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褒められないのは、努力が報われはじめた証拠。

人によって、褒められやすい人、褒められにくい人がいます。

例えば、いつも気を遣いながら周りを楽しませる人に、わざわざ「優しい!」とは言いません。

しかし、不良っぽい人や、いつも深く接しない人が、たまに優しくすると、「うわ~。あの人優しい!」と簡単になります。

いつも優しい人が、その人の何十倍、何百倍もの優しさを見せていても、なんだか一瞬で負けているような気がします。

最悪の場合、「なんかあの人、喋りすぎてうざい」とか、陰口を言われるパターンだってあります。

僕は、小さいときから、褒められにくいタイプなので、その人たちの気持ちは痛いほどわかります。

自分がこんなに頑張ったのに、全然報われないと思ったことも、何度もあります。

しかし、自分の努力や苦労を、自分でバカにしてはいけません。

というよりも、自分が自分をバカにすることだけは、絶対に許してはいけません。

誰にも褒められないことは、別に無能という意味ではないのです。

大人になると、褒められることは減っていきます。

子どもの頃なら、絵を描いたり、勉強を覚えたり、リフティングが1回多く出来たりすれば、大人の人が褒めてくれました。

しかし、もう褒められにくい人は、そのレベルにはいません。

“できて当然”と思われている段階だからこそ、ちょっとスゴいことでは、人から褒められないのです。

不良っぽい人は、優しいことが当たり前じゃないからこそ、褒められているし、子どもが何しても褒められるのは、“できない”という前提があるからです。

褒められることが少ないということは、むしろ、自分の努力や苦労が報われ始めているということです。

だから、努力や苦労がバカバカしくなっても、自分を恨む必要はないです。

そもそも、僕らは誰かに褒められるために生きているわけではありません。

人を基準に、自分の人生の価値を決めるのではなく、自分がどれだけ充実したかで決めるべきです。

今すぐに褒め言葉をもらえないとしても、時間が経てば賞賛されるかもしれませんし、想像もしていない、もっと大きな褒め言葉をもらえる可能性だって、十分にあります。

だから、自分が出来ていることで、他の誰かが褒められているのを見ても、悔しがる必要はないです。

あと一段落、レベルの高い褒め言葉をもらえる立場にいるのは、“いつも褒められていないあなた”だからです。

あなたのスゴさを見ている人は、必ずいるものです。

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