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「真剣に悩む」ことは、必ず武器になる。

僕は、「悩む」という行為がダメなことだと思っていました。

悩んでいる素振りを見せずに、自分の生き方を堂々と発信している人は素晴らしい人間だと思っていますし、楽しそうで羨ましかったです。

ちょっとしたことで悩む自分は、気が弱く、情けない人間だと思い込んでは落ち込んでいました。

しかし、悩まないことは、僕にとっては生きがいを奪うようなものだと気づきました。

僕は、このnoteを毎日更新していますが、ここ数日間はあまり悩んでいなかったので、パソコンの前に座って3時間ほど、全くアイデアが出てきませんでした。

いつもだったら、起床後10~20分ほどで、書きたいことを脳裏から引き出すのですが、脳裏をいくら探しても書きたいことが見つかりませんでした。

つまり僕にとって、noteを書くために必要なことは、「真剣に悩む」ことなのです。

人に言われた気になる発言、自分が思い悩んだ出来事、ちょっとした話し方など、些細なことに首を突っ込んで、思いっきり悩み倒します。

そして、自分なりの解決策や仮説、オチを書いて、文章を締めくくります。

もはや、自分のために書いているのかもしれません(笑)。

ただ、僕の言葉が少しでも多くの人に伝わって、それで誰かが生きやすくなる可能性があると信じているので、僕は毎日書き続けるのです。

もちろん、反論があっても、もっと良い方法があると違う案を提示してくれても良いんです。

僕は、そんなに偉い人でもないし、自分の考え方を強引に押しつける気もありません。違う意見を眺めては、また悩むことができれば本望です。

こういう風に、悩み続けて生きるのは、案外悪いことではありません。

自分の頭で考える癖がつきますし、自分が絶対に正しいと思いもしませんし、他人の痛みに寄り添うようになれます。

ただ、悩むべきことは選ばなくちゃいけません。

僕が悩む基準は、誰かに話したときに、一緒に悩んでくれるかどうかです。

例えば、「白色のテーブルを買うのか、茶色のテーブルを買うのか」ということを人に話しても、相手はその話を面白がってはくれません。

自分の好みから、適当な判断を下します。

ただ、悩みを話した時に「うわぁー!それ分かるなぁー!」とか、「俺も同じようなことで悩んでて・・・」などの言葉が返ってくる話題もあります。

しかも僕の場合は、自分の悩みを相手に解決してもらうわけではなく、ある程度の結論をぶつけて、その上で相手の話を聞きます。

自分の考えが共感されればされるほど、自分で辿り着いたお気に入りの持論になっていきますし、反論されれば、発言に気をつけることもできます。

「自分なりに悩んで結論を出す」というのは、意外とやっていない人が多いです。

「人生、ハッピー!」みたいな顔をしている人も、実は悩みに向き合っていないだけだったりするんです。

それが、メンタルの強い人といえるかどうか、定かではありません。

だから、悩むことが多い人は、一度自分なりに結論を出してみてください。

それを誰かに渡してみれば、感謝されることもありますし、自分一人では気づけないこともあります。

真剣に悩んだ分だけ、文章が書けるようになったり、人に役立つと気づいた僕は、さらにこれから、“悩むこと”に磨きをかけていきたいと思います(笑)。

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