2023年GW 酒。読書。観劇。それだけ

私の「note」のプロフィールは、『酒。読書。観劇。それだけ』とそっけない、というか投げやりな一文だが、それで充分説明に足りている。

たとえば、2023年のGW……

-1日目:2023年4月27日

仕事帰りに、ポレポレ東中野で映画『上飯田の話』(たかはしそうた監督)を観た。

後日、"note"の私の拙稿を、たかはしそうた監督自ら"スキ"して下さり、大変恐縮した。

0日目~3日目:2023年4月28日~5月1日

4月28日夕方、仕事が終わってそのまま東京駅から新幹線に乗り京都へ行った。

上記拙稿を「小説」にしたのは、本文でも少し触れたが、"note"で「#わたしの旅行記 with ことりっぷ」の募集を見て、そもそも「旅行記」がどういうものなのかわからないなぁ、と思ったからだ。
そこで、「『筆者』がGWに京都に行った男の行動を俯瞰で見て、イチイチ『これは旅なのか?』『旅人はこんなことをするのか?』と悩んでいる」という構図を取った文章だと面白いかもと思いついてしまったのである。

さらに言えば、以前の拙稿でも書いた「日記と小説」にあるとおり、「日付」という枠を超え、また「周りの描写」を加えることによって、作家の滝口悠生氏が指摘するように、『書かれていくものがその日から離れて、その日のその日性が薄れていく』『自分以外の人のことを何でもいいから書き始めたとしたら、それはもうほとんど小説みたいなことになっていきますよね』、つまり、『「書かれる」と「書く」とが分かれるってことだと思うんだけど、たぶんそれは、書き手が一歩踏み出すというよりかは、書いているうちに、いつの間にか外に出てしまった』ために、「日記」の形態がとれなくなったからでもある。

本稿は、「日付」で枠づけし、自分のことに限定しているので、「日記」として書いている。

4日目:2023年5月2日

ホテルをチェックアウトし、そのまま実家へ帰省。
上記小説の「男」は、帰省は「旅」ではないから紹介していないが、私は個人的なことをネット上に公開する必要性を感じない。

5日目:2023年5月3日

実家から帰京。
道中、中森明夫著『TRY48』(新潮社、2023年刊)を読む。
本については上記小説にも書いたが、それはあくまで主人公の「男」が思ったことである。
私自身は、「黒子サブコ」なる人物及び、結末における主人公の「深井百合子」のことを考えていた。
この本が刊行された直後に「Chat GPT」が世界的な話題になったのは、きっと偶然ではない。

東京に戻っても自宅に直帰せず、新宿の紀伊國屋ホールで劇団ラッパ屋の朗読劇『ショウは終わった』(小説にも書いたが『昭和終わった』にかかっている)を観た。
劇中に寺山修司が出てきたのは驚いたが、それ以上に『TRY48』のラストに引用される実際の寺山の言葉『実際に起こらなかったことも……歴史のうちである!!』がそのまま芝居のラストに当て嵌まることに驚愕した。
芝居は、自分史を語って勝ち抜いていくテレビ番組の"ショウ"に出る家族の物語だが、最終戦を勝ち抜いた後、家族それぞれが語った自分史が虚構だったことが明かされる。
しかしこの芝居が大事なのは結末のどんでん返しではなく、家族それぞれが語った「自分史=昭和史」に観客が共感・感動できる点にある。最終戦に出る前に主人公の直子が愕然としたとおり、『自分の歴史=昭和史はテレビだけ』なのだ。でなければ何故、おじいちゃんの戦争の話で泣けるのか、初めてテレビが来た日の家族に共感できるのか。朗読劇だから尚更だが、セットもなくただセリフ(=エピソード)を語る役者の後ろに、我々観客はその光景を「映像として」見ていたはずだ。何故、自分が生まれていない或いは体験していない映像がありありと浮かぶのか?
つまり観客自身の歴史も『テレビだけ』なのである。

観劇後、そんなことを考えながら帰宅した。

6日目:2023年5月4日

留守中に取り置きをお願いしていた新聞がまとめて届けられたので、紙面をパラパラ捲りながら、必要そうな記事を切り抜く。

夕方、またも新宿に出掛け、YちゃんとA君と飲む。
二人とも10年以上の付き合いである。
Yちゃんは京都で知り合った女性で、現在は実家のある和歌山県にいる。今回は仕事を兼ねて上京したとのこと。
A君もまた京都で知り合ったのだが、彼は東京在住(つまり、お互い一人「旅?」をしていたのだ)で、たまに東京で飲むこともあるし、一緒に京都に行くこともある。
二人は私を介して面識を持つようになった。
久しぶりに全員集合(それが何故か東京だったことが面白い)し、楽しく飲んだ。

7日目:2023年5月5日

5月5日は、子供"ばんど"の日だ。
上記小説の筆者が、「男」に「子供ばんど」の「Walkin' Away」を思い出させたのは偶然ではない。
この日の「下北沢 Club Que」での久しぶりのワンマンライブのために見返した、『実録 子供ばんどの歴史』というDVD(発売当初はVHS)の1曲目(とラスト)が、その曲だったからだ。
予習するほどのワクワクを抱え、下北沢へ行く。
200人超の年配男女でギュウギュウの小さなライブハウスで、客もメンバーもとても楽しそう。もちろん私も大いに楽しんだ。久しぶりにライブで暴れて、歩くのが辛い。気持ちは若いつもりだが、やはり身体は正直だ。
這う這うの体で帰宅。

8日目:2023年5月6日

映画『マイスモールランド』(川和田恵真監督)の公開1周年記念の上映会のため、多摩市の永山公民館にある「ベルブホール」に行く。
映画はちょうど1年前の2022年5月6日に封切られた。もちろん、私も1年前に観ている。

上映後には川和田恵真監督と主演の嵐莉菜さんを交えたトークショーが行われた。
川和田監督が、久しぶりに会った嵐莉菜さんを「成長したなぁ」と評していたが、映画の中のサーリャは境遇が境遇だけにとても大人びていたため、私からすると成長したというより「明るくなったなぁ」と思ってしまった。

この永山と隣の多摩センターは、面白いことに京王線と小田急線が並行して走っている(だから駅名も「京王永山」「小田急永山」、「京王多摩センター」「小田急多摩センター」となっている)。
京王線に乗って調布にある居酒屋「土と青」の本店に行くか、小田急線に乗って新百合ヶ丘の2号店に行くか暫し迷う。
本店は2週間前に行ったばかりなのを思い出し、2号店に電話する。
ちなみに上記小説の「男」は電話や予約を嫌っていて、それは私も同様だが、ここ最近、本店も2号店も予約なしには入れないことが多い。
京都だと飛び込みで断られても一旦ホテルに帰って再訪できるが、東京では「一旦自宅に帰って再訪」というのは現実的ではない。また、開店時間まで1時間半あり、入れないかもしれないお店に行くために、時間つぶしをするのは無駄(それなら、自宅に帰るなり別のお店を探す方が良い)なのだ。
ということで、電話。
「17時から19時までの2時間限定なら入店できます」とオーナー(本店を他人に任せ、2号店をオーナーが切り盛りしている)の奥様が応対してくれる。
というわけで、本屋などを散策し、17時きっかりに入店したら、既にお客さんが3組いた。
その後もどんどんお客さんがやってきて、17時半にはほぼ満席になった。
まずはビールで喉を潤し、日本酒を飲む。
お客さんが何組か帰ったりしたので、(小説の「和鉄板ぞろんぱ」で「男」が経験するようなことを)少し期待したが、やはり小説のようなことは起こらず、19時を前にラストオーダーを訊かれた。
19時少し前に、お店を出た。
(このお店については、下記参照)

時間が早いので、自宅最寄り駅前のスーパーでお酒とつまみを買い、WOWOWの放送を録画した、劇団☆新感線の『狐清明九尾狩』(2022年上演)を見る。
面白く見ていたが、途中で寝落ち。

9日目:2023年5月7日(最終日)

今日は唯一、何も予定がない。
明日からの仕事復帰を見据え、自宅でゆっくり本稿を書いている。
年を取ると筋肉痛が2日後に来るというが、今それを実感している……



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