「印象」を操作しようとしなければ、悩みが一つ減る。
久しぶりの人に会う機会があると、かつての印象と今の印象を比較されることがあります。
大体は、「昔も今も変わらないね」と言われることが多いのですが、その昔と今の印象がどういうものなのかというと、「稲本稲三=喋りすぎな人」という印象を持つ人が多いようです。
確かに僕は、人と会うと喋りすぎてしまう癖があり、相手が嫌がらなければ、いつまでも1対1で会話をすることができます。
しかし、僕は「ただの元気で明るいおしゃべり」というわけではなく、相手に気を遣わせたくないだけだったり、せっかく会話ができる機会を有効に使いたいという気持ちから会話を続けていることばかりなので、「うるさい人」のレッテルを貼られるのが好きではありません。
もちろん、相手から喋って欲しいと言われているわけではないので、僕が喋りすぎることを迷惑に思ったり、邪魔だと感じる人もいるでしょう。
そういう目もあることを知っているので、できれば僕だって、喋りすぎる癖を抑えたいと思っています。
しかし、これがあまり喋らなくなった途端に、今度は「大人しい人」というレッテルを貼られてしまいます。
それはそれで、「コミュ障だ!」とか言われたり、相手に気を遣わせて申し訳ない気持ちになるので、大人しい人を全うすることもできません。
ならば、「うるさい人」と「大人しい人」の間の自分になればいい。
そういう印象を持たれる人の振る舞いを真似してみますが、「アイツ、もっと喋ればいいのに…」「誰か俺に、話、振ってくれないかな?」と他人頼りになってしまうので、バランス良く喋ってくれる人がいなければ、何の印象も持たれなくなります。
そして、僕は、帰り道に毎回こう思います。
はぁ・・・。人と喋るのって、しんどいな・・・。
でも、この悩みの根本的な原因を考えると、間違いなく僕自身にあります。
自分が相手にどう見られたいかを操作しようとするから、本当の自分を知ってもらえないことに、もどかしさを感じているのです。
基本的に、相手の心の中の気持ちまで細かく分かろうとする人はいませんし、そこまで相手を思いやる人もいません。
口数が多い=うるさい、口数が少ない=大人しい。
このぐらい、相手を大雑把に捉える場合がほとんどです。
ならば、印象を操作するのではなく、うるさい人を受け入れて生きていく方が、悩むべきことが一つ減って、楽になります。
おそらく、全員に僕の本心が伝わることは無理ですが、その中の何人かには伝わる場合もあります。
そういう人だけが、自分のことを必要としてくれる存在になりますし、自分にとっても必要な存在になります。
そんな深い人間関係が生まれるから、やっぱり僕は、喋ることをやめられません。
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