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【歌評】Hello, Again 〜昔からある場所〜 / My Little Lover / 1995年 / 作詞:藤井 謙二

──『自分の限界がどこまでかを知るために 僕は生きている訳じゃない』──

☆☆☆
 歌詞の引用部分は『』になっています。著作権違反とならないように慎重に書いていきます。
☆☆☆

 自由に書こうと思う。
 自由に書いていいのか、分からないが、文章が主、引用が従となるように書いていく。

 幻聴でダメと聞こえてきたが、書こうと思う。

 まずは冒頭で書いたあの引用。

 『自分の限界がどこまでかを知るために 僕は生きている訳じゃない』……①

 恋愛ソングである。それも恋が終わった後も、彼女と別れた瞬間を思い出しながら、一人、思いを巡らせている歌である。

 もう一つ引用を載せようと思う。

 『泣かないことを誓ったまま時は過ぎ 痛む心に気が付かずに僕は一人になった』……②

 ②はサビの直前で語られる、強がっていた頃の自分への正直な気持ちである。『一人になった』と書いてある通り、別れてから恋愛などせずに『一人』のまま生きていくことを考えているが、①の歌詞にあるように『一人』で生きることに限界を感じた青年が、別れた時の相手からの言葉を反芻する。それがサビの最大の呼び込みとなっている。

 『“記憶の中でずっと二人はいきていける” 君の声が今も胸に響くよ』……③

 このサビを聞けば、「ああ、あの曲か」と分かってもらえると思うが、このサビを反芻しながら①の『自分の限界がどこまでかを知るために 僕は生きている訳じゃない』という歌詞が流れてくる。

 すなわち、この曲は彼女と別れたあとに、次の彼女を、支えてくれる人を持ってもいいのか、という歌の意味になる。③の『君の声が今も胸に響くよ』という歌詞から分かる通り、次の恋へと進んでいいのか、いや、進む。ありがとう。別れてしまった大切な人よ。と、そういう歌になっている。

 青春真っ盛りの、リアルな恋愛心情を描いた素晴らしい歌となっている。

 しかし、私が冒頭に歌詞を掲げた理由は違う意味で歌詞を捉えたからだ。『自分の限界がどこまでかを知るために 僕は生きている訳じゃない』という歌詞が胸に刺さったからである。

 私は自分の限界が、恋愛への希求だけでなく、病との戦いの中でも微調整しながら生きている。統合失調症になったからなんだというのだ、という厳しい姿勢でパートタイマーに向かっているし、賃金が低いからなんだ、という気持ちで仕事に打ち込んでいる。

 そんな中で、冒頭の歌詞を突き付けられた。元々京都の大学生時代に借りたCDがウォークマンにたまたま残っていて、それをパソコンに入れた後、長らくウォークマンには入れていなかった。簡単に言えば容量の問題で入れれなかったが、そのせいか、知っている歌のはずなのに、久しぶりに聴いて心が震えた。

 『自分の限界がどこまでかを知るために 僕は生きている訳じゃない』

 私は常に自分の限界を、薬を飲むことによって無理やり突破している。そんな人生の中でこの歌詞が来たら、正直かなり刺さる。仕事をするのは当たり前だが、限界までする必要性はない。「限界に挑戦するのが人生だ」という風に、私はいつのまにか自分を自分で縛っていたのかもしれない、と、ふと気が付いた。

 自分の限界を知る前に、心地よく生きる方法を模索するべきだと気付かされたフレーズであり、歌になった。

 恋愛で迷っている青春時代の人にはぜひ聴いてほしい、新しい人生、新しい恋愛へ一歩踏み出すための勇気をくれるかもしれない。

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