好きってなんだろう。

私がなぜ今日このタイトルを書こうと思ったのか。
それは「好き」ってなんだろうと掘り下げる出来事があったから...
なんだろうな。

「好きなことを仕事に」
「あなたらしく生きる」なんてうっせぇわ。
そろそろ好きなことを仕事にという進路指導から脱却できないものか

という、娘の学校の先生の投稿を見て、なんだかモヤモヤしたものの、そこをすぐに言語化できなかった。

先生は「好きなことを仕事にしないほうが幸福度が高い」という論文を読んだり、好きだけじゃ仕事なんて決まらないなど、先生なりの知識や経験を持っての言葉だということは、もちろん理解している。
そして、そう思っている先生を変えようという思いとも違う。
でも、そう思ってる先生に子どもを託す母の気持ち。

ここにモヤモヤを感じているのか。

自分を振り返ると
高校3年の春、進路希望調査で書いた、なりたい職業の数は30個。
進路指導の先生からは、せめて3つくらいにならない?と言われたものの「そんなのやってみたこともないのにわかるわけもない。だから全部やってみたいのに...。どうやったら1つに絞れるの⁈」
なんて、先生を困らせていた。

こんなにたくさんなりたいものがあるなら、すぐにどれか叶えられるだろうと思ったのに、高校を卒業してすぐ就職したのは、30個以上書いた職業には1mmもかすらない消費者金融業。

この時点で私は、間違いなく好きなことを仕事にしていない。
お金を融資して、返済してもらい、たまにティッシュを配る。
でも、中にはナニワ金融道を見て憧れて入社しました!と、目をギラギラさせた人もいたな(笑)

そもそもなぜ就職したのかはまた今度書くとして、そんな好きの欠片もない就職で、私はなぜ支店長にまでなったのかと考えると、好きな仕事との共通点が見つかってくる。

それが「誰かが喜んでくれること、目の前の人が笑顔になること、ありがとうと言われる仕事をしたい」ということ。

『えっ?消費者金融で、お客さん喜ぶの?!』
なんて思われそうだけど、融資を受け取る時

「助かったよーー!」そう言ってすごい笑顔で帰っていくお客様を見ると

「あぁ、よかったなぁ」と、素直に嬉しくなる瞬間があった。

もちろんいい時ばかりじゃなく、辛い声を聞くこともあり
乗り越えられない方がいると、本当に胸が苦しくなった…。

人生の酸いも甘いもなんて言うのはおこがましいかもしれないけれど

人の表も裏も

いや

裏を見ることのほうが多く

きっと私に必要だから今経験しているんだろうと思っても、後半は正直仕事が辛かった。

ただ、この頃からどんな仕事も「誰かが喜ぶためにあるんだ」そういう思いで働けていたことはすごく幸せだったと思う。

その後、転職をする際「好き」を仕事にと考えたことはあったものの

「お客様の喜ぶ顔が見たい!目の前の人が笑顔になることをしたい!」

「あれ?じゃぁ、自分の好きな仕事ってなんだろう⁈」と、わからなくなっていたのも事実。

お客様の笑顔を創るために、自分が笑顔じゃなくなることがあっても

それが仕事なんだ、お給料を貰うのに、自分が楽しもうなんて都合がいい。
なんて、間違った方向で考えはじめていたことにさえ気づいていなかった。

こんな「好き」がわからなくなってしまっていた私は、もしかしたら高校の時から自分の「好き」がよくわかっていなかったのかもしれない。
そうなると「好きを仕事に」の「好き」を感じる力から育まなきゃならない。


でも、こんな私とは違い

子どもが好きで保育士になり子に「好きだけじゃなれないでしょ?」
パン屋さんになりたい子に「それじゃ食べていけないんじゃない?」と
先生から言われたら、どうだろう。

もちろん技術的なことや素質、体力、経営、マネージメントなど様々な課題は誰にだってある。
けれど、できることなら叶える道を一緒に考えてくれる先生だと、嬉しいなぁと私は思う。

自分自身の中に「好きの種」がある。
そのことに気づけること。
それ自体が素敵なことだから。

もちろん向き合った結果、諦める道を選ぶことがあってもいい。
けれど、自分の「好きの種」に水もあげないで「どうせ咲かない」なんて諦め方はしないで欲しい。

ん?「諦める道を選ぶことがあってもいい」と思っているのに

私はなぜ『「好き」を仕事になんて、うっせぇわ』に、こんなにモヤモヤしているんだ?

先生曰く、そもそも仕事に喜びを見つけるより淡々とやったほうが良い場合もあり、収入を得ることのほうが生きて行くうえで大切ともあった。
仕事とは収入を得るためのもので、その先にたまたまやりがいがある。

私が「好き」に気づけずに仕事をしていた頃は、お客様が喜んでくれそうな内容で、収入が安定した仕事ばかりを選んでいた。←あれ?先生の言う働き方だ(笑)
でも、「本当にこのままでいいのかな・・・」そんな疑問がいつも胸を過っていた。
そして、それと同時に「好き」ってなんだ?と、自分の「好き」という感覚すらよくわからなくなっていた。

その後、私が自分の好きに気づけたのは、社会人になって20年経った頃なのかも。
な・・・長い。
ずいぶん迷走していた。いや、迷走しすぎだ(笑)

そんな私が迷走している間に時代は進み、AIが進化。
考えなくてもできるような仕事はロボットができるようになった時、やっぱり人間にできるのは、考えること、想いを大切にすることではないだろうか。

「私らしく」なんてものはすごく抽象的だし

「好き」なんて想いは目に見えるものではない。

ただ「こんなの私らしくない・・・」って思って生きるより
「私らしく生きられてる」といいなぁ。

じゃぁ「私らしくって?」ここを見つけるのが人生なのかと思ったり。

これは「好き」もそうなのかも。
好きだと思っていても、やってみたら違った、ということもある。

「好き」なことを仕事に。

これは「好きなこと」を仕事にしてもいいし、「好きなこと」を仕事にできなくても、そこで経験できること、感じる想いに、ちゃんと向き合って努力できれば、どっちでもいい。

「好き」も「仕事」も「私らしく」も、人それぞれ。
幸せの感じ方も人それぞれ。
みんな違って、みんないい。
みんな違うルートで、それでいい。

先生は教育者として社会に出て、お給料貰って、普通に暮らせるように育てなければという想いの元、「好き」とか言ってないで、ちゃんと働いて生きていくことが大切という軸を持っているのかもしれない。

でも、働いてお給料を貰うもよし、起業するもよし、収入うんぬんより「好き」を追求するもよし。
どんな生き方でも、自分も他人も大切にできる大人になってくれたらいいと私は感じている。

となると、あとは先生の発信の仕方が私の好みではなかったという問題なのか。


「好きなこと」が見つかっているなら、そこに向かって頑張ったらいい。
でも、「好きなことを仕事に」と思って迷子になって何もしないでいるなら、何だかわからなくても目の前のことに全力で取り組んでみる。
そしたら、その経験から「私らしさ」や「好き」が見つかるかもしれないよ。

あーー。こんな風に言って欲しかったんだ。

そこまで言わなくても気づけよって話なのか、それとも本気でそんなのうっせぇわと思っているのか、心意はわからないけれど・・・

「好きの種」にたくさん出会う場が学校でもあるからこそ、先生方にはその芽を育む声かけをして欲しいと思っているんだ。

自分は学生時代、先生に恵まれすぎていて、先生の声かけのおかげで今があると感謝するほど大好きな人ばかり。
でも、もしかしたら先生方の中には、言葉が省略されすぎて一番伝えたいことが届いていない人もいるのかも。
話が長いのも伝わらないけど、短すぎても伝わらない。

学校の先生に勉強以外のことを教えて欲しいと思うのは、もしかしたら業務外なのかもしれないけれど、親の手から離れて、学校という社会経験をする中で、一番身近で、一番信頼しているだろう大人が先生という存在。
そうした先生の想いや、発する言葉、行動を見て、子どもたちはたくさんのことを吸収している。
そして、そうであることを期待しているから、つい私も先生の言葉に敏感だったのかもしれない。

いろんな先生、いろんな大人がいること。
それは家庭で伝えていくとして、あたしも娘と話す時、そして周りの人と話す時に気をつけてみよう♪

想いが届く、想いが伝わる言葉を選ぶ。

それも私らしさの欠片のひとつだから。


と、かなり長く書きすぎましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

あーーーー、モヤモヤがスッキリしたー!

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