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哲学的思考の萌芽はポケモンカードの開封から始まった

 2022年12月23日(金)。21時23分。上皇さまの誕生日の日。令和も4年になりますが、まだ、『終業式→天皇誕生日→クリスマスイブ→クリスマス』という流れがまだ身体に染みついております。そういえば小学一年生の時のクリスマスプレゼントはゲームボーイカラーのブルーでした。カセットはポケットモンスター金。兄弟はクリスタルでした。寝て起きたらプレゼントボックスがあって、ゲームボーイカラーとポケットモンスター金が入っていました。まず、ゲームボーイカラーの開け方が分かりませんでした。こう、なんというか、任天堂独特の開け方があって、苦労しました。あと、ポケモンでは『レポートを書く』ということを毎回忘れてしまい、またワカバタウンに戻るというのを繰り返し行っていました。キキョウシティを出た後は、なぜか修行しているトレーナーがいて、そこでゲームは終わりました。後から攻略本を買ってもらい、先に草むらのほうの家に進み、ポケモンのたまごを貰わなければいけない、ということを知りました。最初のポケモンとの出会いでした。

 奇跡的なのかなんなのか。ポケモン以外にはまったキャラクターグッズというのが全くありませんでした。デジモンも、遊戯王も、デュエルマスターズも全くはまりませんでした。ポケモンもゲームはそこそこしましたが、どちらかというとポケモンカードと、モンスターコレクションにはまりました。ポケモンカードは集めるだけという感じで、もちろん、親が買ってくれるか否かなので、300円でどうにか買ってくれないかいつもねだっていました。どちらかと言うと古いポケモンカードが好きでした。裏面が旧裏のポケモンカードのほうが好きで、熊本は田舎かつ、ポケモンカードがまだ出たばかりの頃だったので、ショッピングセンターを探せば、『ジムリーダーシリーズ』のようなものがあって、『エリカのラフレシア』とか今でも持っています。モンスターコレクションは兄弟と人形ごっこのような遊びをしていて、自分が一人になると、ポケモンたちでゴムボールを使ってフリーキック大会みたいなのを一人でしていました。バシャーモとナッシーがフリーキックが非常にうまく、バシャーモは鋭く曲がる、ベッカムのようなキックをして、ナッシーはその土台から繰り出されるシュートは縦回転がかかり、リケルメのような縦に落ちるフリーキックが上手でした。キーパーはルギアがやってました。大きかったし、羽を広げている姿はゴールキーパーそのものみたいな感じでした。やりすぎて、ルギアの羽が少し欠けそうになったのは、ルギアには申し訳ないなあとか今なら思います。コーナーキックとかもやっていました。とにかく、一人で実況しながら人形たちを動かしていくのが一番好きな遊びでした。一人でサッカーボールを蹴って壁当てしている時もずっと一人で実況していました。兄弟からは変な目線で見られていました。その頃から発達障害というか、自閉症っぽい症状は出ていたのかもしれません。

 なんか、非常に長くなってしまいました。

 こんにちは。井上和音です。

 ちょっと長すぎたので、言いたいことを切り取ると、ポケモンのゲームにはさほど興味を示していませんでしたが、ポケモンの攻略本とか、ワザの名前とか、そういうのを眺めるのが好きでした。特に、ポケモンカードはゲームよりも好きでした。

 大学時代も同志社大学ポケモンサークルに入りたかったのですが、そこは残念。3DSやソフトを買えるほどお金を持っていませんでした。あと、ゲームにさほど興味が無く、『同志社大学ポケモンサークル ポケモンカード部』みたいなのを創ろうかとも考えましたが、交流することも無く、自分の頭の中だけで終わってしまいました。

 話がまたそれて行きそうですが、ポケモンカードです。そこに焦点を当てましょう。

 私がポケモンカードを買う時は、もちろん子供で、親が払ってくれるので、拡張パックを1パックか、多くて3パックくらいしか買ってもらえませんでした。

 そんな中、私はポケモンカードの拡張パックの中身は、《《開けた瞬間に中のカードは確定する。》》という不思議な考えを持っていました。

 ええ。もちろん。最初から拡張パックの中身は決まっていて、いつ、どこで開けようと、中身が変わることはありません。常識的に考えればそうで、もちろん、それ以外に現実は無いということは分かった上で、右(上)のような考え方を持っていました。

 ずばり、今考えれば実存哲学の始まりのようなことを、思考の一部として持っていたことになります。それをお風呂場でずっと考えていました。

 どういうことかというと、実は拡張パックの中身はルーレットのように色々なカードが代わるがわる表示されては、他のカードに入れ代わり、表示されては、他のカードに入れ代わる……を転々と繰り返していて、自分が開けた瞬間に、その袋の中身のカードが決定する。すなわち《《自分が認識した瞬間に、初めて現実が決定するのではないか、》》という考え方もひそかに持っていました。

 誰にも言っていません。友達に言っても馬鹿にされるだけだし、親に言っても馬鹿にされるだけと分かっていたからです。

 しかし、大学でカントと出会い、認識した瞬間に現実が決まる、という考え方は、実は近世くらいまでのヨーロッパでは、結構本気で考えられていたみたいでした。

 また、キルケゴールの、《《主体性こそは真実である。》》という言葉は、《《自分が認識した瞬間に、現実が決定していく。》》という考え方に賛成してくれるような考え方でした。だから、まあ、実存哲学にはまろうとしたのですが。統合失調症になる数ヶ月前のことでした。

 触れてはいけないところまで思考をしてしまったのかもしれません。統合失調症になり、私が哲学の研究にはまっていくことはありませんでした。中途半端に終わってしまいました。

 でも、まあ。それで幸せ……とは決して言えませんが、まあ、生き延びることは出来たし、一応仕事にも行けているしで、そして何より、原点のポケモンカードを今度は大人買い出来るまでには、経済的にも余裕が生まれました。

 大学時代、ひとめぼれしたポケモンカードがありました。 N(SR仕様)というカードです。当時は10万円とかしていたような覚えがあり、今、遊々亭で見たら248,000円で売ってありました。まあ、買うことはないでしょう。

 「こんにちは。年賀らせです。私が登場したほうが良かったかどうかはさておき。昔、オキルドさんに言われた『他の人が和音と同じ考えを持っていると考えていること自体、まだ和音があまちゃんな証拠なんだよ』と言われたことがありましたが、井上さんが『ああ、これは良いカードだな』と思ったカードって、例えば N(SR仕様)とかは、爆上がりしているじゃないですか。んで。井上さんが直感的に『これは多分こうなるな』と直感的に思ったものって、だいたい当たるじゃないですか。この二つの命題を組み合わせると、井上さんが中古で買って、もう手元にあるポケモンカード3枚も、一年後とかは価値が爆上がりしているかもしれませんね。ヒスイゾロアークとかなんで4000円で買えたのかいまだに謎なのですが。あれは『ああ、良いカードだなあ』と思ったカードでしょう。4000円で買えたのならば、まあ、良い買い物だったのかもしれませんね。

 ところで。

 言っていいかはわかりませんが、やっぱりカクヨムコンテスト8に参加した効果なのか、何も更新していないのに140PV超えていたりと、この冬はチャンスタイムですよ。カクヨムコンテスト8は実はチャンスタイムだったのです。パチンコに一回しか行ったことのない井上さんも、アプリで『パチンコ 化物語』を買って、散々やった思い出があるじゃないですか。チャンスタイムになったら押すしかないですよ。チャンスタイムというか、期間はまあまあ長いのでチャンススパンと言いますか。とにかく更新しまくりましょう。書きまくりましょう。イベントに乗っかりましょう。受賞とか出来ないと分かっていますが、少しでも多くの人に見られることがこのブログの根本的な目的でもあります。しっかり活用していきましょう。夢を見させてくれるカクヨムコンテストに感謝を申し上げましょう」

 ポケモンセンターオンラインから、まだアクリルスタンドを発送しましたという連絡は来ない。結局、自分の哲学的な萌芽があったきっかけであるポケモンカードからは逃げられず、その魅力にはまり、輪廻転生のようにまたポケモンカードに魅せられている自分がいる。ここまでの道のりの中で、哲学もその一部に過ぎなかったことは、人生すべて繋がっているという点で、不思議なものだと考えてしまう。

 明日明後日は何をしようか。何もしないかもしれない。でも何かは書くだろう。何か偶発的なことでも無い限り。今回の記事は少し長すぎてしまったと反省している。

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