そもそも「自信」とは、根拠がない方が正しい。
ときどき僕は、憑りつかれたかのように「自己分析」を行うことがあります。
どこかの博士が提唱した理論に基づいて、質問に答えていき、自分の性格や適性を詳しく知っていくのですが、特に「新しい自分」を知ることはできず、診断結果を見ては、「確かに。俺、そういうとこあるよねー」と確認するだけです。
1年前にも同じようなテストを受けているので、結果が変わらない場合がほとんどです。
それなのに、どうして僕は、自分のことを知りたがっているのだろうか。
それは、自分に全く自信がないからです。
僕を好んでくれている人には失礼に当たるかもしれませんが、自分と仲良くしている人が、なぜ仲良くしてくれているのかが分かりません。
僕のnoteを読んでくれている人も、どこが面白いと思って読んでくれているのかが分かりません。
自分でも、自分のどこが好きなのか、さっぱり分かりません。
もちろん、褒められたことがないわけではないし、評価を受けたことがないわけではありません。
ただ、一度評価されたからといって、それが持続するわけではありません。
たった1度きりの評価というだけで、それが未来永劫続いていくわけではないし、どこでも通用するわけではないです。
おそらく、他人の評価によって得られた肯定感の賞味期限が過ぎたとき、自信を失ってしまうのでしょう。
ただ、「自信」という言葉を辞書で引くと、「自分の能力や価値を確信すること。自分の正しさを信じて疑わない心」と書かれています。
つまり、「自信」とは、あくまで“自分の心の状態の話”でしかないのです。
「他人から評価を得られないと、自信を持ってはいけない」というわけではないのに、なぜか、「他人からの評価」がないと「自信」を持ってはいけないと思っているのです。
それなのに、何かに対して自信を持ったとき、責任を感じてしまうことがあります。
「自分が自信を持っていることは、他人よりできないと・・・」
「ここで自信がないヤツに負けたら、超恥ずかしい・・・」
「自信があるって言ったのに、できなかったらどうしよう・・・」
それぐらいなら、どんなお褒めの言葉を頂いても、絶対に受け入れない姿勢を貫いて、全てのことに自信を失くした方が、自分が傷つかずに済みます。
しかし、自信がない人に、誰も何かを託したくはありません。
自信がなければ挑戦権を失い、良くも悪くも、評価されることすらなくなるのです。
よく、「根拠がないのに、よく自信を持てるな!」と思う人がいますが、そもそも自信には、根拠も何もいらないのです。
もっと言えば、「根拠のある自信」があったって、確実に結果が出るわけではありません。
そう考えると、「根拠のある自信」なんて、過剰に自信を持っているだけの状態なんです。
ならば、根拠に関係なく自信を持っている方が、よっぽどタチが良いでしょう。
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