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関係性に名前がないと、愛の与え方が分からない。

「あなたは、関係性を曖昧にしたがる」

先日、高校の同級生で人気者の代々木くんと会ったとき、彼は恋人にこのセリフを言われたことがあると明かしました。

その言葉に深く傷ついていたみたいなので、僕は人と人との関係性について、分解して考えてみました。

人と人との関係性には、名前があります。

親、兄弟、友達、恋人、先生、先輩、後輩など、その関係性の名前の意味らしく、言葉遣いや態度を変えることもあるでしょう。

しかし、ちゃんとその関係性を守り続けている人は、そんなにいないと思います。

特に、混同させやすいのが、「恋人」と「親友」です。代々木くんも、混同させるタイプの人間です。

なかには、恋人とするような行為をするのに「親友」という関係性を名づける人もいれば、親友とするような行為をするのに「恋人」という関係性を名づける人もいるでしょう。

僕は、別にこれを悪いことだとは思いません。むしろ羨ましいです。

なぜなら、関係性を曖昧にしている人の方が生きやすいと思うからです。

結局モテるのは、いつもそういう曖昧な関係性を作りたがる人ですし、自分の都合で、他人を「親友」や「恋人」に自由に操ることができるので、愛されている感覚にも恵まれるでしょう。

操られている方も、いつでも恋人になれるチャンスもあるし、親友になれるチャンスもあると、胸をウキウキさせてその人と関わることができるでしょう。

それでも、僕は曖昧な関係性を作りたがりません。

だって、「親友」や「恋人」の役割って、そんなに簡単なものでしょうか?

「親友でもあり、恋人でもある」という関係性に憧れを抱く人もいますが、それは、親友兼恋人のダブルワークをするということです。

僕は、親友に喋る力を求めます。しかし、恋人には癒す力を求めます。

親友とは、ずっと途切れることなく喋っていたいですが、恋人とは、喋りすぎないでゆったりとした時間を過ごしたいです。

これは、相反するものになりうるので、やっぱり関係性に名前をつけて、役割を分ける必要があります。

もしこれを、恋人に同時に求めるのであれば、かなり荷が重いでしょう。

僕の要求が高いと、相手の要求も高くなっていきますし、お互いに依存しあう関係性になっていきます。

そうして身を滅ぼすのはバカらしいから、人は関係性に名前をつけるんだと思います。

名前をつけたからこそ、必要な分だけの愛を与えることができるし、全ての関係性に感謝もできます。

もし、恋人や親友に不満を抱いたり、抱かれたりしているなら、関係性の範疇を超えていることを求めているのかもしれません。

もしくは、曖昧な関係性のままの成長してしまったせいで、お互いに尽くすべきことの見極めも曖昧なままなのかもしれません。

僕が代々木くんに言えたことは、「関係性を曖昧にしないでも、案外人生は楽しいよ」という言葉ぐらいで、結局、彼の気持ちを楽にすることはできませんでした。

自分なりに「親友」の役割をしたかったのに・・・(笑)。

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