見出し画像

「正解を知っている」と言いたい人がいるだけで、実際に正解はない。

いろんな人と話しているうえで、疑問に思うことがあります。

この世の中には、何においても、正解があるのだろうか。

もちろん、自分の意見に自信を持って良いし、これまでの人生経験の上で得た知見もあった方がいいとは思います。

ただ、確実に時代は変化していて、過去と全く同じ状況が起こることはありません。

そのような時代において、他人の意見に対し、「それは違う!」「それは間違っている!」と言うことはできないはずです。

しかし、この世の中には、自分の考えていることが正解だと思い込んでいる人が多いです。

皆さんも、体感したことがあるはずですし、自分の正解を守り続けている人もいるはずです。

「お前は、なんにも分かっていない!」

自分の正解を信じ込んだ親や先生、上司、恋人、友達などに、こんなことを言われてしまっては、発言すること自体、怖くなってしまいます。

誰だって、過ちは犯したくないし、自分を否定されたくない。

どんどん、周りが怖くなっていきます。

でも、自分を責める前に、考えてほしいことが一つあります。

本当に、他人の言っていることが正解と言いきれるのだろうか。

まだまだ、他人の言っていることと同じレベルの正解を出せるかもしれないし、あるいは、それ以上の正解が出せるかもしれない。

もしくは、他人の言っていることが間違えている可能性もあります。

つまり、正解・不正解なんて、誰にも分からないんです。

きっとみんな、正解を答えなきゃいけない勉強のしすぎで、頭が固くなっていたり、自分を否定されたくないから、正解を知っているフリをしてしまうんです。

だから僕は、人の意見を評価しない姿勢が大事だと思います。

特に会話においては、そのことを頭にいれておかないと、意見の評価合戦になり、論争が巻き起こりやすくなります。

「正解を評価し合う」のではなく、「一緒に正解を探していく」方が、気楽に会話ができて、楽しいのではないでしょうか。

どうせ、確実な正解なんてないのですから、必ず見つからなくてもいい。

「会話」というものは、正解を探し求める過程を楽しめる、最強のコミュニケーション方法です。

論争のために使うものではなりません。

もちろん、こういう楽しみ方だって、正解かどうかは分かりませんが(笑)。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!