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何もなくたって、自分を肯定して良かったんだ。

誰かに都合よく利用される人は、本当にたくさんいます。

会社の人、バイト先の人、友達、恋人、両親、兄弟など、相手の要求を受け入れ続けた経験がある人は、多いのではないでしょうか。

僕自身、これまでに何度も他人の要求を受け入れてきました。

とはいえ、僕はそれが当然だと思い込んでいたため、あまり苦しかったとは思っていません。

僕が、最も他人に都合よく使われたのは、高校時代のアルバイトです。

僕としては、親に迷惑かけることなく、友達と遊ぶためのお金や、将来のためのお金を稼ぐために、働き始めたつもりでしたが、現実はそうはいきません。

お金を稼いでいる人がいると分かった途端、両親は僕を頼るようになっていきました。

結局、時給700円で稼いだ給料の全額を自分で使った経験はなく、ほとんど家族のために使うことになりました。

僕は、家族は助け合って生きていくものだと思っていたので、仕方ないと割り切っていたのですが、兄は全く違いました。

兄は、給料が入ったら、その日で全て使い切り、自分の給料を都合よく使われることから回避していました。

僕にかかる責任は、ますます大きくなっていって、この家を支える存在なんだと自覚しはじめます。

学校に行くよりも、遊ぶことよりも、働くことばかりを優先するようになりました。

この話をすると、僕のことを可哀想と思う人や、同情する人が多いのですが、僕が考えてほしいのは、そういうことではありません。

兄と僕の根本的な考え方の違いです。

兄は「自分のお金や時間を、他人に差し出すべきではない」という考え方で、僕は「自分のお金や時間は、他人に差し出すべきだ」という考え方の違いがありました。

自分の時間に対する価値のつけ方が、全く異なっていたのです。

今考えたら簡単に分かりますが、自分の人生の時間を他人のためだけに安売りしてはいけません。

それでも僕が時間を安売りすることになった理由は、自己肯定感の低さです。

高校生の僕は、何の取柄もないので、誰かに必要とされることで、自分を肯定するしかありませんでした。

頭が良いわけでもない、推薦入学のきっかけになった部活も辞めてしまった、友達が多いわけでもない、女子にモテるわけでもない…。

何かがないと、自分を肯定できないと思っていた僕は、家族に頼られることで、自己肯定感を満たしていました。

家族のためにどのぐらいお金を払ったかを数えれば、明確な数字が出るので、自分を肯定しやすかったのでしょう。

兄だって何の取柄もありませんでしたが、自己肯定感で満ち溢れていました。

だからこそ、自分の時間を都合よく使われないように、自分で守っていたのでしょう。

当時は僕の考え方が当たっていると思っていましたが、今となっては、兄の考え方が正しいと思います。

兄がお金を出さなくても、僕らは生きていけましたし、僕が実家を出てからも、両親はお金のことで頼らなくなりました。

つまり、僕の稼いだお金なんて、なくても生きていけたのです。

ただ、目の前に頼れそうな人がいたから頼んだだけで、「自分が家庭を支えている」なんていう自己肯定感は、僕の自惚れです。

自己肯定感は、誰かに頼られることで獲得していくのではありません

自分の人生に対して、「価値がある」と思うことから始まるのです。

誰だって、何もなくたって、自分を肯定する権利があるのです。

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