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原点であり頂点だった自己表現。

元同僚と「餃子会~夏の陣~」と称して、仲良し四人組で餃子を食べに行ってきました。



その時にふと「自己肯定感」の話しになったのですが、「井上は自己肯定感が高いよね」と言われたんです。

自己肯定の低さ日本代表を誇っている私は「いやいや…!めちゃくちゃ低いって…!」と言ったのですが、三人から「いやいやいや!」、私も負けじと「いやいやいや!」とお互いにいやいや祭り。

話しを聞いていると、「井上は評価を気にしてない」という話しをされたのです。

めちゃくちゃ気にしてましたがな…!と反論したところ、他の人よりも気にしてないとのこと。

確かに考えてみれば私にとって仕事は「お金を稼ぐ手段」で、本当に自分が評価されたかったのは仕事ではなく創作のほうだったからなのかもしれない。

ああ、そうか、そうかもしれないぞ…とあつあつの餃子をはぐはぐと食べながら思ったことがあったのです。




確かに私は仕事に関して、心のどこかで「これで私の良し悪しが評価されてたまるか」と思っていた節があります。

もちろん仕事は一生懸命やっていたしサボっていたわけでもないけれど、「私が評価されるフィールドはここがすべてではない」と頭の片隅で思っていたので、その感じがにじみ出ていたのかもしれない。

じゃあなぜ自分のことを「自己肯定感が低い」と感じているのかというと、やっぱり20代の頃、本気で芝居の道を志していたけれど箸にも棒にも掛からぬ現実があったから。

創作活動の一つとして音声配信をやっていた頃も、ここでだめだったら本当に自分は才能がないのかもしれない…と自分を追い詰めてしまうようになったのです。

配信自体はプロ意識を持ってやるものではなく、もっと気楽にやるものなのですが、「自分の良し悪しを決められてしまうもの」という意識に変わってしまっていました。




結婚をしても、仕事を辞めても、そこのピースだけがぽっかりと空いてしまっていて、仕事終わりの夫を捕まえては「そこだけが埋まらないんだ…」と毎晩毎晩話していたのです。(迷惑)

結局話しをまとめると「創作で多くの人に認められたかった」ということと、「創作でマネタイズがしたかった」ということでピースが埋められなかったのですが、その時に夫から「多くの人ってどういうこと?」と聞かれたのです。

「多くの人は多くの人だよ」と私。
「具体的に何人?」「何人…?」「何人いれば認められたことになるの?」と。

「い、いっぱいだよ…!!!」と鼻息荒くぷんすこ言っていたのですが、夫に言われて私は完全にそのあたりがもうわけがわからなくなってしまっていたことに気付きました。

「最短距離で」とか「最速で」という言葉に踊らされていて、早く目的にたどり着かなきゃとか、誰かと比べて早く達成しなきゃと生き急いでしまっていたし、夢や目標は早く叶ってしまったほうが気が楽だともどこかで思っていました。

そしてそれらをやる時に、自分自身に期待をしてしまっていたんだと思う。

だから叶えられない自分がだめなやつに感じてどんどん落ち込んでいき、私の自己肯定感は「探さないでください」と置き手紙を残し家出をしてしまったのです。



「創作」と言ってもいろんな表現の仕方があるのに私は一個のやり方に固執してしまっていて、苦手なことをひーこらやっていました。

ゲーテの言葉で「人生とは速度ではなく方向である」というものがありますが、本当にその通りだなぁと。

見る方向を見誤ってはいけないと思いなおし、考えていることを紙にひたすら書き殴ったり、忙しそうにしている夫をまた捕まえては自分の思いを話すということを毎日繰り返して過ごしていました。

それらをしていて気付いたのは、自分の創作活動の原点は「親しい人に見てほしい」という小さなものから始まっていたこと。

母に「ムーンライト伝説」をかけながらノリノリで踊っている自分を見てほしいところから始まっていたんです。

「あれ、なんだ、そうだったじゃん」と気付いた途端にすこーんと目が覚めた私。

全世界の人は無理でも、身近な人を笑顔にしたり、共感しあえたり、共鳴しあえたりすることはもしかしたらできるかもしれない。

ピースを埋めることに必死になっていたのですが、そこが埋まろうが埋められなかろうがこの原点を忘れなければきっと大丈夫なんだろうなと改めて思えたのでございました。




まだまだ私は志半ば。

暑苦しいかもかもしれませんが、これからも私の奮闘記にお付き合いください。


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