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【論考】お金とは?

 ※タイトルから書いています。タイトルから逸れてしまったら申し訳ありません。
 ※タイトルから逸れたのでタイトルを変えました。

 2022年10月24日(月)。21時11分。

 はい。こんにちは。本日はタイトル「変わっていくもの、変わらないもの、長期的には変わらないもの。」という長いタイトルでいこうと思っているのですが、まあ、普通に日記から始めましょう。

 朝。日曜日だと思い寝ていたら、月曜日だと気付きました。8時30分頃に跳び起きて、コンサータを飲んで、まあ、電車には間に合いました。

 んで。仕事をしました。

 「本当に仕事をしたのですか? 何か生産的なことでもしたのですか? なんか50個くらいのファイルの中身を入れ替えて、名前を変更したり、なんかデータを打ち込んだり、その程度でしょう。それでお金貰えているんですね。昨日、公務員試験一次試験を受けたから、脳みそが良い感じだったのが一気に堕落したというか、『やっぱり自分はこの程度で、この程度の能力で、この程度の人間なんだなあ』とか思いながらぽつぽつやっていて、

 挙句の果てには終業時間終了後に『絶対転職したくない』

とかつぶやいたとかなんとか」

 はい。なんとなくなんですけれど、僕ってこの程度の人間なんだなあ、と思ったのですが。

 「タイトルの本題に入りましょうかねえ。井上さんは今の仕事が一生変わらなければいいとかおっしゃっていたらしいですが、恐らく変わるんじゃないですかね。パートタイマーが変わるわけではなく、今の楽な仕事が延々と続くというのは……うーん。なんか言いたいことが違いますね。話変えましょうか」

 こんなツイートをした。

☆☆☆

 「人生は変わっていくものと変わらないものがあって、特に変わるものは自分が何が欲しいかという購買意欲であって、黙って働いていたらそのうちポケモンカードが欲しいという気持ちも消えていくだろうと願っています」

☆☆☆

 はい。ポケモンカードですか。またですか。そうですね。またです。

 もうつぶやいている通りなのですが、ポケモンカードが欲しいと思うこの欲望から早く脱却したいと嘆いているわけなんです。

 購買意欲とか特に時間が経てば変わっていくものなので、早くポケモンカードのことを忘れたいのです。仕事という無為な時間を蓄積していくうちに「ポケモンカードなんてどうでもいい」と思えるようになれば勝ちだと思っています。

 「そう。購買意欲は気分によって変化するもの。だからルギアSAを中古で買いましょう。購買意欲があるうちに買いましょう。あと、英語版のポケモンカードも欲しくなってきましたね。リザードンのエリートパック? みたいなのがAmazonで2万5千円で売ってありましたよ。英語版のポケモンカードも簡単に買える世の中になって良かったですね。さあ。え? 買えない? 親になんて言われるか分からない? 親が怖い? 子どもですか? ポケモンカードを部屋に飾って、小金持ち気分を味わうのが今の夢なんじゃないのですか」

 という、こういう気持ちが沸々と湧いてきてしまうので、早く欲望という魔術から抜け出したい。例えば、公務員の正職員とかになったとしても、ポケモンカードの海外版とかは買えないと思う。

 親がいるから。

 なんか言いたいことがずれている。

 要は変わるものと変わらないものが自分の人生の中にはあるということを言いたいのだが、うまく言えない。

 ・変わるもの
  購買意欲
  投資とかの意欲
  貯金と出費の基準

 ・変わらないもの
  発達障害
  統合失調症
  睡眠障害
  性別
  住所
  生きていること

 ・長期的に変わらないもの
  家庭環境
  職場
  障害年金
  障害者手帳
  賃金
  ブログを書く時間を設けること

  

 恐らく住所は変わらないだろうと思う。ひとりぼっちになろうと、実家に住み続けるのは運命だとも思っている。

 障害年金等は変わると思っている。常に最悪を想定して生きたほうがいいと思っているが、数年後、障害年金が止まったら、自分は生活保護になるだろうと思っているけれど、車のない人生や、ポケモンカードも全部売るような人生になってしまうと思うと悲しくなってしまう。

 そう。形あるものはいずれ壊れる。ポケモンカードもたとえ手に入れたとしても、いつか手放すとしたら、なんとなく虚しくなる。

 そう。この虚しさ。それこそが真実であり、資本主義の欲望が見せるきらびやかな世界、満足感、小金持ちになったかのような感覚。これらは全て幻想であり、世の中は金で動いていることを思い至り、金のないやつは何もできないという現実が、この世にはある。

 厄介なことに、金というやつは形を持っていない。概念的な存在だ。概念がなぜか、形のある何かと物々交換される。資本主義の中では、人は金のために行動し、金のためにビジネスを展開し、金のために死ぬ人間もたくさんいる。

 金の為にというか、金が原因で死ぬ人間もたくさんいる。

 この世は全て、金だ。貧乏だからそう思う。お金で買えない価値はない。priceless(綴りがあっているかは分からない)は、price(価値)less(すらない)という意味だと思っている。

 「お金をたくさん持ってどうするの?」という問いかけには「生活費以外はポケモンカードをたくさん買うのさ」みたいに答えると思う。

 グリーンビジネスとか。良いこと謳っているように見えて世の中全て金だと思う。金金金と何回言っているか分からないが、安く買って高く売る、世の中それだけなんだと、テレビを観ながらぼけーっと思った。

 形あるものは全て無価値。

 形のないお金に価値がある。

 これはおかしいような気がするが、実体のないものが実体のある人間の行動を支配している。

 よく分からんブログになってきた。変わらないものというのは、実体のないお金のことなのかもしれない。実体のないのだから変わりようがない。お金の価値を信じているという、これまた虚構の空想こそが、概念であるお金に価値を与える。

 何が言いたいのか良く分からない。でも何かが掴めそうなそんな記事になった……のだろうか。

 お金というものは、膨れ上がっていくものであって、例えばGDPとかは《《毎年成長していくのが当たり前だ》》という前提、常識が世の中を覆っているように思える。GDPの成長率で国を比較していく。伸び率で比較していく。成長していくのが当たり前だというのを誰も疑わない。「現状維持のままでいいですよ」という人はまずいない。

 例えば、お金を使わず、身体の一部を切っていくことで欲しいものを手に入れる、ゲル状の宇宙人がいるとしよう。その宇宙人にとっては、お金というものは自分自身であり、使える量にも限界があり、使い終わる頃には実体が無くなり、この世から姿を消す、という宇宙人を想像してほしい。

 そういう宇宙人は、終わりを知っているために、お金の使い方を選んでいく。その宇宙人が人間のお金を見た時に「それは、なんの価値があるのですか」と問いかけると、「なんにでも実物と交換できる、良いものなんですよ。ずっと無限に成長して、膨らんでいくもので人類の大発明の一つです!」

 それを聞いた宇宙人はこう答えた。「でも地球という資源は有限でしょう。形あるものは有限でしょう。有限を使い果たした後の概念のお金は、一体何と交換されるのですか」

 良く分からないブログになってしまった。しかし、お金は大事という常識と、お金は概念でしかない、という非常識と結び付けたら、この世を行きかう「お金」という化け物の正体に、少しは気が付けるかもしれない。自分はまだ気が付けていないけれど。

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