音楽と凡人#21 "これからのことだけ考える"
手術台の上で天井を見上げながら、たくさんの人が忙しく私の体に様々な機器をとりつけていくのを目の端で眺めていた。準備が整いしばらくすると、私の血管の中に麻酔薬が流し込まれていくのをしっかりと感じた。薬は一瞬で私の中を満たし、手術台のベッドがゆるりと沈み込んでそのまま暖かいお湯の中に全てが溶けていくように私は意識を失った。
0秒後にはベッドの上であった。間違って水槽の中に落とした機械のように私はすぐ陸に引き上げられた。体はひどく重たく、身動きがとれないほど全身が打ちつけられたように痛かった。病室のベッドの脇では母が不安な顔の上に安堵の表情をのせていた。
実際には多くの時間が過ぎていた。手術は予定よりも長引き、何時間も私は意識を失ったまま手術台の上にいたらしい。しばらくして手術をしてくれた先生が私の病室にあらわれ、思ってたより大変だったよと言い、私は礼とともにはにかんだ返事をした。再発率を下げる手術は無事成功した。
本調子に戻る前、ライブ中に一度なってしまったことがある。2曲目で呼吸が苦しくなりそのまま4曲歌いきって最後の1曲をやらずに出番を終えた。その日は東京の事務所から大阪のライブハウスまで大人が何人か見にきてくれていた。私は肺のことはメンバーとライブハウスの人以外には言わないようにしていたので、ライブ後に事務所の人たちに話しかけられなぜ早く終わったのかと聞かれた時、浅い呼吸で適当にごまかして話した。その日その後の対バンのライブは見ず、もやもやした気持ちのまま京都の病院へ向かった。
私の中でこの一連のできごとはあまり振り返りたくない思い出として同じ引き出しにしまっていた。もともと心配性の私は術後しばらくは大声を張り上げるのがこわかった。それまではライブ中は歌うこと以外余計なことを考えず集中し、また緊張もしない性格であったが、肺に対する不安のために雑念が混じってしまっていた。歌詞をちゃんと間違えずに歌えるかみたいな以前は考えたこともないような不安にまで派生してしまったりもした。煙草もやめてしまったし、それまでは誰に言われても自分が一番だと堂々胸を張っていたところに冷たい水をかけらたように中途半端な態度になってしまった。
しかしこうして振り返ってみると、それらを一つのストーリーに仕立て上げるのは傲慢だと思い直した。バンドがうまくいかなくなった原因のひとつになった可能性はあるかもしれないが、他にももっと多くの原因があった。自分の選択ではないアクシデントに全ての責任を委ねることで自己解決していたのかもしれない。かといってそんな自分を責めたくもない。その時はきっと心がいっぱいでもっともらしい理由を一つでも増やしたかったのだろう。しかし、これからは自分の選択で変えていく。自分の選択によって未来を勝ち取りたい。
今回は文章がまとまらず、書き直したいような気もするが、現時点での記憶の魚拓をとるように乱れたまま保存する。私の中で記憶にふたをして考えないようにしていたことであり、またそれだけロックバンドのボーカルとしての態度に関わるようなできごとであったような気もしながら過ごしてきたことであった。いずれまた整理するように書く時があってもいいのかもしれない。
白昼夢から目覚める様に現在の自分へと語りがスライドしてしまい、どのような体裁をとろうかよくわからなくなってきてしまった。今回は「手術」というタイトルで書き出したが、思い出しながら話しているうちに現在の自分へ帰ってきた。私はあと四日後に三十路になる。予定通りいかぬ人生に眠れぬほど焦ったり、またどうしようもないフリーターの様に一日を無為にして過ごしてしまったりしている。勢いで上京したことに後悔はないが、金もない。
そろそろまともに働けと言う人が周りにいなかった為に私は甘えていたのかもしれない。興味がなかったり、他人の人生なのでどうでもいいと思われてたりする場合もあるかもしれないが、こいつなら何か面白いことをしてくれそうだと本当に思ってくれている人もありがたいことに周りにいる。人に恵まれている。その優しさに甘んじている場合ではない。
近いうちに新たに始める活動について報告したいと思う。