自分に寄り添った言葉には、誰も怒る気になれない。
根っからのネガティブ精神が染みついているせいか、僕には、どんなものも悪く表現してしまうクセがあります。
例えば、まずいご飯を食べたエピソードを振り返るとき、みんなは「あまり美味しくなかった」「見た目が良くない」など、事実を控えめに表現しますが、僕は簡潔に悪く表現します。
「あぁ、あれは地獄でしたねー」
こんなふうに、ごく自然に、なんの悪気もなく、こんな言葉を使ってしまいます。
僕よりも悪い表現を使う人はおらず、こんな言葉を使ってしまうたびに、「やってしまったなー」と後悔します。
しかし、僕は後悔しても、素の自分がこれなので、喋れば喋るほど、どんどん悪い表現を繰り出してしまいます。
毎回、「一言多かったなー」とか「ちょっと大げさに言いすぎたなー」と反省するのですが、なかなか直りません。
こういった悪いクセがある人間は、あるシーンになると、超非力になってしまいます。
それは、ピリピリした相手が目の前にいるときです。
今すぐにでも怒り出しそうな人がいると、僕は言葉を発するのが怖くなります。
自分の自然な振る舞いが、余計に相手を怒らせるかもしれない。
そう思えば思うほど、どんどん自分に負荷がかかるし、息が苦しくなってきます。
我慢できず、言葉を発してしまうと、大体そこで、怒りの地雷を踏んで、派手に被曝してしまうのです。
その派手な被曝が怖くて、会話するのが怖くなるときもあります。
昨日も、とあるカフェでそんなことで悩んでいると、僕とは正反対の会話ができている店員がいました。
その方は、60代ぐらいの男性店員。
時間に急いでいるサラリーマン客2人が、たまごサンドを注文したのですが、厨房に確認すると、たまごサンドは売りきれていたそうです。
僕なら、「申し訳ございません。たまごサンドは、売れきれていました」と謝るのでしょうが、その店員の方は、僕の頭の中にない言葉を発しました。
店員:「すみません!たまごサンドは、かなりお時間かかってしまいます!」
客:「何時間かかりそうですか?」
店員:「・・・3時間ぐらい、かかってしまいますね・・・」
客:「・・・3時間っ!? じゃあ、いいです笑」
僕なら、余計に怒られそうだと思って、そんな発言はできませんが、その言葉は怒りを通り越して、笑いに包んでいました。
店員が去っていった後、そのサラリーマン客は、イライラしていたはずなのに、「3時間は、さすがに面白かったな…笑」と笑っていました。
「ないです!」と言わずに、「3時間かかるので、厳しそうです」と表現することで、精一杯の努力を提示することができます。
「商品がない」と聞くと、努力する気がないように聞こえますが、「3時間かかってしまうんです!」といえば、努力してもお客様の望みに応えられないという意味に聞こえます。
たったこれだけの表現の工夫で、相手の受け取る印象は大きく変わります。
怒らせない表現は、相手への寄り添いが欠かせないのだと学びました。
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