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芥川龍之介『蜘蛛の糸』『羅生門』感想文

『蜘蛛の糸』

文章が美しいです。今回再読してみてまずそのように感じました。著者は語り手の作為的な「匂い」がしないように綴っていると思います。御釈迦様は「ぶらぶら御歩きになって」いたり、気まぐれ(偶然)に罪人の「犍陀多」を地獄から助けようとしています。天国へと至る“道”は、「偶然の力」が大きくて、上の描写は「それ」を表現しているのでしょう。社会では、この物語のような“救い”はほぼ無いと思います(いわゆる救いが無いのが救い)。


『羅生門』

固有名詞が無いので寓意的な物語であり、「社会状況の因果」がこの物語の装置です。この装置が固有名詞が無い物語で使われるとき、ある種の「円環もの」になると思います。物語の装置・「社会状況の因果」がある限り、『羅生門』の下人以降にも同じ境遇の人物たちが、「羅生門で雨やみを待っている」状況が発生します(「円環もの」と感じたのは以上が理由です)。老婆が自分の行いを正当化するための「話」は、物語展開を加速させる舞台です。“現実世界”では上のような「話」はしないと思いますが、この物語は“小説世界”なので可能です。

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