『音楽の聴き方』から「言語化しにくいものをどうやって書いて伝えるか」を学ぶ
岡田暁生『音楽の聴き方ー聴く型と趣味を語る言葉』を読んだ。
音楽の聴き方は、誰に言われるまでもなく全く自由だ。しかし、誰かからの影響や何らかの傾向なしに聴くこともまた不可能である。それならば、自分はどんな聴き方をしているのかについて自覚的になってみようというのが、本書の狙いである。聴き方の「型」を知り、自分の感じたことを言葉にしてみるだけで、どれほど世界が広がって見えることか。規則なき規則を考えるためにはどうすればよいかの道筋を示す。
『音楽の聴き方』というタイトルだけど単なるハウツーではなくて、西洋音楽史でどのように音楽が聴かれてきたか、また、そこにどんな課題が提起されてきたかが語られる。
そして『音楽の聴き方』では「聴くことは語ること」と考え、自分がどう聴いたかをどう言語化するかに紙幅を割いている。つまり、レビューの書き方にも通じるのだ。特に音楽は言語化しにくい。「なんかすごかったぁ~」みたいになっちゃう。自分の「聴き方」を自覚できるようになれば、それはそのまま他人にもすごさを伝える手段にもなる。
繰り返すけどハウツー本じゃないので、「聴き方=語り方」のヒントは本文中にちりばめられている(最後の「おわりに」にちょっとまとまってるけど)。例えばこんな感じ。
・有名な音楽家を神格化しすぎず、他人の意見にまどわされず、自分の感じたものを信じること。
・自分のクセを知ること。何に反応しやすくて、何に鈍いかを知ること
・超傑作をのぞき、多くの音楽は「語り部」の良し悪しによって、面白くも、つまらなくも聞こえること
・音楽を当てはめる「文脈」をいくつも持つこと。語る「語彙」を持つこと。手持ちのカードを増やし、自分の言葉を見つけること
・「場」に足を運ぶこと。「音楽」と「わたし」と「場」が調和した瞬間を大事にすること。傑作から駄作まで経験し、身体で感じること
具体的な指針もある。複数の聴き方を学ぶため、ジャンルに通じた友人を持つとか、音楽の文法を知るには専門書ではなく、指揮者のリハーサル映像(指揮者独自の表現で演者に指示していたりする)を見るとか。
で、この本を読んでいるあいだずっと、自分は「これはお笑いの語り方に通じる」と思いながら読んでた。
第三章「音楽を読む」では、「音楽とは矛盾に満ちた存在であって、最も感じることが容易な要素ほど、語るのはとても難しい」と語っている。
初めて聴いた音楽に感情が高ぶる。でも音楽を語る「言葉」を持ってないと、○○のような○○で〜と、さまざまな比喩で間接的に表現せざるを得ない。「すごかったの」の一言を、手を替え品を替え伝える感じ。
逆に、誤解の余地無く言葉に置き換えることができても、それを解読して把握するには読者側にも専門的な知識と耳がいる。言葉を尽くすと「高ぶり」から離れていく。「感じて分かることは言葉にし難く、言葉にできることは感じるのが難しい」(P.86)
自分は音楽を言葉にする機会はないのだけど、バラエティ番組のレビューで笑いを言葉にする機会がある。「面白かった~」で終わらせるわけにはいかないので、言葉を尽くさないといけない。これがずっと悩ましい。
主観的な感想によらず、客観的な観察によって考察を積み上げる。そうして熱量を伝えるアプローチもあるし、これまでもそうしてきたつもり。でも最近、お笑いは観察を積み重ねすぎると「野暮」や「興ざめ」と感じたりするんじゃないか、と記事の反応を見て思ったりもする。瞬間的に感じる笑いを、時間をかけて言葉にしようとすると、徐々に透明になり消えていくんじゃないかと。
結局これは書き手としてまだまだ修行が足りないな……というところに落ち着くのだけど、『音楽の聴き方』にあるように、文脈を理解することや、「場」を経験することは、音楽以外のレビューにも活きるのではと思う。
たくさん見ること。そしてたくさん語ること。そして、たくさん書くこと。肝に銘じながら。
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