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孤独は創造の庭 ~「孤独」×「アート思考」で才能が開花する~

井ノβe太です。

最近アート思考にどっぷりハマってしまい早速実践しているのですが、日常が新しい方向へどんどん変化していく様を目の当たりにしているような感覚があります。

鉄は熱いうちに打てという諺のように、「鉄」という内なる欲求が熱を帯びたら、すかさずいろんな角度から打ち続けていくことが大事です。その試行錯誤の末にアイディアは洗練されて形作られ、結果クリエイティブに繋がるのだと思います。

今回は孤独とアート思考の親和性について原体験を元に、ありのままに書いてみます。私が影響を受けたビジネス書をエビデンスとして紹介しながら、知と知の組み合わせによるクリエイティブ度も検証します。長くなりますがさっくり読んで頂けると嬉しいです。

◆孤独な日々と「変わりたい」という思い

本記事の導入として私の孤独な日々の変遷と、そこから実感した孤独の効用についてお話ししたいと思います。

私は挫折の多い人生を送ってきました。挫折を何度も繰り返しているうちに心は荒んでいき、趣味は楽しめなくなり、仕事にも打ち込めず、誰かに助けを求めることもできない…いったい何のために生きているのかわからなくなってしまった時期がありました。夜は眠れず朝は起きれず、結果は出せず評価はされないというような悪循環を自覚しつつも抜け出すことができない。それは闇の中を彷徨うような毎日でした。

そんな孤独でつらい日々の繰り返しの中で、自分の奥底からこのままじゃ駄目だ、「変わりたい」という強い思いが芽生えました。今思えば、孤独の効用によって内なる根源的な欲求が呼び起こされたのかもしれません。それからは「変わりたい」という強い思いに突き動かされ、人生にとって「役に立つ」情報を追究しては実践するようになりました。

◆「役に立つ」を追究して変わっていく日常

私は「変わりたい」という強い思いによって、脇目も振らずに大量のビジネス書を読み漁りました。
「習慣化」「健康法」「集中力」「勉強法」「心理術」「時間術」「人間関係」「仕事術」…。

このときにメンタリストDaiGoさんの動画にもハマりました。東大を目指していたのに行けなかった大きな挫折をバネに、自分だけの道を切り開いて活躍している姿に、一方的に共感したからです。結果的に私の行動パターンは以下のように劇的に変化しました。

・お菓子やカップ麺、お酒を辞める。
・野菜中心の食生活にし、糖質制限する。
・ジムに通い始め筋トレする。
・通勤中はネットサーフィンを辞めて、英語リスニングや資格勉強する。
・非生産的な人間関係や無駄な付き合いを辞める。
・ゲームやアニメなどの娯楽を辞める。
・本は読むだけではなく気づきをメモする。

「役に立つ」と思ったものは全て試しました。中には自分に合わない法則も多々ありましたが、日常はどんどん効率化され習慣化され確実に変化して行きました。体型が変わったり朝起きれるようになったり資格が取得出来たりと、実際に良い効果を感じる場面がたくさんありました。これも孤独の効用により同調圧力に屈せずに「役に立つ」を追究できたからだと思います。

◆「役に立つ」を追究し続けて失ったもの

最初は頑張ったから変われたんだと喜びました。会社ではビジネス書から学んだ論理性を用いながら優秀な社員を演じ切ることで次第に評価されるようになりました。しかし、日常を「役に立つ」で埋め尽くしたはずなのに、どこか空虚さを感じずにはいられませんでした。それはきっと「役に立つ」という論理性の枠からはみ出た自分の個性という部分、そのアイデンティティーを役に立たないからと言ってそぎ落としていく行為に他ならなかったからです。
会社で評価されるために本当の自分を隠して論理性の枠に合わせ続けていくうちに、自分が何者なのかわからなくなり、人生の意味さえも失っていたように思います。

◆孤独に「意味」を与えた出会い

最初の出会いは山口周氏の著書「ニュータイプの時代」でした。

この本を読んだとき、天啓めいた衝撃を感じました。なぜなら今まで「役に立つ」がもたらす空虚さに疑念を抱かずにいられなかった自分が肯定されているような感覚になったからです。
同時に今まで論理性によって削ぎ落としていた個性、本当は自由や遊び心が好きでルールよりも信念を貫き通すような我の強い自分を大切にすることで、時代の先導者のように活躍できるのかもしれないと期待が生まれました。
豊臣秀吉のように下剋上を果たしたり、スティーブ・ジョブズのように下馬評を覆す偉業を達成する才能があるのではと、自分の中の大きな可能性の存在に気づきワクワクが止まりませんでした。

ちなみに「ニュータイプの時代」においては、時代の変化によって以下のように価値観がシフトしていると解説されています。

◆オールドタイプ    ◆ニュータイプ
正解を探す    >>> 問題を探す
予測       >>> 構想する
KPI で管理     >>> 意味を与える
生産を上げる   >>> 遊びを盛り込む
ルールに従う   >>> 自分の道徳観
単一組織     >>> 組織横断
綿密に計画    >>> とりあえず試す
奪い、独占    >>> 与え、共有
経験に頼る    >>> 学習能力に頼る


最近読んだ以下記事にも似たような記載があったので引用します。

過剰なモノの価値は低下し、希少なモノの価値は上昇するという原則がある。

◆過剰なモノ       ◆希少なモノ
正解     >>>  問題
モノ     >>>  意味
利便性    >>>  情緒・ロマン
データ    >>>  ストーリー
説得     >>>  共感
新しさ    >>>  懐かしさ

「ニュータイプの時代」との出会いによって、孤独な日々に意味が与えられ、価値観が変化し、自分の新しい方向性を前向きに探究するようになりました。その探究の中で見つけた新しい出会いが「アート思考」でした。

ここまでが私の孤独な日々の変遷になります。

◆孤独とアート思考の親和性

ここから本題に入りたいと思います。
まず孤独の効用についておさらいです。

◆孤独の効用
・同調圧力から自由になることができる。
・意識で抑制している無意識が解放され、内なる欲求を呼び起こす。
・興味や好奇心の赴くままに行動できる。
・才能を磨くための時間が確保できる。
・自分だけのユニークさを発揮できる。

次にアート思考を構成する3つの要素について「13歳からのアート思考」より次の表現を引用したいと思います。

アート思考を構成する3要素
・表現の花  : アート作品
・興味のタネ : 興味、好奇心、疑問
・探求の根  : 長い探求の過程

アートは好奇心や疑問といった目に見えない「興味のタネ」から始まり、長い探究の過程を経て「探究の根」を地下深くに伸ばし続けていった結果、目に見える形で表面化したものが「表現の花」でありアート作品であるということです。

孤独は内なる欲求や好奇心を育んだり、探究するための自由な時間を確保したり、ユニークな創造性を発揮することの手助けをしてくれます。

つまり孤独は、「興味のタネ」が成長して、巨大な「探究の根」を張るための土壌の質を高めてくれると言って良いでしょう。その土壌の質が良好であればあるほど、よりユニークで素晴らしい「表現の花」が咲くと信じているので、私は孤独のことを「創造の庭」と呼びたいと思います。

孤独はアート思考が育つためのインフラ部分を担ってくれるため親和性があるというのが今回の主張です。

◆創造の庭から表現の花を咲かせる具体策

孤独とアート思考の親和性を主張した上で、どんなアプローチすれば良いのか疑問に思われる方もいると思います。
ここで孤独な人がクリエイティブを発揮するための2つの具体策を紹介したいと思います。

・黒歴史を愛そう

私は孤独な人ほど黒歴史を持っていると確信しています。黒歴史という言葉にはネガティブなニュアンスがあり、恥ずべきで隠すべきものというのが共通認識だと思います。

しかし黒歴史は自分の欲求が強く表れた原体験とも言える出来事でもあり、黒歴史を見つめ直すことで自分の根源的な欲求が表面化してくるのです。例えば経営者は皆が象徴的な原体験や黒歴史を持っているという話をよく聞きます。

自分の根源的な欲求を知り追求できることがクリエイティブを発揮する秘訣なので、そのために黒歴史を愛することは効果的なのです。

黒歴史の一例として次のようなものがあります。

・いろんなゲームキャラが登場する漫画を描いてクラスメイトに見せた。

・RPGツクールにハマって画用紙にオリジナルのキャラ設定を描いていた。

・FFのキャラにハマって口癖が「興味ないね」や「別に…」だった。

・モテたくてブレイクダンスに挑戦したがロボットダンスしかできなかった。

・V系にハマって謎の英語や紐やベルトがたくさんついてる服を着ていた。

・ニコニコ生放送の黎明期に全然似ていない声真似凸をしていた。

・よくわからないイラストを描いてPixivに上げていた。

・mixiの日記に恥ずかしいポエムを乗せていた。

・乙女心を理解しようとして乙女ゲームやったらハマった。

・地方2chオフ会に社会人のふりをして参加していた。

・ゲーセンの音ゲーにいろいろ手を出すも全部中途半端だった。

・SNSで出会った人にタコパに誘われて行ったら強面のおじさんが出てきてビジネスの勧誘が始まった。

…………これらは全て学生時代の私です。相当こじらせていたと思います(今でもこじらせてますが)。

これらは曲がりなりにも表現の花でした。ですが探究の根が伸びきらないうちに咲いた小さい花だったために評価されず黒歴史として葬り去られてしまいました。大事に育てていればもしかしたら大きな表現の花が咲いていたのかもしれません。こうやって冷静に黒歴史を見つめ直してみると若いなりに自分なりにクリエイティブを発揮しようとした勲章のようにも思えます。今の自分がもう一度挑戦してみたら今度は別の表現の花が咲くことでしょう。

・趣味をアップグレードし続ける

皆さんはアイビーリーグを知っていますか。ハーバード大学やコロンビア大学などアメリカの伝統ある私立大学8校のことです。超名門であり合格率5~15%超難関大学とされていますが、多様な才能を輩出するために純粋な学力以外に、どんな趣味を持っているかを重要視するそうです。なぜならば趣味がその人の個性や人となりを最もストレートに映し出す鏡だからです。趣味においてどんな創意工夫して成長してきたか、挑戦してきたかを知ることで、その人の資質がわかります。
つまり自分の趣味を見つめ直すことで自分の根源的な欲求が理解でき、それをどんどん追究して行くことで表現の花を咲かせることができるのです。

私の趣味にビジネス書を読むことがありますが、これをアップグレードし続けたことで自分なりの表現の花が咲いたと思っています。

以下がその例になります。


◆「ビジネス書を読む」という趣味のアップグレード
過去:図書館でビジネス書を借りて読む。

現在:ブックカフェで最新のビジネス書を読み、思いついたアイディアを個人Slackのスニペットにメモする。個人Slackのメモ集をすき間時間に眺めているうちに思いついた洗練されたアイディアをまとめnoteに記事として公開する。

Slackはビジネスチャットアプリですが、個人でも無料で使用することができます。ここに自分ナレッジとして様々なアイディアや情報をテーマごとに集約して一元管理するようにすると、自然と知と知の組み合わせが実践され、より洗練されたアイディアに繋がります。
「メモの魔力」を読んで自分なりにメモの活用方法をいろいろ試してみて効果的だと思った知的生産術なのでおススメです。

このように趣味をアップグレードし続けた結果、単に「ビジネス書を読む」だけから、「ビジネス書のインプットから着想を得たアイディアをnoteにアウトプット」するまで進化しました。

このアップグレードによってビジネス書から得られる情報の鮮度やアイディアの質が上がったり、実際にアウトプットを公開しているので、クリエイティブ度がアップしていると実感しています。

◆あとがき

通勤電車でふと周りを見渡すと皆スマホをいじっています。その9割はTwitterやインスタ、ソシャゲ、LINE、漫画、まとめサイト、などなどで時間を徒に浪費しているように思います。彼らにとって移動は単なる暇つぶしでしかないのでしょうか。他人に与えられた暇つぶしをどんなに積み重ねても人生が豊かになることは決してないはずです。やりたいことや、やるべきことがよくわからないまま、周りと同じであることに安息を覚えているのでしょうか。全然クリエイティブじゃないなと感じます。

子どもの頃はなんであんなにクリエイティブだったんだろうと思い巡らすと、ある気付きがありました。それは子どもだからこそ、純粋な気持ちで好奇心を追い求めたり、他人の目も気にせず失敗を恐れずに何でもやってみたり、自由な時間がたくさんあったからじゃないでしょうか。世界にわからないことがいっぱいあることを認識して疑問を持てることもアート思考を刺激するんだと思います。

子どものよくわからない行動というのは、一人ぼっちでつまらないとか、自分が持っているオモチャに飽きてしまったとかで、単なる思い付きなのかもしれません。ですがそれはとてもクリエイティブな暇つぶしイノベーションを起こしていたように思います。

大人になればなるほど孤独になるのが恐くなって、失敗するのが恐くなって挑戦できなくなるのでしょうか。世界の全てを知ったような気持ちになるから好奇心が生まれなくなるのでしょうか。誰かに与えられた暇つぶしに満足しないこと、自分の周りにはわからないことがいっぱいあることを認識して疑問を持てること、一人の時間を自分だけのやり方で楽しむこと、そんな子どものような純粋な気持ちがアート思考には必要なのかもしれません。

井ノβe太 (執筆時間150分)

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