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自処位の自己限定

「時」とは、自分が、どのような
時代に生きているかを深く認識するということである。

また、「所」とは、自分が、どこで
生まれたのか、今いる場所はどこなのかを、自らに問うて生きなければならないということである。

そして、「位」とは、「時」を理解し、「所」を理解すれば、自らがどう生きるべきかの使命が見えるという
ことである。

             ~森信三氏の言葉~

ある時から、人生が、自分を
どこに導こうとしているのか。

これが、まったくわからなくなったわけである。

自分がいったいどこに向かっているのか。

これが、皆目わからなくなったので
ある。

だから、仕方がない。
ただ目の前のこと。
これに専心するだけの人生と
なったのである。

今あらためて感じることは、
自らの進むべき道、これが見えなく
なった時こそ、自らの生い立ちに
思いを馳せる時なのである。

自らのご先祖の人生。
これに思いを馳せることなのである。

そうすると、自分が、なぜこの
時代に、なぜこの家系に生まれたのか。これが、だんだんと、見えて
くるからである。

そうすると、自分がこれまで
どこに向かって歩んできたのか。
自らの歩んできた道の意味が、
理解できるようになるのである。

そして、どこに向かって進めば
良いのか。

これもまた、自ずと見えてくるので
ある。

時処は、自己限定されており、
良くも悪くも、唯一無二である。

それゆえ、そこを深く突き詰めると、
自らの本質が潜んでいるのである。

そして、人は、その本質においては、どこまでいっても、果てがない、無限であることを知るのである。

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