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1つの結果から、何もかも読解される社会。

人間を完璧に知るのは難しいですが、できるだけ「この人は○○だ!」という確証はほしいものです。

そのため、人を見かけで判断することは少なくなっても、人を結果で判断することは、あちらこちらで起きています。

偏差値の高い大学に入った人は、単純に「勉強ができる」だけでなく、「忍耐強い」「競争に強い」「孤独に強い」「天才」「要領が良い」と読み解かれることもあると思います。

逆に犯罪を犯した人なら、「性根が悪い」「危険人物」「自分を制御できない」「家庭環境が良くない」「人の心がない」と読み解かれることもあるでしょう。

そうなってくると、この世の中は完全な実力主義です。

常に『何をしたか』が問われていて、自分で自分の性格を詳しく語るより、自分の結果を語って相手に読み解いてもらう方が、分かりやすいのです。

どれだけバカっぽくても「偏差値の高い大学に入った」といえば、周りからの尊敬の眼差しを浴びるでしょうし、どんだけ優しいと言っても、「犯罪に手を染めた」という事実があれば、相手は信用しないでしょう。

大人になって行われる「就職」、「恋愛」、「友達作り」では、この原理が根強く採用されている気がします。

どんな大学に入ったのか、異性の経験の有無、友達の人数での判断などは、いつも付きまといます。

僕は、一つの結果で人間を読み解くのは、好きじゃありません。

例えば、大学に通っていない僕が、大学に入った友達を結果で読み解けば、「自分より頭が良い」「自分より難しい言葉を知っている」「自分より説明が上手い」「自分より要領が良い」「自分より記憶力が良い」と判断します。

もちろん、自分よりも優れている人はたくさんいますが、全員が全員そういうわけではありません。

その度に相手にがっかりして、その度に相手にイライラします。

そんな混乱を招くぐらいなら、相手と接していく中で、自分なりに判断していくのがベストです。

なので僕は、『言葉の使い方』で相手を読み解きます。

どれだけ結果を語られても、言葉の節々に出てくる口癖や、その人が持つ独自の表現、何を遠ざけようとしているのか、何が嫌いと語っているのかなどで、読み解くことが多いです。

例えば、横文字を使いたがる人は「自分に酔っている」と判断しますし、流行りの言葉を使いたがる人は「流されやすい」と判断しますし、「俺、○○に詳しいからさ~」と言う人は「プライドが高い」と判断します。

こうして人を読み解くと、「結果」で人を判断するよりも期待することは減りますが、相手と喋るのが面倒になったり、相手に怖がられることもあります(笑)。

ただ、僕みたいな人は少数派です。この方法だと記憶力も必要ですし、一人にある程度の時間をかけないといけません。相手のことを理解する時間を費やす時間もない人が多いと思うので、この方法は面倒でしょう。

ならば、やはり僕も数多くの「結果」を残して、相手に読み取ってもらえるようにしたいと思いますし、僕もある程度は「結果」で人を判断しても良いのかなって思ったりしています。

多分、その方が相手の気持ちを理解できそうですし、多分、その方が友達も増えそうなので(笑)。

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