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あなたは、図々しいことを言っていいんだ。

先日、高校時代働いていたアルバイト先の店長が働いていた店に、客として顔を出しました。

店長と会うのは5年ぶりでしたが、しっかりと僕のことを覚えてくれていました。

店長と話していると、まだ10代だったころの自分が蘇ってきて、「店長、できればサービスとして、あのメニューを貰いたいですね…」と図々しくサービスをお願いしました。

店長も「いいよ!」と言って、メニューを一品サービスしてくれました。

その時、僕はあることに気がつきました。

最近、誰にも図々しいことを言っていない。

東京に上京してから、数倍空気を読むようになって、先輩にも友達にも図々しいことを言わなくなっていきました。

これが大人になることだと思っていたのですが、周りを見渡すと、そんなことはありません。

ほとんどの人は、図々しい人を注意したり、愚痴を言ったりしますが、その人たちだって割と周りの人に図々しいことを言って、人間関係を構築しています。

大人になれば、「借りを返す」こともできそうですが、「借りっぱなし」の図々しいヤツもたくさんいます。

特に僕の周りの友達は、すごく図々しいことを言ってきます。

基本的に、僕が相手の都合に合わせますし、困った時の「お金ない」は嫌なぐらい聞いてきましたし、頼みごとをしてもちゃんと見合ったお返しをしない人たちばっかりです。

本当に、マジで、ものすごく、嫌になるときがあります(笑)。

でもこれは、学生時代からよくあることで、今に始まったことではないのに、なぜ今はイヤだと感じてしまうのか。

それは、僕が図々しくなくなってしまったからです。

以前だったら、自分が弱った時に話を聞いてもらったり、お金のないときは借りたり、面倒な手続きをやってもらったりしていたのですが、大人になって一人の時間が増えていくことで、全部自分でできちゃうスキルが身についてしまいました。

特に、誰からの援助もなく1人暮らしをしている人は、なんでも自分でやらなくちゃいけません。

その面倒さも知るようになってくると、自分が他人に押しつけていたことが、いかに迷惑なのかを理解できるので、図々しいことを言わなくなってきます。

しかし、「誰かに図々しいことを言える」って、実は大事なことです。

誰かに甘えて、誰かに心を許せて、自分の図々しさに応えてくれる人からは、愛を感じることができます。

「図々しいお願い」は、人間の温かみを感じることができるコミュニケーションの一つで、図々しさに必ず応えてくれなくても、図々しいことを言える間柄というのは、心がホッとします。

僕の周りのヤツらも、僕に図々しいことを言っているとき、心がホッとして、愛されている感覚を味わっていれば、それは良いことだなと思いました。

こうしてまた、アイツらの図々しさに振り回されるのですが(笑)。

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