今を苦しむかつてのわたしへ贈る言葉(或いは接客業のススメ)


苦しんでいる人に根拠もなく「大丈夫」と言うほど無責任なことはない。
いつの間にかわたしは他人の相談に対して力強く背中を押すことが出来なくなってしまった。しかしこんなわたしでも、かつてのわたし自身を励ますことくらいは出来るだろう。

今のわたしが周囲からどんな印象があるかわからないが、かつてのわたしはというと、(今のわたしから見れば)随分荒んだ人間だった。
自己中心的で、自分の思い通りに事が運ばなければすぐ癇癪を起こす。そしてそんな自分をコントロールすることすら出来ない。我ながら酷いやつだった。他人が嫌いで、自分も嫌いで、その実誰よりも自分が可愛くて、そんな自分をまた嫌いになったりしていた。アイデンティティは当然のごとくぼろぼろだったし、1人前に世界の摂理を疑ったりなんかもしていた。

恐らく誰しも、大なり小なりこういう時代を過ごした筈だし、過ごしている筈なのだろう。けれどもどうやら人は、悩みや苦しみを自分だけのものと思って抱え込んでしまう生き物らしい。
それは半分正しくて、半分間違っている。確かに自分が抱えている苦しみは、紛れもなく自分だけのものである。しかしそれがもし、誰しも持ちうる可能性があるものならば、自分以外の人間がその答えを持っていても不思議ではない。
例えば「みんなそうだよね」や「なんとかなら出来て当然、当たり前」や「疑いのない普通・常識」といった言い回しに代表される過度な一般化は人を苦しめ、絶望の淵へ追いやる。しかしある程度の普遍性は時として人を救うこともあると思う。だからこそ人間は書を読み、音楽を聴き、ありとあらゆる芸術を愛でるのだろう。荒みきっていたわたしは、中学、高校と何か答えを求めるように本や演劇に耽溺していった。救ってくれる直接的な人間は居なくとも、文化や芸術が少しだけ、当時のわたしの気持ちを前向きにさせていた。

「人と話すくらいなら、死んだ方がマシ」

ずっと口癖のように言い続け、ごく親しい友人と家族以外には頑なに口を噤み続けた中高時代。まともに人と話せなかったわたしだが、大学入学を機に始めた接客業を続けて約4年になる。

何故接客業を選んだのか。しかしこれは自分を変えよう!という積極的な意思ではなかった。単純に誤解から始まったのである。
わたしが働いてきたのは地元の映画館だ。大手シネコンのひとつで、ひと口に映画館のアルバイトといっても、多様な業務内容がある。場内の清掃のイメージしかなかったわたしは、「従業員募集」のポスターの福利厚生欄にあった映画無料鑑賞に惹かれ、邪な気持ちで応募し、そして見事採用された。
最初に配属されたのはコンセッションという部署。ポップコーンやドリンクを作り、販売する。つまりごりごりの接客業だった。セクションをこちらから選ぶことは出来ないため、半ば騙された気持ちでやり始めることになる初めてのアルバイト。しかしこれが案外面白かった。後に清掃部門やチケット販売、グッズ販売も経験し、約4年かけてほとんど全部の仕事を経験したが、それら全てが接客業であり、ずっとお客様が第一であることに変わりはなかった。しかしそのどれもが、楽しい仕事だった。

勿論楽しいだけではなく、辛い局面もあった。往々にして接客業をしていると「お客様は神様」もいいとこな、甚だお門違いのお客様も現れる。訳の分からないクレームを受けたり、理不尽な思いをすることもある。それはお客様との間だけでなく、従業員間でも然り。様々な失敗もしたし、自らの不甲斐なさに泣いたことも数しれない。しかしその全ては、お客様の笑顔の前には不思議と霞むのである。単純な話だが、「ありがとう」の一言や、「また来ます」といった常連さんの馴染みの挨拶が、いつしかわたしの身体に染み込んでいた。たとえなんの反応もなかったとしても、映画を観終わった人々の顔の綻びや泣いた痕、満足気に帰る姿を見て、自然と深々と頭を下げるようになっていた。
良かったなぁ、と思う。後から振り返れば何も特徴のない、記念すべき日ではなかったにしても、いい思い出になるような、そんなたくさんの人々の日々を映画を通して創出する。自らの仕事に誇りを持てるようになった。その矢先だった。

新型コロナウイルスと、それに伴う緊急事態宣言によって、仕事がなくなった。

かつてないほど映画館は閑散とした。普段はどんなに閑散としていても1日で1000人ほどは動員する劇場であるにも関わらず、1000人を切り、500人を切り、100人を切った。同時間帯の全てのスクリーンの電源を落とさざるを得ないこともあった。そしてついに1日の動員が30人程度になった頃、県からの要請により約1ヶ月の営業停止となった。10年以上地元に愛された劇場の、リニューアル工事の5日間を除けば初めての、完全閉館だった。
一介のアルバイトであるわたしにはどうすることも出来ないことである。鬼滅もポケモンもドラえもんも上映したにも関わらず、会社の全体決算としては始めての赤字であったらしい。ただただ悲しかった。無念だった。ウイルスの猛威を前に、人は無力だった。

名作になりえたかもしれない映画の早期終了。
期待されていた大作の度重なる延期、または映画館での上映をやめ、各種配信サービスでの配信への変更。
そして明らかに減ったお客様と、見えなくなった口元。にこにこしているのかも、不服なのかも分からない表情。

悲しかった。本来有り得たはずの光景は一変した。従業員間のコミュニケーションの機会も当然減り、働く意義さえ見失いかけた。しかしそれから早1年が経とうとしている。
少しずつではあるが、回復の兆しは見えていると思う。1席置きの異様な千鳥格子の客席はもはや過去のものとなり、1回の上映に動員が100人を超える回も出てきた。一気に大変になるのも辛いが、なんだかほっとしている自分もいる。勿論、「不要不急の外出」は依然として控えなければならない情勢は続くだろう。まだまだ希望を持つには早いのかもしれないが、一時の絶望的状況を鑑みれば、明るい未来もそう遠くないのかもしれないと思う。ちなみにどこの劇場も店としての感染症対策はこれでもかというほど行っており、国からのガイドラインも厳密に遵守しているので、体調が万全であれば、是非大スクリーンで映画を観て欲しい。

こんなご時世だからこそ、意味ある時間を作りたい。
気分が塞ぐ時だからこそ、せめて接客は明るくしたい。
笑顔で気持ちよく迎えたいし、快く送り出したい。


いつしかわたしの悪癖は鳴りを潜め、わたしは積極的に人に話せるようになっていた。


約4年をこうしてごくごく簡単にダイジェストにしてみたが、実に色々あった。面白珍客エピソードとかも書きたいところであるが、それはまた機会があればお伝えすることにする。

そして今日、無事に最後の出勤を終えた。
研修シートをシュレッダーにかけ、支給されたロッカーやレターケースを空にする。タイムカードや貸与のグッズを返却する。それだけでも数々の出来事が蘇り、流れそうになる涙を堪えながら、淡々と手を進める。
制服を、クリーニングに出す。これを返せば、もう働いた日々は完全に過去のものとなる。いつしか人との会話も、映画も、映画館という空間も、わたしの生活の一部となっていた。
急に辞める実感が湧く。別れはどれほど経験しても辛い。喪失感は後から訪れる。

作業中にとったメモも、4冊目に突入していた。
それらを捨てることだけはどうしても出来ず、静かに持ち帰ってきた。大切な宝物となるだろう。


いつかのわたしが今のわたしを見たらどう思うだろう。ひとり感傷に浸り涙を流す姿を、不甲斐ないと笑うだろうか。わたしはそうは思わない。

絶望するにはまだ早い。

「大丈夫」だと、根拠を持って伝えたいのだけれど、上手くいくだろうか。「誤って」選んだ接客業で、人を好きになることもある。数奇な出会いだったが、良い方向に転がった。


何物にも代え難い大切な経験が、またひとつ増えた。悲しむことはないだろう。今日は今までの日々の終わりであると同時に、新たなわたしの始まりである。

培ってきた笑顔をなんとか保ったままスタッフに挨拶をし、わたしはひとり、事務所を後にした。



新しいキーボードを買います。 そしてまた、言葉を紡ぎたいと思います。