
目標が見えなくなるというコト
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目標が見えない。
そんな時は、不安になる。
自分の方向性も、自分の歩みの評価も、
目標がなければ、見えないし、はかれない。
それが、とっても不安なんだ。
でも、目標が見えないのは、
無目標というわけではない。
今掲げている目標が、言語化できない、
数値化できないから、困っている。不安になっている。
そんなわけなんだ。
だから、目標が見えない時は、
目を凝らして見ようとするしかない。
見えないならば、仕方がない。
感じるほうに、匂うほうに、うまそうなほうに、
視覚以外の感覚を研ぎ澄ませて
進むんだ。
そうやってとぼとぼでも、
クダクダでも、這いつくばってでも、
歩んでゆけば、
だんだんカタチが見えてくる。
見えない目標が見えてくる。
そんな瞬間に気づくんだ。
決して無目標だったわけじゃなく、
目に見えない、数値化できない無形の目標を
追っかけていて、それが実現できたんだってこと。
つまりは、そういうことなんだ。
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札幌にて15年間中学校教師として勤務。青年海外協力隊参加を機に退職、ウガンダ共和国にて2年間、青少年に野球指導を行う。指導したウガンダ高校生は、2008年に札幌ドームでの親善試合に招聘された。著書に「日本人という生き方」が
ある。㈱インディヴィジュアル 代表取締役