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夢の中で彼は何かを隠していた。

夢の中で恩師がでてきた。2月4日のこの記事に書いた、超えると決めた人。いつも天真爛漫で、とにかく大声で笑い人を巻き込むチカラに溢れた5才児のような大人だったはずの彼は、何かを隠しているのか、もしくは隠し続けていたものがバレたと気づいたのか、どこかぼくに対してよそよそしかった。

パートナーの女性はぼくに小声で耳打ちをしてきた。「わたしたち(その人と恩師のこと)を悪く言う人が増えてきたけど、全部ウソ、あなたはわたしたちを信用してくれるよね?」と言ったような話だった。その先の夢の記憶は覚えていない。そんな夢の世界を経由した、朝の目覚めだった。

Whether you can do it alone. That is prepared.

一人でもやれる意思があるかどうか、それが覚悟だ。実際は、たくさんの人たち、コアな仲間たちとともにつくりあげるのだけれど、心の中ではたとえ何がおきても、ありえない欺瞞の渦に自らがのみ込まれそうになったとしても、それでも一人で自分が信じた道を突き進む想いをもちつづけられるか、結局それが人とつながる引力に変わるのだと思う。

変わってしまった恩師は、事業をスタートしたはじめは純粋だったはずなんだ。でも、様々な出会いや別れ(後者のほうが傷つく数も深さも多かったはずだ)を繰り返し、外側の地位や名声を手にした反面、内側では孤独や寂しさが増大し、愛が枯渇していったのかもしれない。それはこれまでの時代の成功者のある意味で抗えない現実だったのかもしれないとも思う。

でもそれはやっぱり寂しいよね。おれ、どんなに今の生活がかわっても、となりには朝まで飲んで一緒にバカやれる仲間がいてほしい。くだらないこと織り交ぜながら、社会貢献活動を本気でできる仲間がほしい。何かを手にするためには、何かを捨てなければならない。この絶対普遍の真理のような言葉にとことん抗いたい。たしかに、どうでもいいことが恐ろしく増えてきたけど、いつでも大切なものは一緒。それは仲間であり、家族ができてからは+家族であり、自分の純度であり、女性であり、全ての未来(子どもたち)だ。

恩師が月収2,000万の立場を捨てて、今の事業を0からはじめたのが40歳、ぼくも今の自分のすべてをささげようと思うシゴトに出会えたのが40歳。似たようなバックボーン、似たようなメッセージ性、もっている才能や傷も似ている。おそらく僕が今から歩む道では、彼が経験したことと似たような出来事が必然的に起きるだろう。

傷つきやすいぼくが、彼と同じようにどういったことで落ち込み、自分を調律しないと成功しても闇落ちしてしまうか、もうシュミレーションはできている。そういう意味でも恩師はやっぱり恩師だったと思う。すべてを見せてくれた。この世の出来事は一分一秒間違わず、完璧に起こるべくして起こっている。

(いつもだとおもうけど笑)自分の内側の本音をただ書いているだけのnoteを見てくれているあなたへ、いつもありがとうございます。

おれは、人は、全くつよくないと思っています。でも、それを受け入れたら、揺るぎない強さを手にすることができると思っています。だからさらけだしながら、時には頑張り屋たちが見れば、弱いとか女々しいとか思われたり、言われたりするけど、これからもこのnoteはおれが一番純粋な言葉を綴っていこうと思ってます。


今日は朝からフルで動きまくる。渋谷でMTG→渋谷で火鍋ランチ→渋谷でMTG→合間に原稿→外苑前でMTG→終わったら残り原稿。

非常にセンシティブな出来事が日本を取り巻いているけど、「心穏やかに、今を生きること」昨日、尊敬している先輩からもらった言葉。

穏やかにそして情熱的に、いこう。けもの道だと覚悟して進んだ道が、実はすでに完璧に舗装された、行くべくして行った、聖なる道だったってことに気づくまで。


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