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【毒親連載小説 #5 】母とわたし③

両親の激しい夫婦喧嘩は
いつも突然だった。

なぜ、
両親は毎日のように
喧嘩をしているのか?

あの頃の私は
両親のことが全く
理解することができなかった。

しかし、幼い私にも唯一、
分かっていたことがあった。

それは、
父の帰りが遅い時だった。

料理上手な母は夕方にになると
忙しそうに台所に立ち、
毎日、手際よく何品も
おかずを準備していく。

そして、
夕飯どきにはできたての
料理を食べられるようにし、
父の帰りを待っていた。

そんな母の気持ちを
無視するかのように、
何時になっても一向に
帰ってこない父…。

すると、母の表情は
いつもに増して険しくなる。

当時、
携帯電話がまだなかった頃、
母は父の帰りを待ちながら、
家の電話の方向を
キッと睨みつけているようだった。

父の帰りが遅くなればなるほど
ピリピリしてくる母の様子を
私や兄弟はすぐに感じ取っていた。

そして、夕飯の時間が
とうに過ぎた夜遅くにやっと
父からの電話がくると、
まるで待ち構えていたかのように
電話口で父にこう乱暴に
大声で怒鳴りつけるのだった。

「もう家に帰ってくんな!!!!!!!!!」


こんな母の怒声を聞いた瞬間、
家庭内はシーンと静まり返り
緊張に包まれた。

この状況になると、
もう誰にも手がつけられない。

そして、
父が家に帰ってきた瞬間、
また「あの戦争」が
始まるのかと思うと
緊張で心臓がバクバクし、
体は硬直した。

父は当時、
自営業で商売をしており、
帰りの時間が不規則なことは
よくあった。

父が帰ってくる
ドアの音がするや否や、
母は待ち構えていたかのように、
溜まりに溜まった怒りを
容赦なくぶちまける。

甲高い金切り声。
大声でわめき散らす声。

一日中、家事や子育てで
溜まった鬱憤を晴らすかのごとく、
その狂ったような怒声は
しばらく止むことはなかった。

ある時は

「どこの女と遊んでたんだ!!」
「どこの女から病気をもらってきたんだ!!!」

と狂ったように怒鳴り続ける母…。

そして母は夫婦喧嘩を
黙って見ている私たちの方を
キッと睨みながら
鬼のような形相でこう続けた。

「オンマ(韓国語で母の意味)は
 お前のアボジ(韓国語で父の意味)から
 病気を移されたんだ!」

まだ幼かった私は、
母が発している言葉は分かったが、
その言葉が一体、
何を意味しているのか
全く呑み込めなかった。

よからぬ意味だということは、
その口調で
なんとなく感じていたのだが、
きっとこれは
タブーな話題だと感じた私は、
親にはもちろんのこと、
兄弟にも成人した後も
この言葉の意味を
ずっと聞けずにいた。

このように母は
ひとたび夫婦喧嘩が始まると、
怒りで完全に制御不能となり、
そこからなんと
その夫婦喧嘩は深夜にまで
及ぶこともしばしばあった。

母が感情的に
怒りわめけばわめくほど、
父は面倒臭そうに
取り合おうとはしなかった。

帰宅が遅く、眠くなった父は
母を無視して
布団を被ろうものなら、
母の怒りは烈火のごとく
激しさを増した。

(つづく)

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