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性格が歪んだ浪人生時代の選択


僕は大学受験に失敗して浪人した。
浪人するにあたって、「友達を作らない」という選択、言い換えると自分ルールを設けた。


振り返るとこの時の1年間で性格が歪んだと思っているので当時のことを書こうと思う。


高校卒業時には当然ストレートで大学に合格した同級生もいたし、浪人する同級生もいて、浪人自体は珍しいことではなかった。


浪人時代は河合塾町田校へ通った。
月から金までで授業が組まれており、志望校別のクラスに分かれるため、学校のような感じだった。


当時の講師が言ったことを今でも覚えている。


「浪人生で現役時代より良い大学に行ける人は2割、変わらない人は6割、現役時代より下がる人が2割いる。」


「現役の時より、良い大学に行ける2割になるためにお前ら、本気で勉強しろ」


予備校は学校的なクラスの雰囲気ということもあり、自分の性格的に流されそうと思ったため、自分ルールを決めた。


•教室で友達を作らない
•携帯を使わない


◆◆◆


予備校が始まるとクラスのひとは群れ始め、友達を作っていた。僕は自分ルールがあるため、ひとりポツンとしていた。


今までの人生、いくつかコミュニティに属してきたが、誰とも話さず1人を貫いたのは浪人時代だけだった。


当時は浪人で群れてるやつは糞だ。と思っていたし、そんな奴らに絶対負けない…若干僻みも入った歪んだ考え、気持ちを持っていた。


勉強だけしていてもお腹は空く。
お昼はどうしていたかと言うと、外で食べていた。毎朝、母親がおにぎりを作ってくれていたのでそれを公園で食べた。


おにぎりを食べながら、現役で大学合格した人たちは今頃大学生ライフを満喫しているんだろうなぁ…と思いながら、悔しいというか惨めな気持ちもありつつ


絶対負けないというたぎる気持ちも持っており、非常に歪んでいた。


また、この頃はフリーターでも学生でも何にも属さない浪人という自分の立場を惨めに感じ、常に自分を卑下していた。


この思考は今の自分に結びついているような気がする。


高校時代からの優しい友達は息抜きで遊びに誘ってくれて遊んだりしていたが、頭のどこかで勉強しなきゃ…と思ってしまい、浪人させてくれている両親に申し訳ないという気持ちだった。


◆◆◆


クラスで孤高を保っていたことが象徴されるエピソードがある。


世界史のクラスでは模試後に1-3位まで名前で発表された。世界史は好きだったので名前を呼ばれる事が多かったのだが


世界史の先生が


「1位!〇〇(僕の名前)!」


と呼んでも周りのひとは〇〇(僕の名前)という人とは喋った事がないので、そんな人が存在するのか?誰?とざわつきポカンとしていた。


名前を呼ばれる人は陽キャな人が多く、名前を呼ばれたら返事をして、友達から称賛を受けていたが、僕は当時相当捻くれていた&恥ずかしい&模試で上位でも意味ないという気持ちがあって、名前を呼ばれても返事をしなかった。


返事をしなかったため、講師も困惑した様子だったが、謎の人物が成績上位者にいるのも面白いなと思い、1年間を通し返事をすることはなかった。


◆◆◆


全く人とコミュニケーションを取らない日々が春夏秋と続き、冬を迎えた。最後の模試で志望校は「E判定」


秋まではB、C判定だったが
現役生の伸びによって、合格率20%以下の状態で本番を迎えることになった。


この時の焦りやもしかしたら2浪するじゃないかという不安、プレッシャーがすごかった。


もう大学受験は10年以上前の話で
社会人になった今でも、この時の夢を見る時がある(笑)


夢から覚めると、「いやいや、もう社会人!」と気づき、この時だけは「普通に働いてるって幸せだな〜」という気持ちで出社している。


◆◆◆


私立受験だったため、あまり関係なかったが
当時でいうと、センター試験の日。


2回目のセンター試験。
僕は年子の兄妹であるため、妹も同じ会場で受験。


手応えは非常に悪く
自己採点をした結果、国語に関しては現役時代よりも悪くて絶望した。


こんな絶望状態のなか
私立受験に突入していくのだがスケジュールがこんな感じだった。(ざっくり)


①上智大学法学部

②上智大学経済学部

③MARCH大学経営

④早慶大学商学部

僕は経済系を希望していた。
上智大学は受験シーズンのなかでも1番受験日が早く慣れるために受けたような大学だった。


法学部は全く興味がなかったが受験した。
まぁ、受かったらラッキーくらいの感覚


上智大学法学部は選択式の回答だった。
正直わからない問題が多く、えんぴつを転がして回答を埋めた。


③の受験前に
①の上智大学の結果がわかった。


上智大学法学部は合格、
上智大学経済学部は不合格。

この時点で現役時代よりは良い結果であるため、法学部でも嬉しかった。やっぱり浪人した甲斐があった。これはこの後に続く受験も期待できるぞ!!と手応えを感じていた。


しかし、その期待とは裏腹に
この後は面白いように全部落ちた。


※そもそも受験をやめた大学もある


さらにMARCH経営学部を滑り止めで受験しており、妹も受けていたのだが、僕は落ちて妹は受かるという事件も起きた。


友達も作らず勉強して志望校に受かった。というサスセスストーリーに出来れば良かったが、鉛筆転がして受かったラッキーストーリーになってしまった。


法学部は全く希望していなかったが
現役時代よりも良い結果なので、そこに行くことにした。というかそこしか受かってないので…


合否発表で記憶に残っているのは
上智法学部が受かった時に母に伝えた時に、僕よりも嬉しそうで泣き出したことだった。


それまで泣いているところを見た事がなかった為、非常に記憶に残っており、迷惑をかけてしまったなぁ…と言う気持ちになった。


全く希望していなかった法学部だが
そこでコンパクトシティ(現在でいうスマートシティ)の勉強をして、現在の仕事でもスマートシティをやっているので、自分の人生ってラッキー続きの人生だとよく思う。


※現在の会社もグループ会社の最終面接で落ちたが、何故か本体のほうで採用された経緯もある


◆◆◆


予備校に結果を報告
チューター(クラスの担任的なひと)からは「こいつ…喋った!!」みたいな反応だったことを覚えている。


そして浪人開始時に講師が伝えた
以下の言葉の結果だが、本当にその通りの割合になっていた。


「浪人生で現役時代より良い大学に行ける人は2割、変わらない人は6割、現役時代より下がる人が2割いる。」


自分の性格を理解して、「浪人時代は友達作らない」という選択をしたのは、今振り返っても正解だったと思っている。


1年くらい誰とも喋らず、どのコミュニティにも属さず、一匹狼的な過ごし方するのもいいじゃないか。


しかし、その代わりコミュ力を失った。
大袈裟かもしれないが、声がしっかり出せないのだ。


◆◆◆


浪人するか悩んでいる人がいたら、浪人はお勧めしない


とりあえず志望校じゃなくても大学に入学してやりたい事をやるべきだと思う。


当時は思えなかったが志望校に行けたから、人生がどうなる訳ではないし…僕のようにラッキーな事がラッキーを呼び、志望校じゃない大学で勉強したことが結果、偶然仕事に結びつくケースもある。


結論にはなるが
浪人は辞めておけ、精神を壊す


#あの選択をしたから

久しぶりに浪人時代のことを思い出しながら記事を書きました。当時は発散する訳でもなく、自分の中で滾り散らかしていました。予備校のクラスで友達とワイワイ勉強するひとを見ては、あいつよりは良い大学に行こうと滾り、友達が多いその人を妬み、でもその人より良い大学行けなかったら、どうしよう。僕は友達を作らず頑張っているのに!と考えたり…歪んでましたね。でもそういう歪みがパワーに繋がることもあると思うので、浪人は良い経験だったと思うようにしています。

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