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19-4.臨床現場を生きる

(特集 伊藤絵美先生との対話)
伊藤絵美(洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長)
下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.19

1.心理職は何を学んで現場に出るのか?

[下山]心理的な援助をする職種は,心理学を基盤とする「サイコロジスト」,心理療法の学派を重視する「セラピスト」,クライエント中心療法を基盤とする「カウンセラー」といったカテゴリグループに分類されます。さらにセラピストは,精神分析や行動療法といった学派によって個別グループに分かれます。それぞれのグループではオリエンテーションが異なるので,当然のことながら全体としてまとまるのは難しいですね。

日本では,これらの異なる職種のグループを一括して「心理職」と呼ぶわけです。でも,日本の心理職は,グループで分裂や対立が繰り返してきた歴史的経緯があるので,各グループはお互いに対して何らかの遺恨をもつようになっている。それで,日本の心理職は全体としてまとまらない。“仲間割れ”するのは仕方ないとも思う。

しかし,心理職全体として取り組まなければならない課題もあるわけです。それは,「心理職として臨床現場に出るためには,基本技能として何を学んでおけばよいのか」ということです。言い換えるならば,「心理職の共通の専門性は何か」という問題です。

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2.現場に出る若手心理職の不安と苦悩

[下山]心理職の教育訓練をするのにあたっては,「心理職の専門性として何を目指すのか」が決まっていないと,方針をたてることができない。それぞれのグループで別々の教育をしていたのでは,とても専門職とはいえない。さらに,公認心理師カリキュラムができて,5分野に分かれての知識教育の促進が求められるようになった。その結果,どんどん心理職全体のまとまりがなくなってきている。

学部において「保健医療」「福祉」「教育」「司法・非行」「産業・労働」といった幅広い分野の法律や行政の知識を詰め込まれ,大学院でその5分野での実践を学び,実習に出ていく。その上で医学や各分野の制度に関する詳細知識を含めて公認心理師試験を受けなければならない。これでは,心理職の専門性の基本を学ぶ機会などないということになります。

さらに,卒後は5分野のいずれかに入っていく。そこでは,各分野で全く違う職業教育を受けることになる。その結果,若手心理職は,臨床現場に出て自信をもてないまま右往左往することになります。本マガジン17-1号で紹介した若手心理職の座談会では,「心理職って何をする人ということの共通認識がない。だから,他職や利用者に自信を持って自分たちのことを説明できない」ということが語られています。

このように心理職の基本の教育ができないまま5分野に活動が分かれしまう現状は,“専門性”の形成という点で非常に深刻な事態になっている。特に若い心理職にとっては,心理職の統一性も専門性も,そして未来の姿も見えないまま臨床現場に出なければならない。このように先が見えないまま臨床現場で試行錯誤しているのが若手心理職の現状です。

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3.認知行動療法は心理職の共通言語になる

[下山]しかし,私の知る限り,心理職に関連する学会も職能団体も,このことを対処すべきだ課題として取り上げていない。本当にそれでよいのかと思うのです。この点について伊藤先生はどう思いますか?

[伊藤]5分野に分かれたとしても,認知行動療法はその共通言語になりうると思います。認知行動療法は,セルフヘルプの知識とスキルを伝えることができる。私は,新自由主義的な自己責任ではなくて,人とどう繋がるかといったことを含めて,自分を支える知識やスキルの習得をサポートするのが心理職の仕事だと思っている。それに役立つのが認知行動療法。だから,認知行動療法は,医療分野でも司法分野でも保険点数や予算がついている。産業分野でもリワークで使われている。その点で認知行動療法が心理職の共通言語になると思います。

[下山]確かに,有効性の科学的根拠を示すことができる点で認知行動療法は,心理職が社会的に活動するツールになりますね。実際,諸外国では心理職が専門職として社会的地位を得る上で認知行動療法が重要な役割を果たしてきた。海外で認知行動療法を実施するのは心理職であり,それが心理職の地位を高めたということがある。

しかし,日本では必ずしも認知行動療法を実践するのは心理職ではないという現実がある。診療保険点数が認められているのは医師,あるいは医師と共同して実施する看護師となっている。また,法務省関連の施設では法学部などの心理学履修者でない保護観察官が認知行動療法を実施している。

[伊藤]そうですね。日本では,看護師やPSWなどのさまざまな職種が認知行動療法を実施している。私は認知行動療法が多職種の共通言語になりうるとも考えているので,この現状に異存ありません。でも,私は,認知行動療法のベースにあるのは心理学であると思う。認知行動療法で何をやっているのかを心理学の用語に結びつけ,実施できるのは心理職。そして心理学的ベースをもとに他職種の認知行動療法のSVやコンサルもできるし,実際に私もそういう仕事をしている。だから認知行動療法を実施する心理職におけるアイデンティティはやはり心理学だと思っている。

[下山]心理学にアイデンティティを持っている心理職,つまりサイコロジストが認知行動療法を実施することで,他の職種が実施するのとは異なってくるわけですね。研究法も含めて心理学を学んだサイコロジストが実践者として認知行動療法を実施することに意味があるということですね。

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4.心理学と認知行動療法の学習を巡って

[伊藤]だからこそ,心理職になる人は学部で心理学をしっかり学んでほしい。でも,公認心理師カリキュラムではそうなっていないというのはジレンマですね。

[下山]公認心理師カリキュラムでは,心理アセスメントも心理支援も5分野の法律や制度も医学的知識も全部を学部で学ぶことになっている。だから,心理学をじっくりと学ぶことは難しい。すべてが詰め込みで中途半端。本来であれば,諸外国のカリキュラムのように学部で心理学をしっかりと学び,臨床心理学の知識やスキルは大学院で教育訓練を受けるのが望ましい。しかし,公認心理師カリキュラムではそうなっていない。

[伊藤]心理学を学部でしっかり学ぶことを理想と思わない人が日本には多くいるということですね。

[下山]心理職のカリキュラムなのに,心理職が主体性をもって公認心理師のカリキュラムも試験も作成できない事態になっている。これは,最初にお話した心理職の“仲間割れ”の結果として起きた事態です。

しかも,その“仲間割れ”とも関連して心理職の中には,心理職が心理学を学び,認知行動療法を基本スキルとしては困る人も相当数存在すると思う。さらに,心理職が主導権をもって認知行動療法を実施してほしくない医師や看護師の方も少なからずいる。

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5.心理職こそが認知行動療法の熟達者になる

[伊藤]ただ,私は,人間って簡単に飼い慣らされることはないと思います。私は,矯正系の人に認知行動療法を教育している。そこでは,矯正プログラムに認知行動療法が入っているので実施しているが,実施したからといって,受けた人が全員,適応的になるわけではない。臨床の現場なので泥臭さもある。教わったスキルを使って,認知や行動を「自分のために」上手に扱うことができるようになることが大切。認知行動療法をきっかけとして,内的な体験に触れたり,「自分は,本当はどう生きたいか」と考えるところに繋がったりすることができるかが問われる。認知行動療法をしっかり実施できて初めてそこまでいける。

心理職こそが,そのようにしっかりと認知行動療法を実践できる者になっていくものと思います。矯正系の施設では,当初は急にプログラムの柱が認知行動療法になったので,戸惑っておられた。この10~15年の積み重ねがあるなかで,単に振られたプログラムを機械的にこなすのではなく,それを使う者として認知行動療法をしっかり理解して提供する,そして「人は変わっていくのだ」という実感を持てるようになってきた。

そのように認知行動療法に熟達していく心理職が増えていくという希望を持っています。もちろん認知行動療法は万能ではないし,他のエビデンスベースのアプローチがあることも知っています。そこは臨床研究ベースで切磋琢磨すればいいのだと思っています。しかし私自身は認知行動療法を実践してきた者として,この線を推し進めていきたいと考えています。

[下山]つまり,心理職以外の職種が認知行動療法を実施している今の状況は,過渡期ということですね。心理職が心理学をしっかりと学び,それを基礎として認知行動療法を適切に実施するようになっていけば,心理職が認知行動療法の実施者になることが次第に定着していくだろうという見通しですね。まずは,そのような教育プログラムを作らないといけないですね。

[伊藤]そう期待していますけどね。できることは限られています。しかし,まずはそのように言っていかないといけないと思います。

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6.心理職が主体性を発揮できる“開業”領域

[下山]公認心理師の制度は,5分野の組織において心理職を実務者や技術者として活用できるように育成していくシステムです。そうであるからこそ,学部カリキュラムや試験において,5分野の実務や法律,制度を詳しく学ばせることになるわけです。

私は,実務者や技術者としての心理職の役割はとても重要であると思っています。実際に現場で心理支援サービスの大部分を担うのは,社会システムの中で上位者の指示を受けて働く実務者や技術者であるからです。心理職全員が専門職として主体的に専門活動を展開してく必要はないわけです。

しかし,心理職の活動が独立した専門活動として発展していくためには,実務者や技術者だけでは十分ではないという面もあると考えます。心理職が専門職として発展していくためには,心理職が主体的に専門活動を実践できる場が必要となる。ところが,医療や行政が社会的権力を行使する現在の日本の社会システムでは,5分野のメンタルケアサービスにおいて心理職がリーダーシップをとって主体的に活動を展開できることは難しい。そこで,私は,開業というのはとても大切な領域になると思う。

海外の多職種メンタルケア・チームでは,必ずしも医師がリーダーシップをとっているわけではない。クリニカル・サイコロジストが中心となって地域のメンタルケア活動が展開するチームも多い。そのような実践活動を通して心理職の専門性が発展し,臨床心理学も発展し,さらに心理職がメンタルケアの中心になっていくという循環が生じている。

海外におけるクリニカル・サイコロジストの活躍をみるにつけ,心理職が専門職として主体的に活動し,専門性を存分に発揮できる場が必要であると思う。ただ,公認心理師制度の中で心理職の活動が限定されるようになってきている今日の状況において心理職が主体的に専門性を発揮できる場は,もはや開業の領域しかないのではないかと思うわけです。その点で伊藤先生が運営している洗足ストレスコーピング・サポートオフィスは,まさにそのような場であると思います。

[伊藤]開業はとても重要だと思います。心理職が主体的に心理支援できる場だからです。以前,民間企業の中でEAPの仕事に携わっていて,企業の中で心理支援をしていた。そこでは,上司と意見が異なり,「自分の居場所はここではない」と感じて退職した。それまで精神科医療の中で長く仕事をしていたが,EAP的な仕事もとても面白くて,それらの仕事を主体的に展開するとしたら開業がベストだと考え,開業した。

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7.開業機関がサービスを提供する意義

[伊藤]開業では,地域性も大事になる。私は,開業するオフィスの名称に,オフィスのある場所の「洗足」というローカルな地域名を入れることにした。晩年の内山喜久雄先生には可愛がってもらった。その内山先生には「洗足という名前は小さすぎる。せっかくするなら『東京』とか『JAPAN』を冠する名前にしたら」とアドバイスを受けた(笑)。でも,私は自分ができることに限りはあるし,限りがある中で丁寧に仕事をしたいと思っている。だからあえてローカルな地名を入れた。

最近開業する人が増えてきている。とてもいいことと思っている。私自身,仲間が増えて嬉しい。でも一方で,料金の問題がある。経営を成り立たせるためにそれなりの金額を設定しないといけない。となると,クライエントは限られた人だけとなる。

これはジレンマ。それを解決するために,何かしらの公的な制度が入ってほしい。低所得者の人でも,開業機関の心理相談が受けられるような支援があってほしい。そこは行政にやってほしい。今でも共済組合が補助金を出す例もある。生活保護の人も心理支援を求めている。

[下山]生活保護を受けている方から相談料金をいただくのはしのびない。そういう問題をはらみながらも,心理職が専門性を維持するには開業がとても重要となっていますね。心理職サイドからは,自分たちの専門性を自分たちで考えて展開できるという利点がある。利用者サイドからするならば,利用する選択肢が増えるという利点がある。

今の日本だと,何かメンタルヘルス絡みの心理的問題が生じた場合,利用できる機関が非常に限られてしまう。必ずしも薬物療法が必要でないと思われる場合でも,多くの人は精神科や心療内科のクリニックにいくことになる。そのため,クリニックは慢性的に混み合っており,受付までに1~2カ月間も待たなかればならないということさえ生じる。

運良く受付が済んだとしても,5分診療,時には3分診療ということになる。しかも,薬物療法がほとんど。日本は諸外国に比較しても精神科薬物を出しすぎの傾向があり,多剤大量投与が問題になって久しい。「クリニックに行ったら薬漬けにされる」という患者さんもいる。

そういう状況において精神科の病院やクリニックとは異なる心理支援の独立機関があることは,利用者に選択の余地があるという意味でも意義は大きい。日本では,薬物が必要でないレベルの心理的問題であっても,医療機関に行き,薬を処方されて副作用で苦しみ人も少なからずいる。それは,利用者にとっては不幸といえる。

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8.利用者のアクセスをサポートする

[伊藤]ただ,利用者のアクセスについては,インターネットが普及して,昔よりは状況が良くなっていると思う。利用者が直接心理職のところに行くことができるアクセスができている。その点は変わってきているのでは?

[下山]そうですね。そのようなインターネットの活用ということも含めて,心理職の開業をこれからどのようにしていくかは重要なテーマですね。伊藤先生は,一般書も多く書かれている。読み物としてとても面白い。一般読者は,そのような本を読んで,自分でも心理的問題を改善したいと考えるようになると思う。そのような一般読者へのアピールは,意図的にやっていたのですか。

[伊藤]いや。もともとは専門家向けしか書いていなかった。認知行動療法がこんなにエビデンスが出ているのに,できる人が少ないという問題意識から専門家向けにワークショップをしたり出版をしたりした。認知行動療法を提供できるセラピストを増やすことが目的だった。一般的な方に向けの本を書くようになったのは最近です。

[下山]それは,意図して一般の方に心理相談の利用を勧めるということもあったのですか。

[伊藤]そういう意味もある。スキーマ療法のワークブックや,『セルフケアの道具箱』も出した※。当初は,専門家の育成のために本を書いていた。しかし,それだけだと,一般の方のニーズに対応できないことがわかってきた。それで,セルフヘルプの本を書いて,ツールとして当事者の方々に使ってもらうこと考えた。そのようにして認知行動療法を役に立てられないかと思った。認知行動療法のセルフヘルプ本やWeb教材が相応の効果があるというエビデンスもある。

※伊藤絵美(著)/細川貂々(イラスト)『セルフケアの道具箱−ストレスと上手につきあう100のワーク』(晶文社)
https://www.shobunsha.co.jp/?p=5792

[下山]現在,洗足ストレスコーピング・サポートオフィスは予約が取れない状況と聞いていますが。

[伊藤]そうですね。ちょっと限界な状態。認知行動療法にエビデンスがあることを知って申し込んできた人を受付できないというのは切なすぎますよね。うちのスタッフとも話していますけど,重篤な性犯罪を起こすと,法務省の施設でめちゃくちゃ濃密な認知行動療法を受けられる。でも,本当は罪を犯す前に,認知行動療法を受けることができる機会を増やせたらいいのにと思います。そうしたら,被害者も減るのにとも思いますよね。

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9.洗足ストレスコーピング・サポートオフィスでの心理職教育

[下山]洗足ストレスコーピング・サポートオフィスにおける日々の臨床活動において大切にしていることはどのようなことでしょうか。

[伊藤]日々の臨床の中で,毎日ケースカンファレンスするし,陪席もさせる。私が講師をするワークショップにも出てもらう。OJT(On the Job training)みたいな感じですね。

[下山]訓練を受けている心理職の中でスキーマ療法に合う人,合わない人はいますか?

[伊藤]うちのオフィスに来るとスキーマ療法をやらざるを得ない。できるようになるまでちょっと時間がかかることはある。内部研修会で,セルフセラピーとして実践することをやっている。うちのスタッフにはそういう人はいないが,特にスキーマ療法は要は自分に向き合いたくない人は無理だと思う。

[下山]なるほど。実験心理学などの出身者は,自分に向き合うことも含めて情緒的なものを受け止めることは苦手なのではないですか。

[伊藤]うちのオフィスで心理職として働きたいという人は,行動療法系のことを学んで来た人が多い。行動療法系出身の人は「スキーマ療法なんか知らない」ということはある。でも,若い人たちは,陪席して,クライエントがそれだけ変化するのだということを目の当たりにすると,変わっていく。

[下山]なるほど。理屈じゃないのですね。学ぶ人は,体験をして納得する。それを通して人が育つ。そういうことですね。それをローカルな洗足でやっておられる(笑)。アンビシャスではない。ひっそりとまでは言わないが。きちっとやっている。世の中に広げていきたいとか,そういうのはないのですか?

[伊藤]自分はメインが大学人ではないので,それはない(笑)。ただ,千葉大学で教えているが(千葉大学子どものこころの発達教育研究センター),ここには一度社会人になった人が来る。医師も心理師も看護師も教師も言語聴覚士もいる。現場で働いている人と一緒にワークショップを「ああだ,こうだ」と言いながらやる。そちらが楽しい。

[下山]なるほど。やはり職人モデルですね。しかも,大手工務店に社員として雇われている職人さんではなく,自分の納得できる仕事をキチッとする自営の大工さんのような職人の仕事と教育を実践されていますね。

ここまでお話を伺って,学問レベルでも実践レベルでも伊藤先生の考える心理職の専門性の実像が見えてきました。それでは,次にこの対談のテーマである「心理職の専門性とは何か」を改めて議論して終わりとしたいと思います。

(次に続く)

■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)
■記録作成 by 北原祐理(東京大学 特任助教)

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臨床心理マガジン iNEXT 第19号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.19


◇編集長・発行人:下山晴彦
◇編集サポート:株式会社 遠見書房

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