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大阪にあるもう1つの「沖縄」

大学院修士課程2年目の頃、ある研究会で私が地元・沖縄に関する研究について、その途中経過を報告したときのことです。そこで出会った京都在住の研究者D氏が、「沖縄のことを研究するのであれば、沖縄県内だけじゃなくて、県外の2世・3世の人も知った方がいいよ。ぜひ、大阪の大正区を訪れてみては?」と助言をいただきました。

初めて「大正区」という場所を知り、どんな場所なのか気になったため、大阪へと飛びました。
ちなみに、大阪市大正区に沖縄出身者が多い理由として、以下の以下の通りです。

大阪市大正区には沖縄出身者が多い。子や孫たちまで含めると、約7万人の区民の4分の1程度を占め、沖縄県北中城村の人口に匹敵する。商店街は沖縄物産店が軒を連ね、琉球舞踊のけいこ場や琉球空手の道場も少なくない。
大正区への移住者が本格的に増えるのは第1次大戦後。沖縄では深刻な不況下で食料に事欠き、ソテツの実や幹まで口にしたため「ソテツ地獄」と呼ばれた苦しい時期だった。彼らは出稼ぎのため、紡績産業で勃興期を迎えた大阪に大挙してやって来た。中でも大正区には工場が多く、移り住む人が相次いだようだ。

(「旅行・レジャー 耳よりな話題」より引用 URL↓)


2泊3日の旅!久しぶりに飛行機に乗ってウキウキ♫
これが旅行だったらよかったのですが、旅の目的は大正区にある「リトル沖縄」の風景を見ること。そして、D氏の職場である大阪にある某大学の図書館で、部落差別や沖縄関係の資料を閲覧すること。

1日目はD氏の職場である大学で、丸一日様々な本を閲覧。喋らなければ(関西弁できないもん)、そこの学生のように溶け込むことなど簡単だぜ!

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美味しい学食も食べたし、D氏から大阪の街並みの、特にJRと私鉄電車の変容を通して大阪経済の変化を聞けて、勉強になった1日目。

2日目はいよいよ、大正区へLet's Go!
ここで私の事前準備をしない馬鹿丸出し行動が爆発。

朝の10時にホテルを出て、まずは電車移動。初めての大阪市内の電車。地域によって「快速」「急行」「準特急」「各駅停車」などの意味が異なることに気がつかず、いろいろあって、気がついたら奈良方面へ向かう電車に乗ってしまいました(苦笑)

なぜ、乗り換えを間違えてしまったのか・・・自分でも分かりません!

ちゃんと、スマホの乗り換えアプリが示した経路で乗り換えたつもりが、どこかで間違えて目的地とは反対方向の電車に乗ってしまいました。

もう、上京したての18歳の頃に戻った気分でしたよ😩

予定ではめっちゃ遅くても12時には大正区に到着するはずが、現実は違いましたぁぁぁぁ〜〜〜〜、16時過ぎに大正区へと向かうバスにやっとで乗れたんですよぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜

大きな橋を渡って・・・おそらく海に掛かっていた橋だったかな??
もう、その頃にはヘトヘトになっていたので写真も何も撮らず、無事に到着しただけでも嬉しくて、その日はそれで満足でした。

日が沈んで、あたりも静かに。
なんだか、沖縄の糸満市の街並みのような感じ(私はそう感じました)。

本当なら、ゆっくり街を探索し、リトル沖縄の雰囲気を存分に味わいたかった。
そして、できれば少し街の人、特に沖縄出身の2世・3世の方と挨拶程度でもいいから言葉をたくさんかわしたかったなぁ。

唯一よかったことは、区内にある沖縄料理店でひさしぶりに沖縄料理を食べれたことです。そして、そこの店主のお姉さまとお話できました。とても気さくな方で、お姉さまのご両親(沖縄出身)のことを、色々と聞かせていただきました。

博士論文が終了したら、次は沖縄の2世・3世の方が集まる大正区や、ブラジル、ハワイなどでフィールドワーク出来たらいいなぁ。


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