見出し画像

愛はやり直せるのか?映画『マリッジ・ストーリー』に答えがあった

「愛することは技術だ」と言い切ったエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んで衝撃を受けた話を先日書いた。

この本を読んでいたら、次のようなことが思い浮かんだ。

愛が技術なら、壊れたとしても修復できるのでは?

恋は一度醒めるともう二度とは戻らない。「生理的に無理」のような状態になってしまう場合はなおさらかもしれない。だけど、愛するということが技術なのであれば、感情を技術によって乗り越えることができるのではないか?

愛の修復可能性。このことについて考えながら、今まで観てきた映画を思い返していると2本の映画が思い当った。『マリッジ・ストーリー』と『寝ても覚めても』。観返してみると、以前観たときとは全く違った映画に見えてきて、まさに「愛の修復可能性」そのものについて描いている映画だと思えたので、引用しつつ解説していきたい。

『マリッジ・ストーリー』が描く、離婚に向けて争う2人とそこに残る愛

映画『マリッジ・ストーリー』では、離婚調停中の夫婦の間に残る愛について描かれている。(ネタバレなので注意)

あらすじ
女優のニコールと夫で舞台演出家のチャーリーが結婚生活に葛藤を抱え、離婚に向かっていく姿を描いたヒューマンドラマ。結婚生活がうまくいかなくなり、円満な協議離婚を望んでいた2人だったが、それまで溜め込んでいた積年の怒りがあらわになり、弁護士をたてて争うことになってしまう。

まず冒頭から「お互いの好きなところ」について書いた手紙を読み合うシーンから始まり、その幸せな思い出がすでに過去にものになってしまったことが観客に明らかにされる。この時点で「ああ、愛の終わりについての映画なんだ」とわかり、切なさが映画全体のムードを覆っていく。

互いに夫婦としての情のようなものはありつつも、徐々に対立が激しくなり、しまいには弁護士を立てて子供の親権について法廷で争うことに。法廷ではお互いにとって不利な情報をリークし合うような泥沼の様相になる。

愛がまだ残っていることについて描かれているシーンの1つは、2人の不満や怒りがピークに達し、激しくぶつかり合う、夫の家での言い争いシーンだ。この映画の中でもとりわけ見ていてつらくなる、やめてくれと言いたくなるような言い争い場面。

言葉はどんどんエスカレートしていき、夫が妻に対して「君なんか病気か交通事故に遭って死んでしまえばいいのに!」という言葉を言い放ってしまう。あまりにもつらく、取り返しがつかない言葉。しかしその直後、「なんてことを言ってしまったんだ」とばかりに泣き崩れる。取り返しのつかない言葉を言ってしまったはずの夫を抱きかかえる妻。

本心から言った言葉ではない、それはお互いにわかっているということが、言葉を交わさずとも通じ合っている美しいシーンだ。

靴紐を結ぶ=愛はやり直せるという強いメタファー

その後、離婚は成立し、親権は妻側が有利な形で決着が着く。夫は妻の新居に子供を迎えに来る。そこで冒頭の「お互いの好きなところ」について書いた手紙が再び登場する。

子供が妻が書いた「夫の好きなところ」を声を出して読み、夫がそれをサポートしながら一緒に読んでいく。夫は手紙を読みながら涙が止まらなくなる。部屋の外でその様子を見ていた妻もまた、涙を流す。最もこの映画のテーマを表現しているシーンだろう。

冒頭では「失った愛」の描写として描かれた手紙だったが、ラストでは「まだ残っている愛」についての描写として登場している。

今観ると「まだ残っている愛」のシーンとして解釈できるのだが、以前観たときは、まだ愛し合っているのにもう二度と戻らない愛の切なさについて描いたシーンと解釈していた。

こう思ったのは僕が「愛は一度壊れた修復できない不可逆なもの」だと考えていたからだ。しかし、「愛が技術によって修復できるもの」という視点で見ると、全く別のシーンに解釈できるから不思議だ。

「修復された愛」について描かれていることを裏付けるようなラストシーンがある。父親が息子を連れて自動車へと向かい、それを見送る妻。妻は夫の靴紐が解けていることに気づき、呼び止めて靴紐を結ぶのだ。

これほど愛の修復可能性について、的確に描かれたシーンがあるだろうか。

「解けた靴紐を結ぶ」というのが関係の修復のメタファーであることは明らかで、こんなに明確に「愛はやり直せる」ということが描かれていた映画だったのか!と感動を覚えた。

2人の愛はこれから先もきっと続いていくのだろう。それは夫婦関係とは異なる形かもしれないし、もう一度夫婦に戻るという形すらあり得るのかもしれない。

もう1本、愛の修復可能性について描かれた映画として『寝ても覚めても』について書きたかったが、長くなったのでまた別の記事で書く。

セカイ系や超越系的なロマンチック・ラブはもう諦めた

愛についての映画といえば、ちょうどBRUTUSが愛をテーマにした映画特集を組んでいた。

買って少し読んでみた。僕がつい最近まで好んでいて、今でも憧れを捨てきれないでいる、「ある瞬間たしかにあった、永遠にも思える恋愛」について描いた映画を、そのような点を評価して選んでいる人たちがいた。

セカイ系」と呼ばれるようなジャンルであったり、宮台真司が言うところの「超越系」というような恋愛について描いた作品のことだ。

『マディソン郡の橋』で描かれた若い頃の数週間の恋を死の間際に最も幸福な日々として思い出すような、『牯嶺街少年殺人事件』『秒速5センチメートル』で描かれた大好きな子が世界のすべて(その恋が叶わなければ世界はいらない)というような、超越的で破滅的にもなり得る世界観。

そうしたロマンチック・ラブを煮詰めきったような恋愛への憧れを未だに捨てきれないのはたしかだけど、今はもうそうした映画に100%思い入れを持ったり、そうした恋愛を自分が経験することはないんだろうなと思うと少し寂しくなった。

BRUTUSのこの特集は僕的にはタイムリーなので、特集で紹介されている映画の中から「愛の修復可能性」について描かれているであろう作品をひたすらピックアップしてレビューしていこうかな、と思った。

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,733件

#映画感想文

66,996件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?