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日本芸能の原点!奈良豆比古神社にまつわる「ややこしい系譜」を徹底解説 part.1 【聖地巡礼小話vol.31】

「吉野で見た夢」の導き以来、研究対象となっていた春日宮天皇(=志貴皇子)、奈良豆比古神社。まつわる人物が案外ややこしいので、文章にて情報整理しました。

現在も奈良豆比古神社に関して、深堀り中。「知の拡張」続いています。一人語り動画もどうぞ。

まずは志貴皇子さんを振り返り

奈良阪・奈良豆比古神社の主祭神であり、亡くなって50年後に追尊され、春日宮(田原)天皇となった「志貴皇子」さん。

【イメージ】「天上の虹/里中満智子さん」

父・天智天皇と母・越道君イラツメの間に生まれた第7子、持統女帝とは兄妹(姉弟?)という出自を持つ。万葉歌人として評価が高く、熾烈な皇位継承争いから身を引いたと言われる無縁の文化人なのでした。その隠遁先が春日離宮(現奈良阪・奈良豆比古神社周辺)だったと言われています。

ちなみに、今上天皇(現・徳仁天皇)の直系祖先は、この志貴皇子さんとのこと。

志貴皇子さんの別名「施基親王」のように、「しき」には様々な表記があります。磯城・師木・式など…。色々調べていくと、奈良・大神神社のご神体・三輪山(現・桜井)周辺の地域名、そして、もともとこのエリアを治めていた氏族の名が「磯城」であったこともわかりました。

ちなみに、天武天皇にも「磯城皇子」がいるのでお間違いないよう。

志貴皇子の后とその息子たち

志貴皇子さんは何人か后を娶ったようですが、その内の后2人が紀橡姫と多紀皇女。その元に産まれたのが白壁王と春日王でした。

紀橡姫(きのとちひめ):紀氏貴族の娘。⇒白壁王(第49代光仁天皇)。
多紀皇女(たきのひめみこ):天武天皇の娘。伊勢斎王。⇒春日王(奈良豆比古神社の祭神)。

白壁王

第49代光仁天皇として齢62で即位(770年)します。即位した年齢は、歴代天皇の中で最高齢。 8歳で父・志貴皇子を亡くしたからか、初叙(しょじょ:初めて位を授かること)が遅く、若い頃は熾烈な皇位継承問題に巻き込まれないよう、酒におぼれているように見せかけていたというエピソードも。

春日王

伝承的人物と言われるが、「続日本紀」からは実在の人物だった事が伺える点も。「光仁天皇より6つ年上で、(嫡子であるはずが)目立った出世はしていない」という記録が残っているとのこと。ハンセン病を患っていたよう。奈良阪エリアにはハンセン病に患ってから居住し始めたのか?患う前から居たのか?

つづく。

次回は、春日王とその二人の息子、奈良豆比古神社の猿楽から見えてくるものをテーマにお届けしようと思います。




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