人に合わせようとしすぎて、心が折れそうになった。
人に合わせるということは、結構大切なことです。
自分の本音がたまたま他人と合えば、人に合わせなくてもいいのですが、僕は大して人と出会わないので、共感できる確率はグッと下がりますし、僕の本音に共感する人はそこまで多くありません。
それに、僕が本音でぶつかっても、相手が本音でぶつかるわけでもありません。だからこそ、相手に合わせながら喋ることは、コミュニケーションの基本になります。
でもときどき、誰かに合わせようとしすぎて、心が折れそうになります。
この時代は情報が早く、いつ何時でも誰かに合わせる知識がないと、仲間外れになってしまうし、とんちんかんなことを言いがちになってしまいます。
それを怖れるがあまり、誰と話すときも、その人に合わせた完璧な正解を出そうとする僕がいます。
しかし、僕自身、全くミーハーな方ではないので、若者の流行を追うだけで疲れてしまいます。
だからこそ、若者が何を面白がっているのかを知ったとき、「これを面白く思えていない自分は、時代遅れだな」と思ってしまいます。
僕は、未だにエンタメ系YouTuber、TikTok、人狼ゲーム、ASMRなどの面白がり方が分かりません。
別に敵視しているとか嫌っているわけではありません。
ただ純粋に、観る余裕がなかったり、観ても楽しめないだけです。
もっと正確に言えば、他に楽しむものがたくさんあるんです。
僕の場合は、バラエティ番組を観て、ドラマを観て、ラジオを聴いて、本を読んで、音楽を聴いて、それだけでいっぱいいっぱいなのに、そこに娯楽を追加されても、もう楽しむ体力がないんです(笑)。
理想の自分としては、最近の若者が面白がっていることも知っていて、幅広く対応できる力を持つことですが、やっぱり理想的過ぎるかもしれません。
それを楽しもうと思えば思うほど、どんどん面白くなく見えてくるし、常に時代の変化は早いので、全然追いつけなくて苦労します。
なので僕は、流行を少し冷めた目で見ることにしました。
決して、そのことについて詳しくなくてもいいし、それを面白がる必要もないと決めて、時代に遅れた自分を、受け入れてもらうためのコミュニケーションを心がけようと思います。
相手の趣味に共感できなくても、絶対に楽しい話はできますし、時代遅れでも、面白いヤツは面白いです。
その代わり、コミュニケーションをとるときは、ちゃんと相手の目を見て、素手で勝負したいと思います。
共通の話題なんて武器は一切持ち込まず、相手の人間性、人間ドラマ、独特の口癖を知って、そこでしか聴けないセッションを奏でる。
相手の個性を引き出して、相手を気持ちよく喋らせたり、僕も笑ったりするだけで、コミュニケーションは充分なんじゃないでしょうか。
僕自身も、自分の個性に合ったコミュニケーションをすると決めて、人と接していきたいと思います。
今まで、「自分」対「現代の人」という認識でしたが、これからは多少怖くても、「自分」対「相手」でコミュニケーションをとろうと思います。
情報にまみれた世の中、たまには人をじっと見つめてみませんか?
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