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沖縄・伊平屋島の聖地「クマヤ洞窟」での超感覚メモと残された逸話

動画も作りました♪ 観てね!

クマヤ洞窟外 0:00
クマヤ洞窟内 3:16
2016年に訪れたクマヤ洞窟での超感覚 4:59
ヤヘー岩まで原チャリドライブGo! 7:15

2016年の伊平屋・クマヤ洞窟

2016年冬に訪れたクマヤ洞窟は、ご神体が見えないほど真っ暗でした。ちなみに、入口は東を向いています。太陽の傾き加減なのか、天候なのか、訪れた時刻が違ったせいなのかわかりませんが、ご神体に近づくのがとんでもなく怖かったですね。

一歩一歩近づき、少しだけ目が慣れてきたところで、言葉によるご挨拶をしようと手を合わせる私。

「何をしにきた?」

体内というか、脳内というかで、威圧感のある男性の声が響きました。

白いシェンロンに言われた気が…

「畏怖の念とは、限りなく『恐怖』に近いんだな」と、私は急いで干支と名前を宣言した後、

「聖地を巡って歌という祈りをささげている者である」こと。「今現在、沖縄・ユダヤ・平家の関係性を調べている」こと。そして、「それらに対して何かヒント・教えられることがあれば、私がわかるように教えてほしい」と願いました。

すると、徐々に洞窟内の張り詰めたエネルギーが軽くなり、その圧倒的な存在がいなくなったように感じました。怪しい者ではないことを理解してもらえたと思った私は歌を奉納開始。

歌い続けていたら、ご神体の上部にうっすらと、あるビジョンが見えてきたのです。まさかの菊の御紋でした。どんどん濃くなっていき、消えていきました。菊の御紋といえば、「天皇家・皇族の家紋」です。

菊の御紋

伊平屋・クマヤ洞窟の存在は、私に何を伝えたかったのか?私はしばらく考えていました。

8年ぶりに再訪したクマヤ洞窟

2024年春分に訪れたクマヤ洞窟は、なんとまぁ軽やか。太陽の光が洞窟内に差し込み、ご神体だけでなく、全体が明るくはっきりと見て取ることができました。

手を合わせ、8年前と同じように干支と名前を唱え、歌を奉納してみたところ、「テンポをもっと速く!かつビートの抑揚をつけてほしい!」といった歓喜に満ちたポジティブな煽りのようなものを感じました。

「この感覚、六甲姫神社と洞爺湖のちんこ島、そして宇陀の室生龍穴と同じだ…」※ちなみに、三カ所とも女龍王さん関連です。

目に見えない存在(人や人以外もw)からの大喝采。中には踊っている存在も。8年ぶりの巡礼・歌奉納は大盛況を収めることができました。

やはり自分のコンディション(魂レベルも含む)やタイミングによって、見えるモノ・感じるモノ・受け取るモノは違ってくると再認識。なかなか他の人には伝えることのできない達成感と充足感を一人嚙み締める私なのでした。

クマヤ洞窟にちなんだ逸話

ちなみに、江戸時代の国学者・藤井貞幹は、この「クマヤ洞窟の環境は、十分に天岩戸を思わしむるもの」と主張。クマヤ洞窟と天岩戸伝説を強く結びつけました。国学者・本居宣長は、その論説に大反対。激しい論争を繰り広げたそうです。

また、「初代神武天皇の母・玉依姫は、伊平屋の人である」といった説も見受けられました。民族の移動経路(要するに、海神族でしょう。「ワダツミ」です。)から考えて、宮崎の天岩戸より真実味が深いという意見も。※ 私個人も荒唐無稽な話ではないと思っています。

さらにもう一つ。伊平屋島、そのすぐお隣の伊是名島は、沖縄の中で最も北にある島々ですが、古くから「外界」と呼ばれていたそうです。おそらく沖縄本島や現在鹿児島県に含まれる近隣の島々から呼ばれていたのでしょう。

琉球王朝を建てた第一尚氏王統の始祖・尚巴志の祖先は、伊平屋島出身です。第二尚氏の始祖は、伊是名島出身。両王統の始祖は、この「外界」と呼ばれていた島の出身なのです。

やはり第一・第二尚氏の開祖の祖先は、源平合戦でてんでんばらばらになって流れ着いた兵士たちの末裔(「南走平家」説)なのではないでしょうか?

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