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帰る場所があるから不完全なまま美しく生きられる

お正月は自分のだらしなさ全てと向き合う機会になった。先延ばしにし続けてきた些細なタスクは、いつの間にかエベレストを超える(全僕が泣いた)高さに積み重なった。すぐに終わるような小さなタスクから、1週間かかっても終わる気がしないような巨大タスクまで、バリエーション豊かに僕に乗り掛かっていた。年末にかけての仕事納めでも、適当になってしまっていた業務が徐々に問題という形で現れてしまって、どうにもこうにも身動きがとれずにいた。カレンダーは3ヶ月前に入れた繰り返しのイベントだけを僕に通知し、何も入っていないように見える時間帯のその裏側にある、タスクの数々については教えてくれなかった。そしてその静けさが嵐の前のようで怖くもあった。だからこそ、カレンダーも見なくなった。僕には、”こういう”節があるんだった。

何事も先延ばしにしてしまうのは、何も僕だけの話ではない。僕の愛すべき兄弟たちも似たようなものなのだ。一見すると全く異なる容姿に生まれ、性格も、趣味もバラバラなくせに髄の部分が全くもってそっくりの形をしているのだ。人間の体内にマントルがあるとするならば、私たち兄弟のマントルは同じ成分で構成されているに違いない。そしてそれはママンも同じだろう(パパン、仲間はずれにしてごめん…)
なんにせよ、家族全員がそんな感じなのだ。僕の家は。
これはもはや愛すべき特性とも言える。

大人になって言葉を交わすことも徐々に少なくなりつつある中で、久しぶりに全員が一堂に介し家族の時間が訪れた。家族の時間ではことあるごとに議論が勃発し、政治や社会問題、投資、ビジネスなどあらゆるテーマに関する意見、批判が飛びかっていた。他人から見るとこれは随分と異常な光景らしい。別に学があるわけでもないのに、僕たちはいつもこうやって言葉をぶつけ合う。全員が大人になったからかもしれない、こうして対等に言葉を交わせるようになったのは。だからと言って何というわけではないけれど、きっと心のどこかで全員でこうして話し合える日を望んでいたような気がする。自分と向き合う機会が減ってしまってから日も長く、あまり覚えていないけれど。そういえばそうだったような気がする。どこか1つが尖っていて、どこか1つが凹んでいるのではなく、どれも均等に尖っていて、均等に凹みを持っている。そんな歪な形のままに言葉を交わせる日々を待ち望んでいたように思う。まだ少し、ふわふわいたぎこちなさと、細すぎて視認しづらい琴線がピンっと張った感覚は消えないものの、いずれそれすらもなくなって全て笑えるようになる気がする。その時に、僕もそこにいられますように。


人と関わることはとってもめんどくさい。本当ならば好きな人とだけ話して、それ以外の人とは話さずに生きていきたい。僕にとっての好きな人はもう大方決まってしまっているので、このまま人生を閉じていきたいと強く思うこともある。昨日のnoteにも書いたように、いろんなモノを切り捨ててしまう自分だけれども、この関係性だけは切りたくないと思う人たちがいる。そんな人たちがいるからこそ、まだ僕は生きていきたいと思うし、次も会いたいと思う。毎年少しでもいいから、こうしてフラットな関係性で会えるだけで1年分のエネルギーがもらえる。東京は寒い。未来を見る街。だからこそ、どこを見てもだれといても現実味に欠ける。何かを手に入れるためには最適な街だけれども、感性に水をやりながら生きていくためには少し窮屈だ。地元に戻ると、一気に視界が開ける気がする。

幼馴染と呼べる関係性の人たちがいる。性別や恋人の有無に関係なく、ずっと一緒にいられる。暇つぶしにフラっと遊べて、旅行にもいけて、しょうもないことで言い合ったり、昔の写真を見て笑い合ったり。ひとしきり話して疲れた僕らは、ソファに座ってただぼーっとテレビを眺めたり、パソコンで作業をしたり、思い思いに時間を過ごして、また1つのきっかけを合図にワイワイと笑い合う。お酒があってもいいけれど、お酒がなくても変わらない、いつも同じ関係性、同じ距離感でいる。それがどれだけ貴重なことか、大きくなればなるほど気づく気がする。幼馴染というのは少し、変なカテゴリだとつくづく思う。
数年ぶりになったとしても、昨日まで会っていたような気持ちで、数年前の続きから再開できる。そうして小さな時分から続く、僕という人間の軌跡を隅々まで味わって、また新しく現在へとつながる。
たとえ、僕が人生の目標を達成できなかったとしても、不満足なまま地元に帰ったとしても、大きな失敗をしてしまったとしても、この人たちなら笑い飛ばしてくれる。そんな予感がする。帰る場所があるというのはこんなにも暖かい。

幼馴染ほど、長いものでなくとも同じくらい気の置けない友人たちがいる。集まったら、幼馴染たちと同じく去年の続きから会話が始まる。ここでも僕はものすごく安心する。僕たちの周囲の状況や環境や職業や生活は変わったとしても、友達としてのつながりは一切変わらない。相変わらず、何も気を配らずなんの配慮も、遠慮もなく言葉をぶつけ合う。どこかカッコつけていたり、すかしていたり、腹の中をうかがいあったりする関係性よりも、明け透けな関わり方が本当に好ましい。「また!」が毎回出てくるくらいに、ずっとつづけばいいのにと会うたびに思う素敵な人たち。


関わりを断つことに対して後ろめたさと恐怖を抱き続けてきた。新たな環境にて、新たな人たちと知り合うことにも距離をとってきた。あえて取り続けてきた距離は、きっと心のどこかで人に期待をしないようになったからだと思う。もちろん幼馴染や友人たちと同じ距離で会える人なんて、そう簡単に逢えるわけがない。それならばいっそ仲良くならない方がましではないかと思っていた。思っている。

昨日、投稿した文章も、こうして書いている文章もきっと同じようなことを言いたかったんだと思う。

「完璧なんてない」

「だからこそ、瑞々しく美しくあれる」

0か100かで考えてしまう私はどうしても、「少しでも満足いかないようなら全て捨ててしまえばいい」「やりきれないのなら初めからするな」「60点の作品に一切の価値はない」と決めつけて自分自身を縛ってしまう癖がある。思えばこの癖は中学生の頃から一緒だ、変わらない。この世で最も大切な人に「僕ばっかり変わってしまって、君はずっと変わらない、そのままそこに居続けてくれる」と言い放っておきながら、やはり僕もあまり変わっていない。

世の中の全てを知りたいと思うのは、そういう性格だから仕方がない。
でもそんなことは不可能である。
だから”全て”を知ることは諦める。
だけど、知らないからこそできることもある。
全て知ってしまうときっとアイデアも、挑戦も生まれない。

自分自身を許してあげられるようにしたいと思った。
完璧じゃない時分を誇れるような時分でありたいと思った。
毎日、毎日少しずつ自分に負ける自分を可愛がってあげようと思った。
そしてほんの少しずつで良いから、いつか好きな人たちに何かを与えられるような人間であろうと思った。
決断をしようと思った。
何もかも中途半端にすることで、身の回りの大切な人を失うことにつながるかもしれない。
きっと、今いてくれる大切な人たちを失うと僕は本当に生きてはいけない。
生きてはいけないというよりも、何かあった時の最終防衛ラインが彼ら/彼女らなのだ。

常に自分を愛せるように、自分に最大の愛を向けてあげられるように。
自分の声をよく聞いて、身体をよく見て、触って、生きていることを実感しながら
ベッドに潜り、外に出て、年月を経ていきたい。

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