“真摯に向き合う”の本当の意味。
出来が良い人に対して、「真摯に向き合っている」などと言いますが、具体的にどういう意味か分かりませんでした。
辞書的な意味で言うと、「まじめで、ひたむきなさま」を表すようですが、そもそもそれがどういう状態か、いまいちピンときません。
何を考えれば真面目に向き合っていることになるのか、どんな態度を示せばひたむきに向き合っていることになるのか、自分なりに答えを探してみました。
「真面目」「ひたむき」という意味で言えば、僕は全員に対して真摯に向き合っていますし、自分自身とも真摯に向き合っています。
別に誰に何を言われても、その言葉はちゃんと聞いますし、自分自身のことを考える時間も多いです。
これで真摯に向き合うというのなら、ほとんどの人が他人や自分自身と真摯に向き合っているのではないかと思います。
相手や自分の気持ちを徹底的に無視し続ける人は、そんなに多くありませんし、そんなことをしていたら、周りからも信用されず、自分自身も騙し続けないといけないので、結構辛いような気もします。
だとしたら、「真摯に向き合う」とは、もっと高い次元で向き合うことを言うのだと思います。
自分が、最上級の真面目さで他人や自分と向き合っているとき、ある一つの共通点があります。
それは、どんな人や物事に対しても、それを評価せずに向き合っているということです。
例えば、やたらと愚痴が多い人と向き合うとき、その人の表面だけで評価すると、悪印象しかありませんが、自分がその態度を評価せずに、その人がなぜ愚痴ばかりを言っているかを考えれば、求めていることが見えてきます。
ただ自分が評価されたくて言っていたり、ストレスが一時的に溜まっていたり、自分を信用していたり、改善案を言い出す勇気がなかったり…。
その人を高評価or低評価で判断する前に、その人の核心を掴むチャンスが訪れます。それでその人のことが理解できれば、後にコミュニケーションをとるのが容易になりますし、他者理解もしやすくなります。
真摯に向き合うことは、自分においても、すごく大事な姿勢です。
自分が上手くいかなかった時、失敗したことに目が向きがちだったり、他人と比較して落ち込んだり、文句を言われたことで落ち込んだりします。
しかしながら、そうやって自己評価するというのは、真摯に向き合っていることにはなりません。
とりあえず評価は置いといて、それ以外のことに注目します。
どれだけ努力したのか、その時の感情はどうだったのか、どんだけ苦労を感じたのか、そのやり方で上手く行ったのかいかなかったのか。
自分と結果を照らし合わせて、白黒つけるのではなく、自分の視点はどうだったのかについて注目していけば、これから続けるべきことかそうでないかの判断もしやすいし、自分自身のことも理解しやすいです。
人は、つい何事においても評価してしまいがちです。
この仕事は楽しくない、あの人は面倒くさい、自分は劣っているなど、そう思いながら、いやいや向き合っています。
でも、そもそも評価しなければ、いやいや向き合う必要なんてないです。
評価するより先に、事実だけを見ていけば、自分が悪い態度で向き合うことはないはずです。
そのほうが、自分も疲れませんし、相手にも嫌がられないので、悪いことはありません。
でも、“真摯に向きあう”ことは、誰でもできることではないです。
何と向き合っても、それを目の前にして自分の感情を吐き出したくなる時ぐらいあります。
ただ、常に真摯に向き合うことはできなくても、時々真摯に向き合うぐらいなら、息がつまらない程度にできるはずです。
自分がどれと真摯に向き合うべきか、それすらも判断がつかない人もいるでしょう。偉そうに語っている僕だってそうです(笑)。
自分が抱えているタスクを並べて眺めてみても、どれを大事にしているかが曖昧になってきます。
なので、まずは自分と真摯に向き合うことから始めていこうと思います。
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