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【現象学・哲学・算数・自然数】数は現実を何一つ計算することは出来ない

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 タイトルから書いています。ちなみに最初に書いているタイトルは「零」です。
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 2023年3月7日(火)。21時38分。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 「はい。こんにちは。年賀いやがらせです。

 なんかお風呂場で2進数の小数について考えていたら、『0って∞なんじゃね』とか思ったというか。知ってはいたような気はしていたのですが、改めて小数を2進数で表してみてそう思ったとか。

 あと。数学についてはほとんど定義とか知らないけれど、自然数が『1以上の整数』と決められているのは、この世に分数とか小数とか、実は人間の頭の中にしか無いから『1以上の整数』が『自然数』として定義というか、公理なのでしょうか。よく分かりませんが、なんかそう思ったとか」

 10進数の位が上がる数字は、10⁰、10¹、10²、...と表すことが出来ますが、小数に関しては10⁻¹、10⁻²、...と表すことが出来て。この時点で0を使っているような気がしますが。

 2進数の位の上がる数字は、2⁰、2¹...であり、小数に関しては、2⁻¹、2⁻²、...と表すことが出来ることを初めて知って。馴染みやすく書くと、1/2、1/4、1/8、...と表すことが出来ます。ということで2の-∞乗ってどうなるかというと、0になるわけですね。0に収束するので当たり前ですね。

 しかしながら、累乗において、決して0の壁を破ることは出来ないのは面白いなあと思いました。-1とか小学生でも習う算数の範囲なのですが、考えてみれば算数って「身の回りにある数字を取り扱う学問」として、算数って定義されていそうな気がするのですが、数直線上に、0と、-1、...が簡単に並んでいるのですが、こいつらって自然数じゃないし、算数で扱うのって累乗とか進数とか無限とか考えてみたら、0とマイナスを扱うのって実はすごく難しいのではないのかとか思いました。

 私は文系なのであれなのですが。はい。ITパスポートの勉強をしていたり、公務員試験の勉強をしていたりすると、どうしても「進数」特に「2進数」が出てきます。こいつらが高校数学で「整数」という分野で出てこなかったために、進数については非常に困っています。なんか、割り算の余りを下から数えていって、それが「10進数から2進数に変換する方法」とか言われても「どうしてそうなるのか」「そもそもの進数の定義を教えてください」「1と0だけで表される世界……」は分かりますね。確か1001を10進数に変換する方法は2⁰1+2¹0+2²0+2³1=9となるのですね。間違っていたら申し訳ありません。

 なんか後半は理解しやすいのですが。なんか合っているか怪しいですが、合っていたらいいとして、後半は合っていてほしいというか、これが進数の定義のはずだったような気がしますが。

 本題に入ると、なんで自然数って「1以上の整数」なのかなと考えていました。

 例えばマフィンが1つあります。2つに分けました。このマフィンは1/2個と言えるのかと言われたら言えないような気がしてきました。というか、言えないから自然数は「1以上の整数」として定義されているのだと思います。

 この場合、マフィンは1/2個になったわけではなくて、「体積の小さなマフィンのようなものが2個」できたと考えるのが自然なのかなと思われます。なので、どんなにマフィンを粉々に分割していっても、分数で表されるわけではなく、「体積が粉々になったマフィンが34個」とかに表されるのかなと思われます。

 ここで哲学というか、自然数の定義に当てはめるのならば、「マフィンはどこまで粉々にしても《《『マフィン』と名付けることが出来るのか》》」という、数学から哲学へ問題がチェンジしてしてしまうわけですね。マフィンを粉々にして、「これをマフィンだ」と言う人がいるのかどうか。「いや、これはどう見ても『マフィン』ではなくて『パンくず』じゃん……」と言ってしまう人が常識だと思われます。この際に「『マフィン』が34個」という認識から「『パンくず』が34個」という文章に変わってしまいます。しかし、これでは何かがおかしいのです。

 そう。これでは、算数の、小学一年生で最初に習う計算の大前提「同じ単位の数でないと数式として扱えない」という定義が崩れ去ることになってしまいます。日本の独特の数え方である「個」というものを使ってしまいましたが、「『パンくず』が34個」とは普通は言わずに「『パンくず』が34粒」と言うのが普通かと思われます。自然数の中で、無理やりに分数等を使わずに整数だけで表してしまうと、「単位が等しい時だけ数式を扱える」という前提が崩れてしまいます。これは、自然数ですら、この世を数式で扱うことが出来ないというか、算数の定義によって、《《自然数が現実世界から排除されることを意味します。》》おかしいですね。算数って身の回りにある現実を計算に落とし込めるために、《《目に見えるものを、いち、にい、さん、...と数えるための学問》》だったはずなのですが、算数という言葉の意味すらも、実は《《現実世界を数式に置き換えることは実は出来ない》》ということを表しているかのような、まさに皮肉な出来事が起きてしまうのです。

 そもそも。数学と算数の違いってなんだ。算数って確か、「日常生活において、計算などが出来るようになるための学問」と定義されて、数学は「概念上で論理的に記号を……展開、するもの……」なのかな。よく分かりませんが、算数は「目に見えるもの」数学は「概念上のもの」として理解していましたが、算数においても、自然数のみを使う場合によりますと、単位が変わって、日常生活では使用が困難になってしまうケースがあるようです。しかし、分数とかも算数の分野ではあるので……しかし、分数を使って分割していっても、元の単位を保ち続けることはほぼ不可能で……ということは、「算数とは目に見えるもの」という考えは通用しなくなります。

 結局数として、計算のまな板の上に乗せた瞬間に、現実は現実で無くなり、現実で区分けされている名称や単位なども変わっていってしまい、《《本当のところは》》算数ですら現実を計算することは出来ないのかなとか思いました。

 哲学と算数と数学と現象学の交わりでした。タイトルも変えましょうかね。

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