見出し画像

SAVE DATA 第二十八話〈創作大賞2023 イラストストーリー部門〉

Chapter28「好み」


2024年1月―――。

年が明け、大学入学共通テストの一日目、学校からバスで出発する生徒たちを激励した後、私は静かな教室に戻った。
明かりもついていない教室の角の席に、角塚がいた。白いマフラーを巻いたまま、机に伏せている。

「・・・風邪ひくわよ」

私は彼女の前の席に座って、声をかけた。
角塚はゆっくりと顔を上げると、その目が薄らと充血していることに私は気づいた。
目を擦りながら、私を認めると、彼女はため息混じりに言った。

「・・・明日崎せんせえ、いい加減私に構うのやめてほしいんだけど」

不思議と口調はいつもより穏やかだ。

「ごめん、付き纏ってるつもりはないの」

「それは嘘でしょ。私も疲れたよ。いちいち目障りなせんせえが現れて、それを回避するのが」

角塚ははあとため息をついた。

「・・・でも安心してね。今は時期が悪くてできないけど、この4月になればもうその必要性はなくなるからさ」

角塚は笑みを浮かべて言った。

「それって、つまり・・・」

「うん、超青春の力であなたをこの学校から追い出します」

「ああ、そっちか」

私はガクッと肩を落とした。

腹が据わったのか、私との絡みは4月までの辛抱、という風に角塚なりに割り切ったうえでの態度なのだろう。

だが、それは聞き捨てならなかった。
「どうしても、卒業はしないのね」

「くどいな。しないってば」

「・・・なるほどね」

ふわあ、と私は欠伸をした。

「・・・随分諦めが良くなったね」

彼女は少し驚いている様子だった。

「諦めはしないわ。今、押し問答しても仕方ないでしょ。それだけのこと」

「・・・ふーん」

「それに今日は大学入学共通テストでしょ。他の子達がうまくいくか気になって、ソワソワしちゃうわ」

そして私は立ち上がった。

「ねえ、自販機に行きましょう。奢るわよ」

「は?」

「行こうほら。ここに居ても暇でしょ?」

半ば無理やりに私は角塚の手を引いた。
嫌々という感じだったが、完全に拒絶せずについてきてくれるところになんだかホッとした。
自販機は渡り廊下を渡って、体育館の近くにある。側にはベンチがあり、そこで落ち着くこともできるのだ。

「何がいい?あったかいのにしたほうがよさそうね」

先にベンチに座った角塚に尋ねた。

「私、その中ならカフェオレしか飲めない」

「ひょっとして結構偏食?」

「そんなことないよ。緑の野菜類と、玉ねぎ、トマト、かぼちゃ、煮物系、ホルモンとかの内蔵系、生魚、貝類、ゆで卵、味がついたライス、ポタージュ、コーヒーとかが嫌いなだけ」

「いや多いな!」

それは充分偏食家なのでは、と思うが、わざわざ言う気も失せたので、自分用のコーヒーと、角塚用のカフェオレを買ってあげて渡した。
角塚は軽く会釈して、パコっと音を鳴らして缶を開け、恐る恐る口につけた。私もその様子を眺めながら、同じように熱々の缶コーヒーを飲んだ。
吐く息がたちまち白くなった。私たちは何も言わずに、ただ晴れた冬の空を眺めた。

「・・・せんせえ、倉石千晴さんについて教えてよ」

口を開いたのは、角塚だった。

「倉石のこと?どうして?」

「咲織せんぱいからはよく聞いてたの。脚が速くて、誰よりもカッコよかったって」

「中学の時、咲織はずっと倉石のことが好きだったからねえ」

横目で角塚が少し顔を曇らせたのがわかったので、私は話を変えるように、とりあえず倉石で思いつくことを挙げてみた。

「脚が速いというのは、本当にそうだったわ。高校の時、400、200でインターハイベスト8に入ってたし、出会った時も平凡な学校の陸上部の中で明らかに頭一つ抜け出た存在だったわ」

「見た目は?」

「見た目?背は中くらいで、年中色黒で筋肉質。髪は短くて、まあ目鼻立ちはくっきりしてたから顔は悪くないけど、色気はなかったな」

「じゃあ私とどっちがかわいい?」

「え?それは、うーん、角塚さん?」

「そうなんだ」

何の質問で、どういう意図があるんだろうと疑問に思うが、本人が少し満足そうなのでとりあえずは良かった。

「せんぱいは、倉石千晴さんに勝てずに亡くなった。そのせいで誰からも覚えていられなくなった。せんせえ、私どうしても倉石千晴さんがいなければって思って仕方ないのよ。あの人がいなければ、せんぱいは卒業して今も生きてたと思う」

「倉石がいなければ、ねえ」

私はコーヒーを飲んで、冷静に言葉を咀嚼する。友人としては倉石の存在を否定されるのは許せないが、彼女は一生徒で私は教師だ。声を荒げて怒ることはしない。

「たらればだから、うまく言えないけどさ、どうしたほうが良かったなんて明言できないよ私には」

角塚は何も言わずにカフェオレを一口飲んだ。
私は続ける。

「ただ言えることは全部過去になったということだけ。取り返しのつかない過去はどうすることもできないから、どうであって欲しかったなんて言っても意味ないわ」

角塚は立ち上がった。どうやらカフェオレを飲み干したらしい。早いな。
ゴミ入れにカコンと入れて、振り返って私を見る。

「どうしようもない過去に囚われる人間もいるのよ。せんせいもそうでしょ?あの授業中だって、ふと倉石千晴さんを思い出して、会いたくなった。いや、今だってどうしようもないくらい会いたいくせに」

「確かにそれはそうね。けど少なくとも私が倉石を想う気持ちはあなたの場合と違うし、あなたが咲織を想う気持ちも私の場合と違うはず。それにあなたは勘違いしてるわ」

「勘違い?」

「過去に囚われていたら何もできないなんてことはない。過去に囚われながらも、未来には歩いていけるのよ」

私がそうであったように。
忘れられない思い出を何度も何度も顧みても、それでも私は気づけば大学を出て、高校の時倉石に誓った教師になっていた。
それは難しいことじゃない。当たり前のように挫けながらも少しずつ進んできた結果だ。
しかし。

「・・・ダメだよ先生、そんなんじゃ」

角塚は少し俯きがちに言った。

「当たり前のようにやってくる未来を受け入れれば簡単だけど、私はそんな簡単にいかないの」

「角塚さん、あなたを悩ませるのは一体何なの?」

「・・・」

角塚は押し黙った。
缶コーヒーを持つ手に力が入る。スチール缶でなければ潰していたかもしれない。
その先を。私はその先を知りたい。
頼む。お願い。
踏み出して角塚。
繰り返す青春の外に出るには、あなたの一歩が必要なの。
私の願いが届いたのか、角塚は躊躇いながらもやがてゆっくりと口を開いた。

「青春の中にしかないのよ」

しかし、出てきた言葉は私と角塚の間に再び距離を作った。
そして角塚は「ごちそうさま」と言って校舎に入っていった。

「ちょっと待って!まだ話は・・・!」

慌てて追いかけるが、廊下にはすでに人影はなかった。弱体化した超青春の力でもこれくらいは出来るらしかった。
角塚の本心。その核心部までもう少しなのに、至らなかった。
私は角塚が消えていった先をずっと見ていた。

卒業式まで、後2ヶ月もない1月のことだった。



第二十九話はこちら↓


前の話はこちら↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?