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当たり前を忘れた分だけ、面白くなれる。

今、皆さんに見てもらっているのは、揚げすぎたエビフライです。

一人暮らしを始めて、料理をするようになった僕の大きな失敗です。

僕はレストランのキッチンで4年ほど働いていたのですが、時々こんなミスを犯してしまうほど、常識を分かっていないときがあります。

こうなってしまった理由は簡単です。

ちゃんと手順に従っていないからです。

レストランで働いでいた僕は、熱々の油に揚げ物を入れていたのを見ていたので、家で作るときもそうすればいいと思い、鍋に入れた油が沸々とするまで待って、エビフライを投入しました。

すると、「ぶしゃーーーーーん!」と大きな音と煙が襲ってきました。

警報器は、「火事です、火事です」と騒ぎ立て、僕の心を追い詰めます。

エビフライは真っ黒になり、もう食べれる状態ではありませんでした(笑)。

せっかくのエビフライを、自分の不注意でダメにしてしまったのですが、僕はこのミスがあって良かったと思っています。

なぜかというと、上手くいかないことに慣れるのと同時に、楽しさに気づくことができたからです。

これは、料理に限ったことではありませんが、手順を自分勝手に変えてしまって失敗するのは、当たり前です。

先生たちや現代の人たちが、本や教壇やネット上で失敗しない方法を伝えているのに、それに従わないなんて愚か者です。

しかし、「手順通りにやれば上手くいく」という方法をなぞっても、楽しめないのも事実です。

もしかしたら、その方が楽しいという人もいるかもしれませんが、僕は教えられたとおりにやって、楽しいと思ったことは一度もありません。

おそらく、エビフライを揚げる前に、手順を調べる手段を選ばなかった理由も、楽しくないと思ったからでしょう。

僕の目的は確実にエビフライを食べることではなく、エビフライを揚げてみることだったのです。

何も分からないことにワクワクしながら、とりあえず動き出してみることが楽しくて、想定の範囲外のことが起きる。

上手くいかなかったけど、なぜか楽しい思い出になっていきます。

後日、手順通りにやって上手く揚げられたのですが、やっぱり楽しくありませんでした。

思った通りの結果が得られて、特別興奮することはありませんでした。

次は、もっと美味しくなるために、自分なりに手を加えてみました。

そうすると、また楽しくなりました。

つまりは、当たり前だと思ったことに対して、人は興味を持たなくなるということです。

思うようにいかなくても、多少遠回りしても、当たり前の結果が出ないことであれば、人は興味が湧きます。

恋愛でも、相手に好きになられるのが苦手な人は、自分と好きな人と付き合えるのは当たり前のことで、あまり面白くないと感じるのかもしれません。

仕事ができないと言われている人は、上司から教わったことをそのまま遂行することに、魅力を感じていないのかもしれません。

世の中に当たり前ができればできるほど、逃げたくなるんです。

もちろん、最低基準の当たり前をしたうえで、新たに自分なりのやり方を加えるのが、最も他人に貢献しやすいです。

でもまずは、そんなことを考えずに、今、自分の身の回りの当たり前をアップデートしてみようとワクワクした方が、楽しさはついてきます。

一度当たり前を忘れてみることで、必ず何かが見えてきます。

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