メディアの"ふつう"は"ふつうじゃない"?~都築響一著『圏外編集者』~

昔、近くの書店に『東京スナックのみある記』という、タイトルどおり東京のスナックを紹介した写真集が(決して「ガイドブック」ではないのだが、何故か「グルメ本」コーナーに)置いてあって、私はそれを密かに「バケモノ図鑑」と名付け、度々立ち読みに行っていた。
いつか購入しようとは思っていたのだが、何せ本を開くとちゃんとした明るい照明で撮られたママさんやホステスさんの写真が「これでもか!」というくらいの大きさと量で掲載されていて、その物凄い迫力(と価格)に圧倒されて購入する勇気が出なかった。
そうこうするうち、写真集はなくなってしまった(買わなくてゴメンなさい。誰かがと買ってくれたと信じています)。

正直に言おう。
昔、「SPA!」という雑誌に、何故か大勢のカエルの大きな置物がオーケストラを組んでいる……という写真が載っていて、何を思ったか東京から三重県の何だかよくわからないところまで出掛けたことがある(その証拠に、片面に観音様(交通安全)、裏面に純金恵比寿・大黒様(金運。『時価五億円』とでっかく書いてある)の写真が載った、とてもありがた~いカードが手元にある)。
で、今調べたら、三重県の「寶珠山」というお寺だそうで、カエルは「お宝蛙」と呼ばれ、『カエルは「福帰る」と言われ、縁起の良い生き物とされてい』て、『「蛙」は子供をたくさん生むところから「子孫繁栄」』で、『語呂合わせでも「無事カエル」から交通安全旅行安全のお守りとして』、『「お金がカエル」から金運、「若ガエル」から不老長寿縁起』として、『知名度が高い生き物』だということだ……

何故、そんなことを思い出したかというと、上記写真集と雑誌記事は都築響一氏が手がけたもので、彼の『圏外編集者』(ちくま文庫、2022年。以下、本書)の巻頭に、それらの写真が掲載されていたからだ。

本書は、雑誌「POPEYE」「BRUTUS」の編集を経て現在も現役編集者である都築氏が、自身の編集者人生を振り返っている本だが、その書名からもわかるとおり、巷によくある実用書といった内容ではない(冒頭で挙げた2つの例からも察しが付くだろう)。

この本に具体的な「編集術」とかを期待されたら、それはハズレである。
世の中にはよく「エディター講座」みたいなのがあって、それでカネを稼いでるひとや、カネを浪費してるひとがいるけれど、あんなのはぜんぶ無駄だ。編集に「術」なんてない。

P9

だから私のような編集に縁も興味もないオヤジでも読めるのだが、だからなのか何なのか、都築氏は「文庫版へのあとがき」で困惑している。

これまでいろいろ役に立たない本を書いてきたけれど、そのなかでもいちばん実用からほど遠い『圏外編集者』が、なぜか韓国版と中国版になり、単行本から7年経って今度は文庫版になるという展開に、やや唖然としないでもない(外国語版や文庫版にしてほしい本、ほかにもっとあるのに、笑)。

P258

本書、確かに『具体的な「編集術」』という点では『実用からほど遠い』。
なのに、本書が外国語版、文庫版になる理由は「実用こそが本質からほど遠い」からではないか。

本書が明らかにするもの。
それは、メディアから我々に日々提供される情報が「実用と思わされている」だけで「本当の実用」とかけ離れているーそういう日本の一般的なメディアで通用する"実用的な"「編集術」を教わる『「エディター講座」みたいなの』は『ぜんぶ無駄』ーということだ。

たとえば、都築氏が企画・撮影・編集した写真集『TOKYO STYLE』(1993年)。
当時の東京在住のごく普通の若者が、ごく普通に暮らす部屋の写真を100件近く収めたもの。
本書によると『最初のハードカバーの版が(略)定価がたしか1万2000円!』(P86)もする写真集なのに、『地方の若い読者』からの読者カードが『意外なほど返ってきた』(P91)という。

当時はトレンディドラマ全盛期で、テレビに出てくる「東京の若者の部屋」はみんなフローリングのワンルームに、でかい床置きテレビとかがある、みたいなウソ丸出しのインテリアだったし、『ホットドッグ・プレス』のような雑誌が「こういう部屋じゃないと、女の子は遊びに来ない」なんて煽り記事を垂れ流していた。
それで地方の子たちは「こんな生活、私にはとても無理」って諦めていたのが、「実はこうだったんだ!」って。「これなら私のほうが勝ってる」から、「もう、すぐ東京に行くことにします!」とか書いてあって、「ちょっと待て」みたいな(笑)。

P91

都築氏は『大手メディアの欺瞞ぎまん』(P92)に気づく。

当時は東京と地方にはまだ情報伝達の時間差が確実にあった。そうして、メディアが取り上げる例外的な「東京」が、いかに美化されたウソなのか、それが地方の子たちに、いかに無用な劣等感を植えつけているのか痛感できた。

P92(太字は引用者)

たとえばかっこいい部屋の写真が雑誌に出てて、「モテる男の部屋」みたいに紹介されていたとする。インテリアだって着こなしだって、クルマ選びだって同じだけど。
そういう記事を見て、じゃあ自分の部屋を見回してみると、「あ~あ」ってなるでしょう。そんなかっこいい部屋に暮らすほどの収入はない。ならば、ということでワンポイント贅沢とか言って、高価なソファを買ってみたりする。そうすると家具屋は売れ行きが上がるから、その雑誌にまた広告を出す。読者をカモるサイクルがそうやって完成することになる。
(略)
インテリア雑誌に紹介されるような部屋の住人って、ほんとは少数派だ。毎朝毎晩、服や靴選びに凝りまくるファッショニスタ(笑)だって、毎晩の夕飯に選び抜いたワインがないとダメ、みたいな食通だって少数派だ。多数派の僕らは、どうしてそういう少数派を目指さなくちゃならないのだろう。どうして、ほかのひとより秀でてなくちゃならないのだろう。

P94-P96(太字は引用者)

今、東京と地方どころか世界中で情報伝達の時間差はない。
だが、ないからこそ、SNSなどで個人発信できるようになった現代、稲田豊史著『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)でも指摘されているように、『同世代と自分とを容易に比較できてしま』え、『いちはやく何かを成しとげたり、注目を浴びたりする人の動向が、いつでも視界に入っている状態にある。常に"横を見ている"』ようになった。
『だから、自分がちょっとでも効率の悪いことをしたら、"同世代から遅れてしまった"、つまり"失敗してしまった"と思いやすい』。

つまり、メディアの進化による「情報の平等化」が、皮肉にも、"ふつう"の人々が各々"ふつう"の幸せを謳歌できる環境とは真逆の、『(SNSなどの個人発信を含めた)メディアが取り上げる例外的な”ふつう”が、美化されたウソで、それがふつうの子たちに、無用な劣等感を植えつけ』る「情報の格差(一般的に謂われる『情報格差』ではない)」を加速させてしまった。

我々凡人が、どうして無理してキャリアアップ・スキルアップしなくちゃならないのだろう、どうしてバズらなきゃならないのだろう、どうして副業で稼がなきゃならないのだろう。
どうして「コンテンツ」の話題についていかなきゃならないのだろう?
どうして"note"に投稿しなくちゃならないのだろう?
どうして"note"で"スキ"をたくさんもらわなくちゃならないのだろう?


我々"ふつう"の人は、それらのために、本当は掛ける必要のなかった貴重な人生の時間やお金を浪費していないだろうか。

もしかして、(SNSや"note"など個人発信を含めた)メディアが喧伝する"ふつう"って、実は"ふつう”じゃないんじゃないだろうか?


都築氏がずっと疑問に思っていること。
『みんながやってることを、どうしてメディアは取り上げられないのか』(P195)。

僕が取材してきたのは「スキマ」じゃなくて「大多数」だから。有名建築家がデザインした豪邸に住んでるひとより、狭い賃貸マンションに住んでるひとのほうがずっと多いはず。デートで豪華なホテルに泊まるひとより、国道沿いのラブホテルに泊まるひとのほうがずっと多いはず。ご飯食べて2軒目行こうってなったときに、高級ワインバーより、カラオケスナックに行くひとのほうがずっと多いはず。

P195

「それじゃぁ記事にならないじゃん」という意見は正論のようにも思えるが、だとするとやっぱり、メディアが言う”ふつう”は、我々「大多数」が思う"ふつう”じゃないということなんじゃないだろうか?

もし、みんなにはできない、ひと握りのひとたちにしかできないことしか取り上げられないのなら、みんながやっていること、みんなが行っているところは価値がないのか。劣っているのか。そうやって羨望や欲求不満を煽っていくシステムや誌面作りにほとほと嫌気が差したから、みんなと一緒の場所にいようとしているだけ。だからもう既存のメディアから、ほとんど仕事が来ないわけだけど(笑)

P195(太字は引用者)

だから、本書は確かに『具体的な「編集術」』という点で『実用からほど遠い』。
なのに、外国語版、文庫版が出るくらい本書が『みんな』から支持される理由は『(”ふつう”のメディアだけで通用するような)実用こそが(”ふつう”に暮らす「大多数」の)本質からほど遠い』からではないか。

我々「大多数」の凡人は、メディアが喧伝する”ふつう”を無批判のうちに『「大多数」の"ふつう"』だと信じ込み、それと自らの”ふつう"を勝手に比べて、無意味な劣等感を抱いていないだろうか?
メディアが煌びやかに喧伝する”ふつう”は、本当に我々にとって必要不可欠な”ふつう”なのか、時間とお金を使って目指すほどの価値がある”ふつう"なのだろうか。

一度、立ち止まって考えてみてもいいのかもしれない。



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