書室の業務も並行して進め、異動後もやりがいを持って忙しくしていました。

しかしそれからほどなくしてリーマンショックが起き、JAICも残念ながら業績不振に陥ります。その流れの中で、事業縮小が決まりリストラをすすめていかざるを得なくなったのですが、1度では足りず、結果的に2度の希望退職を人事統括として実施しました。それをやりきったところで人事部の後輩とともに辞表を出す形で私自身も新卒で入った会社を去ることになります。

もともと性格的には、ある部分は保守的というか義理堅い面もあり、一度自分が選んだ会社を辞めるということは全く考えてもいなかったのですが、今思うと運命の巡り合わせだと思いますし、その後の新たな多くの出会いや経験を振り返ると、あのタイミングで人事をやってみないかと声をかけて頂いた社長には今では感謝しかありません。

また、これも不思議な話で、退職を決意したタイミングと合わせたかのように創業期からの担当投資先だったほけんの窓口グループの創業社長から「うちで人事をやってみないか」と声をかけてもらったのです。これから事業拡大をしていくために、ちょうど良い格好な存在として映ったのだと思います。

就職活動をしていた若き日には、キャピタリストという仕事に就くことを微塵も想像していませんでしたが、さらにその14年後には人事として転職しているなんて夢にも思いませんでした。

ただ、人事という仕事は”人の可能性を信じる仕事”であり、ベンチャーキャピタルとして起業家の可能性を信じ寄り添っていた自分としては、この世界観はとても近いものを感じますし、自分にあっていたと思います。

その後、ほけんの窓口では人事を経て、一度現場も経験させて頂いた上で、広告宣伝・マーケティング業務も統括させて頂きました。まさかTVCMの制作にも携わるようになるなんて、人生は本当に面白いものです。

そして、8年ほど在籍し、こちらも創業期からの担当投資先という縁があったアトラエの、これまた創業社長からの誘いで転職することになります。その時の誘い文句は「最近仕事に燃えてる?」「何をやってもらうかは決めてないけど、とにかくうちで一緒にチャレンジしよう」というものだったと記憶しています。

私は元来ベンチャーキャピタルを選ぶような人間であり、心の中のドキドキやワクワク、チャレンジ等を好む傾向があります。ですので、従業員規模も3000名を超え大手企業の資本も入り、大きく成長していたほけんの窓口では、ある種「やりきった感」と言いますか、全く違う環境で、自分自身の可能性や伸びしろを見てみたいという気持ちが押さえられなくなり、44歳で転職を決めました。

この時は、改めてチャレンジしたいという想いが強かったですね。ただ、部長職、そして部下や仲間にも恵まれた居心地の良い安定した立場をある意味捨てたことを振り返ると、やはりどこか頭のネジが外れているようにも自覚します(笑)。

そんなアトラエでは、入社時から変わらず今でも私が最年長です。社長よりも年上、かつ周りは20代〜30代の若手が多い環境ではありますが、日々さまざまな刺激を受け仲間と共に切磋琢磨しています。

現在は「Wevox(ウィボックス)」という事業で、大手企業を中心に、エンゲージメントや組織カルチャーを可視化し組織力向上のお手伝いをしているところです。経営者と向き合っていた日々や、人事として社員ひとりひとりのことをとことん考え抜いてきた経験があるからこそ、今の仕事ができていると感じています。

人生どこでどうなるかはわかりませんが、自分がその時その時で本気でやり抜いてきた「点と点」はしっかりつながっているなと思います。

ちなみに、これまで2回の転職はいずれも妻には事後報告です(笑)。世の中的には妻ブロックのような話もよく聞く中、私の決断を2度も受け入れてくれたことには本当に感謝しています。ちなみに妻は私以上にチャレンジングな性格で、今年の秋に、自身のやりたいことに新たにチャレンジ予定です。

「働く」という言葉のイメージは?

私は新卒で入った会社(JAIC)の「自分たちで創っていくんだ!」「みんなでやっていくぞ!」という気概や活気溢れるカルチャーからスタートしているので、仕事は確かに大変ですが、それでもやっぱり楽しいものだというマインドです。

ただ、働くことや仕事という言葉に対して、辛い、もしくはしんどいなど、なんとなくネガティブな印象を持っている人も少なくないことも事実かとは思います。こればかりは周りの環境も大きく影響すると思うので、私は周りの人たちに恵まれていたな、有難いなという想いです。

ただ、周りの環境ももちろん大事ですが、どんな時でも、どんな立場であっても、自分の進む道を「主体的に決める」ことが、仕事や人生を楽しむためには重要でしょう。

今振り返ると、私の社会人人生は世の中の「こうあるべき」だとか、友人・知人、家族や先輩など身近な人たちの声に流されず、自分自身で納得した道を選んできたなと思います。

どこかの誰かが喜ぶ選択ではなく、自分の心に正直な選択、これこそが一番大切であり、結果的に周りが喜ぶことにも繋がるんだろうと、どこか愚直に信じているところがありますね。

理想の働き方や仕事は?

理想の働き方、というと少しズレるかもしれませんが、私は仕事とは「自己表現の場」だと思っています。仕事を通じて世の中と繋がる、それ自体とても楽しいですよね。人と人の出会いだとか人間としての成長だとか、それ自体が非常に尊いもの。

その結果、副産物としてお金(収入)がついてくるというイメージです。世の中に価値あるコトやモノを提供できた際の、ある種ギフトとしてしかお金は捉えていません。

なので、自分なりに言い換えると、私にとっての理想の働き方とは、常に自分がまだ見ぬことや知らないことに対して、貪欲にそして謙虚に向き合い続けられることでしょうか。「俺はなんでも知ってるぜ」なんていう傲慢なオジサンには心からなりたくないと思っています。

ブルックリンにて

また元々旅が好きで、リュック1つでどこへでも飛んでいくタイプなので、旅先での人との出会いが仕事とうまく融合すると良いですね。この先も、仕事とプライベートをもっと交じり合わせながらやっていきたいです。

そのためには、色々な面でしがらみや制約ももちろんあるでしょうが、幸いにして私は今、自由に選択できる組織にいて仲間にも恵まれ、そして子供たちも手がかからない年齢になっています。これからも自分の心に正直に、世の中に「こんなこともアリなんだ」と実体験をもとに伝えていきたいですね。

人生100年だとしたら、40代後半なんてまだ折り返し地点にも行っていないですし、まさに人生これからです。もちろんみんながみんな同じ環境ではなく、制約も多いかも知れませんが、それでもやはり自分の人生は自分のものです。

周りのアドバイスやご意見はしっかり聞きますが、最後は自分のやりたいようにやるのが一番のはず。

せっかく生まれてきたのだから、思いっきりその人生を全うするのが私は親孝行であると思います。私だけでなく、妻もこれから新たな夢に貪欲にチャレンジする予定ですし、私も私らしく自分がまだまだ知らないことを経験したい、見てみたいと思っています。夫婦それぞれ自分の人生を楽しみながら、子育て時代とは異なる新しい関係を築けることは今からとても楽しみです。

私なりに自分らしいチャレンジをしていきたいなと思い、2022年4月から後輩の会社で外部パートナーになることにしました。JAICにいた頃に共に切磋琢磨してきた後輩たちで、今の自分がどれだけ貢献できるかは分かりませんが、現職のチームメンバー及び代表にも相談の上、できる範囲でできることをやってみる、となりました。

来たる50代に向けては、今はもうワクワクしかないですね。

実際に49歳に声をかけた経営者に聞いてみた

K&Pパートナーズ 経営者のお二人

松村さん:新家さんには、2022年の4月から参画してもらっています。以前勤めていた会社(JAIC)の先輩であり上司で、その頃から新家さんの人柄や仕事の進め方、部下との接し方などを間近で見ており、一種の憧れや尊敬の想いがありました。

活動を共にさせていただいていた中、リーマンショックが到来し、新家さんは人事部門の責任者として二度のリストラを進め、その後会社を移られました。

我々2人は起業家との接点を継続すべく残り続ける決断をしましたが、その後、会社の方針で投資事業を一部縮小することになります。様々な事情があっての判断でしたが、JAICは起業家を支援するという面において一定の評価をいただいており、その文化を一部でも引き継ぎたいと考えK&Pを創業することにしました。

神尾さん:創業して10年目になりますが、新家さんに関しては「やっと、また一緒に働ける」という思いです。実は創業期より「新家さんとまた一緒に仕事がしたい、いつかお声がけをしたい」と考えていました。10年越しに打ち明けられた一方的な片思いに、新家さんは当初戸惑われたかもしれませんが…(笑)

松村さん:新家さんにお声がけした最大の理由は人間性です。人柄はもちろん、会うだけで周りが元気になるエネルギーや想いの溢れ具合は、転職後も相変わらずでした。私の目指すベンチャーキャピタリスト像そのものであり、このような方が業界内にもっと増えてほしいとも願っています。

また、ベンチャーキャピタルという仕事をする際、起業家への尊敬はもちろん、新しい領域への学びの姿勢や自発的な意欲、新たな領域への興味関心が非常に大切だと思っています。

その点、新家さんはJAICを巣立った後の新たな領域でも、意欲的に知識を身につけ様々な経験を積まれてきたんだなと、お話をしていて感じます。当方でも活動をしていただくにあたり、その各所で得られた多様な知見や専門性には期待をしています。

神尾さん:私は「文化を創る・強化する」という部分にも期待をしています。先ほどもお伝えしましたが、JAICは起業家を支援するという面において一定の評価をいただいている会社でした。

その文化を一部でも引き継ぎたいと考え創業したこのK&Pにとって、元々JAICに所属し、かつ起業家から厚い信頼を得られていた新家さんが、1人のパートナーとして協力してくれていることは非常に価値のあることです。社内外の方に対して「そういう価値観の会社だ」と伝わりやすくなるとも考えています。

また、この文化が強化されることは、今後の採用面に大きなプラスにつながると考えています。例えばですが、SONYやTOYOTAで活躍されていた方が、とあるベンチャー企業にジョインする。そうなるとその方と一緒に働いていた同世代の方やその方に憧れを抱いていた後輩の方々が、その会社に興味を持つきっかけとなるかもしれません。

合わせて、「この方が関わられているということは、こういう価値観、こういう会社だろう」という求人情報だけでは見えない部分まで、伝えられると考えます。特に、50歳以上の方々は、さまざまな経験をされた中で、価値観や判断軸がある程度出来上がっていますよね。ですので、採用候補の方にとっても「あの人が関わっている会社」という情報が、判断基準になるかと思いますし、結果として採用のミスマッチも減るのではないでしょうか。

このような全体感の中で、間接的に自分たちの考えに合う人材を見つけることにもつながると考えています。

松村さん:知見や経験を有する人材とのマッチングサービスは複数存在するため、若い起業家やベンチャー企業の関係者の方々も、そういったサービスに触れる機会が増えたと思います。しかし、単純なスキルマッチングだけでは限界があるだろうなとも感じています。

と言うのも、ビジネスにおいては人間性が最も重要だと考えており、その部分のマッチングが欠けていると長期的な取り組みにはなりにくいと考えています。もしかすると、短期的な割り切り方もあるのかも知れませんが、人間性の部分でのマッチングを簡略化して、表面上の人脈や経歴だけ貸してもらうような取り組みは個人的にはあまりピンときません。

神尾さん:重複しますが、50歳以上の方々は、さまざまな経験をされた中で人間性や価値観が確立されているため、その中で自社の考え方に近い方とのマッチングが行われることは、組織のベクトルを強化することにつながります。

新家さんにお声がけさせていただいた背景の一つは、この部分を期待してのことであり、正直参加をしてくれるだけでも我々にとっては十分な価値があります。我々が理想とする文化を第一線にて体現されていた方であり、その方と日々の活動を共にすることで弊社の目指すべき方向性を整理・また社内外に発信することにつながります。

松村さん:50歳以降の働き方やキャリアに対する考え方は、所属してきた業界や組織によって大きく左右されるため千差万別かと思います。その中で「Inow」に登録するという積極的なアクションを取られた方は、おそらくこれまでも意欲的に取り組んでこられたんだろうと思いますし、さまざまなご経験を積まれてきた方でしょう。

私個人としては、知見や人脈の共有だけでなく、そういった方々が今まで歩まれてきたお話をお聞きできることで、若手メンバーの理想像や将来像の形成につながり、今後の活力につながると嬉しく思います。

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